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SKY WALKER  作者: かすがまる
第3章
15/46

不死に至る病・Ⅳ

 車の後部座席に座り、ガラス越しの夜を見る素振りをして……クラリスは答えた。


「……ええ。私は聖杯王とその組織の存在を知らされているわ。上級騎士として」


 街明かりの中途半端な明るさに薄らいで、隣に座るエティエンヌが鏡のように映っている。


「そうか……なら、追加の報告書は必要ないな」


 うつむいている。両の手を固く組んだその姿は祈る者のようでもある。


「マフィアの側からその話が出た、という点は改めて書面にしておいた方がいいと思うわ。でもそれは私の方で書いておくから大丈夫よ。その方がいいでしょ?」


 努めて軽い調子で、いつもの呆れ顔を意識してエティエンヌへと顔を向けた。


「……ああ。よろしく頼む」


 目は合わなかった。


 車内は注意しなければ息遣いの音も聞こえないほどに静かだ。運転席にはサイモンが、助手席にデヴィッドがいるというのに。


「……それにしても、エティエンヌが機転を利かせてくれて助かったわ」


 クラリスは車外を見る態に戻って、そう言った。


「直前に倒れちゃったの、完全に私のミスだもの。しかも美術館の中で銃を抜いたとか、交渉対象を殴りつけたとか、そういうのもなかったからね。この手の功績って、貴女、初めてじゃない? ドラゴン相手に大立ち回りした人間に言うことじゃないかもだけど」


 クラリスは窓に映る己の表情を整えた。


 とにかくも笑顔になってしまえばいい。明るい口調は後からついてくる。


「何もできなかったさ……まるで何も」


 沈んだ声だった。


「私には問う力が欠けていたから……ただ、言い聞かされてきただけだ」


 車中で隣り合うほどに近くにいても、今夜のエティエンヌは遠い。


 勇敢なる騎士のようではなく、さりとて悲嘆に暮れる少女のようでもなく……見知らぬ人物のようにしてそこにいる。苦悩を抱え座り込んでいる。


 吐息で窓を曇らせて……クラリスは居住まいを正した。エティエンヌを見据える。


「……貴女が会った人物だけど、もう人物照会が済んでるの」


 エティエンヌだけでなく、助手席からデヴィッドもまた視線を向けてきたのがわかった。


「大物だったわ。南仏を中心に広く欧州に影響力を持つ一家の御意見番よ。動きの早さから察して、トゥールーズが拠点だったみたいね。そう発覚することも恐れずの動きには焦りがある。余程の苦境にあるのかもしれない」


 クラリスは長い瞬きをした。それは言外のメッセージだ。上級騎士よ、機密情報の開示には注意すべし……そう注意を喚起してきたデヴィッドへの返答である。


 デヴィッド・G・ダイソン。


 この黒い肌の男は、位階こそ修道士と低いものの、クラリスよりも深く機密に関与している。その理由をクラリスは上級騎士になってすぐに知った。


 彼はピガール・ノワ銀騎長の腹心の一人なのだ。


 命令に従順で任務遂行能力も高いが、彼の行動には常に裏の意図がある……壊滅した兵站基地に派遣されていたことも、女子修道院へ増援された小隊のメンバーであったことも、どちらも偶然のことではあるまい。詳細は知らずともクラリスはそうと察している。


