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SKY WALKER  作者: かすがまる
第4章
19/46

煉獄に戦う者たち・Ⅲ

 全身を隙間なく油断なく兵装で固め、手にFAMASを携えて。


 走る。エティエンヌは走る。暗視ゴーグルの視界にあっては夜闇は幻想的な緑色だ。呼吸音と足音とを聞く。畦道である。泥と草とにずぶ濡れていて滑りやすく、もわりと生臭い。


 唾を呑む。胸の奥にざわつく戦意を調律するために。見上げる空には白々しいばかりに弧を描く雲上カタコンペ……歯を食いしばる。


 先頭を駆けるのはスペイン系の修道士だ。逞しくも俊敏な動きで突入班を導いている。エティエンヌは六人の内の中央だ。誰もが歴戦の強者たちである。


「騎士ロワトフェルド、先程の連絡ですが……」


 林に入り速度を落としたところで、デヴィッド・G・ダイソンが話しかけてきた。


「クラリスからの上位命令だ。内容は明かせないが、いざという時にはダイソン修道士に班を任せることもあると思う。そのつもりでいてほしい」

「それは……はい、了解しましたが……」


 歯切れの悪い返事だ。会議室におけるサイモンとの口論といい、冷静沈着な彼らしくもない。


 対処の必要がある。エティエンヌは暗視ゴーグルを外してデヴィッドを見た。


「どうしたんだ。作戦に集中できない理由でもあるのか」

「いえ、自分は集中しております」

「そうは思えないから言っている。既にこの状況だ。どうしても駄目ならサポートに回れ」

「騎士、自分は充分に作戦を遂行できます」


 デヴィッドは暗視ゴーグルを外さない。白い歯が、暗闇の中に乾ききって浮かんでいる。息が切れている。僅かな移動しかしていないというのに。


「……駄目だな。突入は認められない」

「騎士……!」

「これは命令だ。それもわからないようなら畦道を戻れ。以上だ」


 体調不良か。それとも精神面の何かか。


 いずれにせよこれまでとエティエンヌは判断した。彼の不調を会議室の段階で気付けなかったことが悔やまれる。


「指揮は預ける相手は代えるが……退路の確保を任せたい。頼めるか?」

「……了解、しました」


 緑色の視界に立ち戻り、進発する。数十秒停滞した分を取り返すべく若干の早足だ。


 屋敷が見えてきた。三階建てでH型の構造だ。その裏手から近づいていく。倉庫らしき別棟が邪魔をしていて母屋の中央部の様子が窺えない。


 事前の調べでは南側の棟に頻繁に照明が点いていたという。間取りとしては主寝室のある位置だ。そこを第一目標としている。外れたなら北側の客室や地下室へ向かう流れだ。


 裏口の扉は重厚な様子だ。突入は南端の窓からと見定める。


 茂みに臥せて無線機を操作した。突入は屋敷正面の部隊が動いてからである。


「こちら突入班、スタートポジションについた」


 指示を待て、との返信を聞いてそれに従う。


 深呼吸を一つ二つとするたびに、周囲が冴え冴えと感じ取れるようになっていく。あらゆる音を位置情報と合わせて把握できる。背後にまで視界が広がった気さえする。


 集中力の発揮だ。


 その結果として得られる知覚力の向上こそ、エティエンヌの戦闘力を支える強みである。


 何もクラリスのように特別な力が備わっているわけではないのだ。他の誰よりも戦闘に集中することでより多くの情報を取得し、性格も相まった果断によって大胆に動く……それが類稀な戦闘勘と称賛されるものの正体である。


 薄く瞼を閉じる。夜の林には闘争の気配が満ちている。


 戦意を鋭くした集団が前進してくるのがわかる。火器小隊を含む修道士中隊だ。ドラゴンを想定した武装……前例なきそれは重戦車を撃破するためのものを代用しただけだが、鋼鉄の複合装甲を撃ち抜けるのならば鉄鱗にも通じよう。


