恵まれた人・Ⅰ
軍用ディーゼルエンジンの力動が腹の底を突きあげている。
自動拳銃を握り直し、構え直して、エティエンヌ・ロワトフェルドは眉を顰めた。
「楽しくないなら、やめたら? 銃で遊ぶとツキが落ちるっていうわよ?」
「別に、遊んでいるわけじゃないぞ」
同僚の言葉に即答する。
「いやいや、遊んでるから。危ないから。それ、弾入ってないわよね?」
「これには暴発防止装置が二重についている」
「それって余計に安全じゃないアピール感じるんだけど。暴発とかホントやめてね? そもそもカチャカチャと落ち着きがないのよ。その、ええと、あ……あれみたい!」
口調を訝しんで視線をやると、同僚はシルバーブロンドをいじりつつ赤面していた。
「ほら、こう……じじ、じ、自分で慰める的な?」
「……照れるくらいなら言うな。馬鹿じゃないのか、クラリス」
「ばっ! 場を和ませようとしたの! 馬鹿の王が緊張してるみたいだからア痛ッ!?」
痛そうな音が二人きりのキャビン内に響いた。興奮したクラリスが頭を強打したのだ。
装甲兵員輸送車の兵員座席は天井が低く、『新十字軍』の騎士装束は典雅な趣こそあれヘルメットも支給されない浪漫仕様だ。後半が同情に値するだろう。
頭を押さえて細かに震えている様は何とも哀れだった。
「頭、大丈夫か?」
「……エティエンヌ、それ、追い打ちかけてないわよね? イタタ……」
クラリスは恨みがましげだ。
幼げな顔立ちといい、スレンダーで小柄な体格といい、涙目になどなられると何か悪いことをしたような気分になる。エティエンヌに女児をいじめて喜ぶ趣味はない。
「これは……躾なんだ」
「よし、わかった。喧嘩売ってるのね?」
「何でそうなる? 拳を握るのはよせって。私は銃のことを言っている。どうにも手に馴染まなくて困っているんだ……」
銃を手渡すと、クラリスはすぐにも表情を真剣にして銃を観察しはじめた。銃身が長いだの重心が前よりだのとブツブツ呟いている。
女心はわからない……エティエンヌはそう思う。自身も女ではあるが。
「この銃、お兄さんの愛用品だったんでしょ?」
「スプリングフィールド・オメガだ」
「十ミリオート弾なのね。ふーん?」
「そもそもターゲット・シューティング用なんだ、この銃は。ノワ銀騎長が薦めてこなければ軍務で使う気なんてなかった」
「銀騎長も色々と思うところがあるんでしょうね。あなたが『エティエンヌ』なんて名乗ってることも原因だと思うけど?」
「……私はノワ銀騎長を責めていない。兄さんだって、恨んでいないはずだ。安全の保障された軍務などあるわけがないんだから」
「そうかもしれないけどね。私は『セシル』に会いたいなって思うこともあるのよ」
「いたな。そういう名前の間抜けな娘が。両親の仇を討つどころか兄をも殺されて、悲嘆から病に臥せった軟弱者だ。その娘は馬鹿だから死んだ。死んで私になった」
「……そういう変な頑固さから鑑みて、馬鹿、治ってないと思うけどなー」
返事はせず、エティエンヌは目を閉じた。自分のための暗闇の中で、つくづくと自問する。
なぜ自分は女なのか、と。男に生まれたかった、と。
肉体的にも、社会的にも、女という性はハンディキャップでしかなかった。己の名を捨て兄の名を名乗ろうとも、それで月の物が止まるわけでもなし。
ブロンドの髪はバッサリと短髪にしたが無駄に大きなバストを切除してくれる病院などなく、顔は髭などなくとも表情を厳めしくしているが声の甲高さは喉の構造上どうしようもない。
生きたい自分と、生まれた自分が違う。
こんな人生のどこに幸いがある?