 この特別チームにおいてもそうだ。


 彼には独自にピガールと情報をやり取りして指示を受け取っている節がある。今回の美術館における顛末も自分が連絡を入れるより先に伝わっていたのだろうとクラリスは思う。


「貴女がマフィアから得た情報……組織の拠点かもしれない幾つかの不動産物件……これは鵜呑みにできないから、バックアップ班に任せることになったわ」

「……これから赴く場所はその組織の拠点ではないのか」

「拠点ではないわね。それでも調査する価値のある場所よ。異邦人通り以上に怪しい人間の集う場所で、しかも今夜はいつも以上に人が集まるっていうんだから」

「異邦人夜会、だったか……ギャバンさんはマークするばかりだな」

「ギャバンさんがマークされてるからでしょ。その点、私たちってここでは異邦人のカテゴリーに入るから嘘偽りなしだわ。紹介状は警察謹製の偽造品だけどね」

「警察はそこまでして新十字軍に協力するのか……」

「一応言っておくと……誘拐事件の解決のためではないと思うわ。多分だけど」

「ああ……そうだろうな。わかるよ」


 エティエンヌが溜息まじりに言った。


「警察は不死人についてどこまでを知り、新十字軍の力をもって何を狙っているのか……」


 顔を歪めて。疲労を滲ませて。


「難しいな……誰が敵で、誰が味方なんだ?」


 ごく素朴に、そう問う。


 エティエンヌの声が震えている。微かではあるが確実に。


 さもあらん、この世界は混雑を極めたチェス盤だ。争う駒は新十字軍とスカイウォーカーの二色きりではない。マフィア、国家権力、ランドウォーカー……そして聖杯王。


 マリア・ライミスという一人の少女の存在が、各勢力の衝突する焦点となっている。


 彼女の身柄の行方を思えば、現状、聖杯王が主導権を握っているというべきか。


 だからマフィアは新十字軍にすり寄って来るし、国家権力もまた協力を惜しまないのだろう。エティエンヌはそれを直感的に理解しているのだろう。


 そして……彼女の類稀な戦勘は、聖杯王の力をすら感じ取っているのかもしれない。


 聖杯王。謎に満ちた存在だ。


 新十字軍の調査力をもってしても、男性であることしかわかっていない。不死人かどうかも判然しないが、まず間違いなく尋常の人間ではない。複数の強力なランドウォーカーを従え、己以外の全ての勢力と敵対しているのだから。


 ところで、敵の敵は味方であるという。


 聖杯王の脅威が増大してきた今、新十字軍には宿敵たるスカイウォーカーとの間にすら共闘という選択肢が生まれつつあるのだ。最高機密であるそれを知ったならば、エティエンヌはどれほどに苦悩するだろうか。クラリスは胸を押さえた。


 車内には鬱々とした沈黙が立ち込めている。


 クラリスが何か軽口をでもと思い立ったその時、運転席から素っ頓狂な声が上がった。


「はっ!? おお!? 何だよ、夢かよ! おどかしやがって、コノヤロウ!」


 サイモンである。今の今まで居眠りしていたらしい。


 しきりに首を振って辺りを見回し、車内全員の顔を指差し確認する不躾を行って、よかったよかったと一人納得している。


「いやあ、ひっでぇ夢を見ましたよ。悪夢ですよ悪夢。新十字軍は最強だっつのに、俺らボロボロのメタクソにされちゃって……四人とも死んじまう夢なんだから」


 途端に車内はうるさくなった。


 背や首の関節をパキパキと鳴らし、サイモンはペチャクチャと舌をよく動かす。


「やっぱこないだのがPTSD的に作用してるんすかねぇ? ほら、ドラゴンが火ぃ吹いて皆死んじまったやつっすよ。あんまり呆気なかったから、何か未だに納得しきれてなくて……騎士が一矢報いてくれたのが、ホント、唯一の救いっつーか……しっかし、ま、悪夢なりによく寝たなあ」