 じりじりと、じりじりと、屋敷を半包囲していく。このまま制圧できるのならば突入班の仕事はない。それで済むだろうか。ベストとしてはそれだが。


 無理だろうな、とエティエンヌは思う。確信しているといってもいい。


 ここには、いる。敵がいる。強烈な殺意を放つ存在が、見当たらずともどこかに潜んでいる。間違いなく。


 あの黒衣の男という印象はない。やはりドラゴンか。エティエンヌはより意識を鋭く尖らせるようにして情報を求めた。風に揺れる葉の一枚一枚をも確かめるつもりで。


 やがて奇妙な音を拾い上げた。


 どこかから微かに息遣いが聞こえてくる。獰猛な吸うと吐くとが。低く響くものは獣の唸り声だろうか。暴力的な物音が林間に広く降りまかれているようだ。


 近場にも異変を感知した。班員の呼吸が乱れている。


 デヴィッドだけではない。彼の他に二名、同じように落ち着きのなさを感じさせる者がいる。あってはならないことだ。選りすぐりの突入班だというのに。


 咎めるつもりで視線をそちらへやって、エティエンヌは困惑することとなった。


 全員だ。五人ともだ。エティエンヌを除いた突入班のメンバーは、揃いも揃って、まるで新兵のように身体を震わせている。


「お、お前たち……」


 精鋭のはずだ。何度となく死地を乗り越えてきた男たちのはずだ。


 そんな彼らが怯えているのか。ランドウォーカーの撃破経験もあるという部隊が、月下草むらに伏せて、戦場の恐怖に呑まれているというのか。


「……っ!?」


 弾かれたようにエティエンヌは身構えた。


 小さな音だった。不意に聞こえたそれは、空気が掠れたような短音で、十メートルと離れていない暗がりに発生した。


「何者だ……?」


 理解よりも先に問いを発していた。更には沸々と怒りの熱がこみ上げてくる。


 今の音は笑い声だ。失笑とでもいうべきものだ。


 この場に望んで怖気づいたような様子を見せる班員に呆れて、堪らず嘲笑った……そういうものであったと、最後に理解が及んだ。緑色の闇を睨みつけた。


「愚かしいことよ。ただ一心に生を満喫していればよいものを」


 男の声だ。耐え切れないとばかりに嘲りを臭わせて。


 敵か味方か……それとも別な何かか。判別できずとも班員に警戒を促す。引き金に指を添えて声の出所を探る。


「死を恐れるあまりに死に執着し、死を覗き込み、死を模倣し、死を歪める……」


 これは敵だ。恐るべき敵だ。背筋が粟立つ。


 ランドウォーカーか。それともスカイウォーカーか。あの黒衣の男とは違うようだが。


「死とは受容だ。拒めば傲慢と狭量を育む。死なずにいたとて腐るか乾く」


 どこだ。声は届けど何も見つからない。


「そんなことをしているから……化け物が生まれるのだ」


 吠え声が轟き渡った。聞き覚えのある狂猛さ。身を竦めずにはいられないような。


 エティエンヌは見た。屋敷の屋根の上に巨大な影が在る。ドラゴンがいる。先程までは確かに何もいなかったはずなのに、降り立ったわけでもなしに、手品のようにして。


 ああ……先んじられた。これは致命的だ。


 発砲音の一発も上がらない間に、火炎が吐き出された。白く染まる視界に目を眩ませて、エティエンヌは暗視ゴーグルを投げ捨てた。吹き付ける熱風に息がつまった。