「そういえば、エティエンヌっていつまで堅信礼を受けないでいる気なの? 旧世界ならいざ知らず、幼児洗礼を受けたきりじゃ霊名もつかないのよ? もう十七歳なのに」
「いつかは受けようと思っている。今はまだいい。銀騎長だって霊名がないのだから、騎士としての必須事項でもないだろう? それに、まだ十七歳だ」
「いつかはーとか、まだーとか……学校の宿題でなし、子供みたいなこと言って」
「……子供みたいなお前に言われてもな」
「は? それおっぱいの話? おっぱいの話してる? こんなん授乳できればいいの。母乳足りなくても粉ミルクとの混合で赤ちゃんはバッチリ育つの。それに、男の人だって、色々な趣味嗜好があるのよ。畜生、おっぱい貴族め。もげろ」
「また訳のわからないことを……」
「堅信礼を受けなさいって言ってんの。随分前からずっと」
「……クラリス・F・クリストファー」
「何よ、エティエンヌ・ロワトフェルド。ちなみに私の霊名はフランチェスコよ?」
女児のような容姿のくせにお姉さんぶった微笑みを浮かべる同僚へ、エティエンヌは真っ直ぐな視線を向けた。
「堅信は洗礼の完成を意味するんだろう? 罪が赦されるんだろう? 生まれもったそれだけでなく、私が私として犯した罪も……セシルの罪も、エティエンヌの罪も」
胸の奥に燃える火がチロチロと肺を焼いている気がして、深呼吸した。
「それなら、私は目一杯に血生臭くなってからでいい。空の奴らを狩れるだけ狩った後で、死に際に堅信礼を受けたい……全てを赦されてから死にたい。そうも思うんだ」
銃を受け取り、装填を確かめる。馴染むと馴染まざるとに関わらず、引き金を引くし敵を撃つ。
目的あってのことだ。それを望んでのことだ。
どんな性別であれどんな銃であれ、やることをやる。それだけでしかない。
「エティエンヌ……」
「別に信仰心がないわけじゃないんだ。祈ることもする。ただ……」
右半身を引いて銃を構える。虚空へ照準する。
既に撃ち抜いてきた敵を思う。眷属の類でしかなかった。未だ撃ち抜けていない敵を思う。諸悪の根源の居場所は明々白々だ。
「……ただ、罪を重ねる予定があり過ぎる。私には」
もしも天国とやらに行けたのなら、そこでもきっとこうして銃を構えるだろう。
エティエンヌの知る限り、神聖なる者とは総じて邪悪を極めているのだから。
◆◆◆
空から隠れ、山間の不便さの底に潜むようにして、その施設はある。
いや……あったというべきか。
夕日の色を汚して方々に煙が上がっている。建物はおろか周辺の木々にも延焼したようだ。既に消火されているとはいえ焦げと融けとの混ざり合った荒廃が臭う。
「お待ち申し上げておりました。騎士ロワトフェルド、騎士クリストファー」
装甲車を降りるなり、エティエンヌらは生真面目な敬礼に出迎えられた。
体格のいい黒人で、肩掛けにしているアサルトライフルはFAMASだ。ごく一般的な軍装だが左胸には十字の徽章がある。
「自分はデヴィッド・G・ダイソン修道士であります。現場にご案内いたします」
「よろしく頼む」
返礼し、エティエンヌはデヴィッドの後に続いた。
十人、二十人と軍装の修道士が見えるが、その行動に物々しさは感じられない。瓦礫の撤去は明日あたり民間の人出を集めるのだろうか。
「こんな辺鄙なところに新十字軍の施設があったとはね……知らなかったな、私」
クラリスはキョロキョロと周囲を見回している。小動物的な動きだ。
「あ、凄く大きい給水塔。あっちには変電施設? 大がかりだなー」
所作にしろ言動にしろ子供っぽくてしかたがない。
先導するデヴィッドの肩が少し震えている。上官を笑うことは叱責されて然るべきだが、それもやむを得まいとエティエンヌは譲歩した。声を殺しているだけ上等だ。
「非常時に備えての兵站基地という話だ。常には秘されていたんだろう」
咳払いをしてから、そう言った。
「そういう説明だったね。敵には情報が漏れてたみたいだけど」
「盗み見は奴らの最も得意とするところだ。忌々しいが、見破られたんだろう」
「そう……ね。うん。そう考えるのが普通よね。今まで、こんなことはなかったけど」
はっきしりない言い様だ。
クラリスは立ち止まり、未だ煙を吐く廃墟の一画を見ている。
「……『視えた』のか?」
エティエンヌは小さな同僚から目を離さず、手ぶりでデヴィッドを静止させた。
今、クラリスを刺激してはならない。
この世に不思議は多々あれど、軍にとって有用なものとなると限られる。その稀なる不思議の内の一つが『透視』だ。
手でカードをめくればそれで済むような、そんな手品じみた力ではない。距離と時間とを超越して見えざるものを見る力だ。遠見とも、千里眼ともいう。