 屋敷の正面は火炎地獄と化した。人も木も区別なく炭へと殺される高熱の海だ。


 夜の暗がりは禍々しく薙ぎ払われて、恐るべき巨獣が星をも落とすばかりに吠えている。


 熱い。されども寒い。


 エティエンヌは己の身体が震えていることに気づいた。


 死が、実にわかりやすい形で世界を覆い尽くしていた。



   ◆◆◆



 劫火と銃弾と咆哮と絶叫と。


 マリアは窓の外の光景に圧倒されていた。


 二度目とはいえ見慣れるものではない。ドラゴンなどという空想上の怪獣と人間の軍隊とが戦っているのだ。悪夢でなくて何であろう。


 世界が揺れている。このまま壊れてしまうのかもしれない。終末とはこれか。


 呼吸もしづらい。現実感が薄いと空気もまた薄くなるのだろうか。


「愚かな者たちです。火に集うては焼け落ちていく惑い蛾のごとくに」


 隣に立つアルファベータが、含み笑いでそんなことを言っている。


 手には摩訶不思議な力を発揮するステッキ……それを用いて、先まではドラゴンの姿を隠していたという。いかにも得意げに話していたから、きっと誰にでもできることではないのだろう。


 どこか世界を他人事のように感じながらも、マリアは思考する。


 もしも奇妙なる現実が魔法や奇跡の類でないとすれば。


 身を隠しようもない巨大な獣を見えなくする力……光を屈折させる力……それは何か。


 間違いなく象よりも重いだろう巨躯が屋根を破らなかった理由も合わせて考えたならば。


 その力とは、つまるところが重力ではあるまいか。


 空に孤を描く雲上カタコンペの存在も鑑みれば、魔法とも見紛う科学によって重力を操ることも可能なのかもしれない。アルファベータに手を取られ踏み出した夜空の感触をも思う。


「ウフフ……本当に愚かしい。愛しいばかりに」


 マリアは既視感を覚えた。


 火の色の凄惨を見下ろすアルファベータの様子は、まさにあの月下の空中歩行を思い出させる。


「不死を罪と断じながらもそれを欲する……いじましいことです。不死を忌み嫌いながらもそれに憧れる……初々しいことです」


 銃声と悲鳴とを伴奏にして、黒衣の不死人は歌っているかのようだ。声の響きに愉悦がある。


 やはりこの男は悪魔の類なのだろうと、マリアは静かに納得した。


「不死とは革命です。人類の希求した夢そのものです。なぜならば死を前提とした生物史から人を脱却させるのですから、科学の勝利というだけでなく、あらゆる思想、哲学の解答とすらいえるでしょう。人類は無数の死の果てに、遂にその境地にまで至ったのです」


 今まさに死が量産されている様を見渡す窓辺にて、彼はさも感動しているといった素振りで手を胸に当てた。歌劇役者のようだ。


「そしてそれは……宗教の終わりでもあるのですよ」


 やはりか、口元には笑み。敬虔さなどは欠片も見当たらない。


「死せずして死後を語る者に災いあれ。あるいは拍手喝采あれ。その愛らしき詐術に」


 炎に照らされて、アルファベータはいかにも気持ちよさげだ。


「優しくも淫らな偽りだとは思われませんか? 神の教えとやらは痛快なまでにサディスティックです。信じる者にマゾヒスティックな喜びを約束することにかけては他に類を見ません」


 舌なめずりがされたから、マリアは窓へと顔を向けた。


 幾度となく銃弾が飛来している。その全てが音も衝撃もなく滑り落ちていく。アルファベータの手にはステッキがあって、常に不思議な力を発揮し続けている。


「畢竟するに、不死化とは真の意味での洗礼ともいえましょう」


 燃える世界で軍隊とドラゴンが死闘を繰り広げている。


 人間が死んでいき、怪獣が傷ついていく……死をもって死を求める戦いを見据えながら、マリアは不死者に不死の何たるかを語り聞かされている。


「おわかりいただけると存じます。貴女様もまた不死となられたからには」


 マリアは奥歯を噛んだ。己の手の痣を見た。腹にその手を添えた。


 この身は不死である。己は既に窓のこちら側の存在に成り果てている。思えば音が遠い。隣に立つ悪魔の言葉ばかりが耳に明瞭に届いている。


「いかがでしょうか。不死人となった貴女の目には、この世界がどのように映っておられますか? 私としましては中々に見応えのある喜劇なのですが」


 声を立てて嗤うか、アルファベータ。心底からの侮蔑と愉悦とに表情を歪ませて。


 しかし……ああ……窓ガラスに映り込む黒髪の女もまた、惨劇を前にして涙も流さない。


「ほら、ご覧ください。実にわかりやすく弱肉強食が実践されていますよ? 誰も彼もが殺し殺されていく死の舞踏……つまりは私たちには滑稽な演目です」


 ドラゴンが炎の中へと飛び込んだ。牙と爪とで人間を蹂躙していく。喰い散らかす。


「おやおや、目を背けるには及びませんよ? 大丈夫です。人間は立派に抗いますとも。先にもそうであったでしょうに。果敢さを期待いたいましょう」


 爆発が連続した。手りゅう弾……それとも大砲か何かなのだろうか。詳細はわからずともマリアにはその暴力がドラゴンの火炎に勝るとも劣らないものと知れた。


 ドラゴンは横伏せに転倒させられた。


 ここぞとばかりに銃撃が勢いを増した。まるで鉄の嵐のようだ。多くが鉄の鱗に弾かれるも、やはり生物とは総じて腹部が弱点であるものか、皮膚を裂き肉を爆ぜさせもしている。


「いやはや、健気。まっこと、健気。そら、拍手を進呈いたしましょう」


 命の尊厳を冒涜する音を聞く。二度、三度、四度と。


「人間とは上下の格差をもって秩序とする傾向があり、軍隊においてそれは特に厳しいもの。あれらの必死は尽くが少数の上位者のため……新十字軍とは、とても素晴らしい組織のようですね!」


 見える全てを馬鹿にして、黒衣の肩が揺れている。


「ああ、実に献身的ではありませんか! 焼かれることで示される忠誠、喰われることで表わされる精勤、潰されることで明らかになる規律……どれもこれもが当人たちにとっては悲劇的で堪らないでしょうが……ウフフフフ……我々にとってはその逆なのですから堪りません!」


 悪意が人間の形を成したものをアルファベータというのかもしれない。


 その下僕のようにして残虐を為すドラゴンは、いうなれば殺意の権化か。


「そして同時に極めて利己的でもありましょう。一部の人間が不死に惑い、多数の人間を死に追いやってそれを省みることもないのですから」


 悪辣ですね、と嬉しそうに言う。彼にとっては褒め言葉なのかもしれない。


 眼下、火の海に暴力が吹き荒れる様へと己が心身を晒しながら、マリアは死について考えた。


 殺し殺される死……争いによる死……動的で、衝撃的な死だ。


 しかしマリアは別種の死もよく知っている。


 死に甘んじていく死……病による死……静的で、絶望的な死だ。


 静かなるが故になお一層惨たらしくもある死……マリアはそれを故郷にて散々に味わった。疫病によってだ。ゾンビ禍以前でもなし、新十字軍の駐屯する都市でなければ庶民が医療の恩恵を受けることは難しい。近隣の多くの村々が死滅したという。


 世界。


 地に国際的な連帯を失った人間が住まい、空に雲上カタコンペを仰ぐこの世界。


 ここは死に満ち満ちている。なんとなれば、生とはその始まりから既にして死を始めているのだから。


 そして思う。ならば不死とはなんぞやと。


 それが救いならば、どうしてかくも理不尽に感じるのか。


 それが災いならば、どうしてかくも人を惹きつけるのか。


 マリアは亡き両親を想った。


 訳もわからず子を孕み、不死となった娘のことをどう思うだろうか。そもそも己は未だあの人たちの娘で在れるのか。在っていいのか。愛していいのか。


「寒い……」


 マリアは呟いた。


 窓に触れたとて、伝わってくるのは夜の冷たさばかりだった。

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