「……怒り? それとも……喜び? 何? 何なの……?」
このシルバーブロンドの少女はそんな特別な能力を有する。
それゆえにこそ、二十二口径弾しか発砲できないような非力ながらも騎士に叙任されたのだ。
「…………ううん、詳しく説明できるほどじゃなかったわ」
しばらくして、クラリスは無念そうに首を振った。頬を汗が滑り落ちていく。
「そうか……残念だ」
透視は科学のそれほどに安定した結果を出せない。原因不明の力であることの欠点だ。
それでもエティエンヌはクラリスに期待してやまない。数々の難事件を解決してきた実績があるし、窮地を救われたこともある。
そして何より……憎き敵もまた多くの特殊な能力を使ってくるからだ。クラリスの力はそんな敵に対抗し、勝利するための鍵となる。そう確信している。
「とにかく現場へ行こう。そこでまた何か切っ掛けを得られるかもしれない」
素直に頷くクラリスの、その小さな手を引き歩く。能力の反動はいつも大きい。
「ここです。ここが『怪物』の暴れた現場になります」
ひどくゆっくりと到着したそこは、火災の中心地とおぼしき残骸の丘だった。
有機物も無機物も区別なく熱で死に絶えて、それでもまだ足らず滅べ滅べと叩きのめされたかのような悲惨が山積している。
「弾薬庫でもあるまいに、酷い有り様だな……」
「既に除菌および除染作業を終えていますので、奥まで進んでいただいても何ら問題ありません」
「怪物の死骸はどうなっている?」
「既に調査班が回収済みであります」
「数や形状、能力などについては何か聞いているか?」
「自分の聞いたところでは、小型から大型まで六体の怪物が出現したとのことです。それ以上のことは知らされておりません」
思わずデヴィッドの顔をまじまじと見てしまい、エティエンヌは軽く咳払いした。
「六体……一度に六体とは、聞いていなかった。よくも撃退できたものだ……いや、物資の爆発が上手く作用したんだったか。不幸中の幸いもいいところだな」
「詳報については調査完了後に発表されるものと愚考いたします」
この黒人修道士は肝の据わったところがあるようだ。直立不動で回答するばかりで表情一つ変えない。
「ダイソン修道士は事件後に派遣されたのだな? 生存者は今どこに?」
「戦闘員、非戦闘員を問わずオルレアン聖別防疫病院へ移送されております」
「トゥールーズではなく? 遠いな……」
エティエンヌは眉根を寄せた。気軽に話を聞きに行ける距離ではない。
「……事件当夜、ここにはどれだけの戦力が詰めていたんだ?」
「修道士一個小隊であります」
「小隊だと? 随分と多い……いや、事実襲われていることを思えば、少ないくらいか」
存在を秘された施設を数十人からの戦闘員が防衛していた。そこへ一度に六体もの怪物が襲った。そして一夜で全てが破壊された。
「無理を言って許可をもらったが……もう少し早くに来たかった。これでは何もわからない」
瓦礫の一つを取り上げてみる。それは高熱に炙られてなお鋭利な切断面を残している。
施設の詳細を知らされていない以上、どう見回したところで推測の上に推測を重ねる徒労でしかないだろう。そもエティエンヌは身体を動かす方の担当だ。
「この事件を担当したいな。追うだけの価値がありそうだ……クラリス?」
同意を求めて顔を向けると、そこには鬼気迫る表情で瓦礫を見据える少女がいた。
見開かれた瞳は夕闇に浮かぶ月輪のようだ。音もなく冴え冴えとした力が放たれているようでもある。あるいは鏡なのかもしれない。そこに映し込むものは、きっとエティエンヌの目には見えない超常の何かなのだ。
「……恐ろしい獣。天と地との区別なく、獲物と定めたもの全て、爪と牙とで討ち滅ぼす……」
夢見る者の口調だ。
「これは復讐? それとも……断罪?」
しかし見ている夢が悪夢であろうことは間違いない。
「不自然なる命をつけ狙う……灰色の……狼」
言い終えるなり、クラリスは膝から崩れ落ちた。しっかと受け止める。それはエティエンヌの役割の内の一つだ。この様子では装甲車に寝台を用意する必要があるだろう。
「クラリス……お前は私の敵を視たのか? それとも……」
シルバーブロンドの髪を軽く梳いた。閉じられた瞼にも触れた。
そして、エティエンヌは途方に暮れた。
今夜中に提出するよう厳命された報告書には、何をどう書くべきなのか。そもそも作文は大の苦手で、クラリスと組んでからというもの全ての報告書を押し付けてきたというのに。机の前に座ることすら避けてきたというのに。
「狼……どういう……?」
気を利かせた修道士が担架を持ってくるまで、エティエンヌはあてどもなく瓦礫を見ていた。
全てを見ようとしたところで、何も見えてはこなかった。