 サイモンは背もたれをリクライニングさせてまで伸びをやろうとするも、エティエンヌの膝蹴りによって元の位置へと戻された。


「ひでぇ! あ、でも、何だろうこの既視感?」

「大人しくハンドルを握っていろ、サイモン。潜入作戦前でもある。騎士たちに迷惑を掛けるな」

「おお、デヴィッド。おはよう。いつ見てもクソ真面目に真っ黒いな」

「お前はいつ見ても真っ白い。成績劣悪を極めた少年の答案のようだ」

「馬っ鹿、お前、俺が大人しくテスト受けに行くわけないだろーがよ」

「馬鹿はお前だ。大人しくしていろ。不吉な発言をした上に騒々しい」

「は? 不吉とか関係ねーし。俺は幸運の女神に愛されてっからな!」

「尿意で危機を救う女神か……信仰したならば異端審問を免れまいよ」

「うへえ、火炙りはマジ勘弁願いてえわ。主よ大好きです。聖書万歳」


 旧知の仲という二人のじゃれ合いはコントか何かのようだ。どこまでも下らない。クラリスは呆れ笑いを漏らした。


 鼻を鳴らす音に隣を見れば、馬鹿馬鹿しくなったのだろう、エティエンヌは指をほどき背もたれへ身を委ねている。肩の力が抜けている。


 クラリスは流れに乗ることにした。


「もうすぐ時間よ。ヤング修道士、おトイレは大丈夫なんでしょうね?」

「バッチリっす! 何たって今夜は経費で酒場へ繰り出すチャンス!」

「言っておくけど、運転手は禁酒だからね」

「はあ!? んな馬鹿な! そんな無法が通るとでも!?」

「馬鹿はお前で、法を破ろうとしているのもお前だ。サイモン。上級騎士の命令を復唱しろ」

「エティエンヌ、エティエンヌ、貴女の推薦した彼が物凄く馬鹿なんだけど?」

「……どうしろというんだ」


 小さく電子音が鳴った。戯れ合いはこれまで。潜入調査の時間だ。


 クラリスはバッグの中に手を入れ、小口径拳銃の冷たい感触を確かめた。



   ◆◆◆



 雑居ビルの端で軽薄そうな男が煙草をふかしている。


 エティエンヌが近づくと、不躾な視線が身体を舐めまわしてきた。それはしかし女性的特徴を見定めるものではないようだ。額の縫合跡と手首の包帯に目を止め、胡散臭げだ。


「飲みにきた。通してもらおう」


 そう告げると、男は返事もせずにエティエンヌの背後へと顔を向けた。


「二組ね……なるほど」


 何をどう納得したものか、男は頷き、手の平を見せて来た。便箋ごと紹介状を渡し、確認を待ってから百ドル紙幣を二枚渡した。


「もう始まってるぜ。荷物置き場は奥、料理は裏手、飲み物はカウンターだ」


 どうでもよさそうにそう言うと、男はそっぽを向いて振り返る気配もない。


 幅の狭い鉄扉を開くと、中はすぐに地下へと降りる階段になっていて、奥からねっとりとした空気が騒めきを孕んで立ち昇ってきた。


「早く行きましょ。一人五十ドルも払ってるんだから、しっかり楽しまないと」


 後ろからクラリスが急かしてくる。その演技に乗ずることは難しかったから、エティエンヌはただ黙って先へ進んだ。


 暗く急な螺旋階段を降りていくにつれて熱気と喧騒は増していく。生々しい臭いも鼻につく。アルコールや香水、汗や埃……その生々しさにエティエンヌは少しむせた。


 地下会場は全貌を見渡せないほどに人が溢れ、蠢いていた。


 多様ながらも総じて異邦人の奇矯さを感じさせる者たちが、唇を釣り上げ声を張り上げている。何か大変な秘め事を共有しているかのようにして、互いに他を求め認め、己を訴え合っている。


「うわ、何この空気……これに交じるのかー」

「わあ、いいっすね! これは面白そうだ!」


 クラリスとサイモンが真逆の反応をし、どちらも「何を言ってるんだコイツ」という顔をして相手を見やっている。デヴィッドは楽しげに微笑んでいるが、周囲を見渡すその眼光は鋭い。この空間を様々に把握しようとしているのだろう。


「それじゃ、手筈通りにね。くれぐれも油断しないように」


 クラリスの言葉を合図にデヴィッドとサイモンが離れていった。前者は偽りの友好的態度をまとって悠然と、後者はリードから解き放たれた馬鹿犬のように猛然とである。


 エティエンヌはクラリスとペアだ。細心の注意を払って彼女を護衛しなければならない。


「さてと、まずはドリンクを取りにいこっか」

「了解」

「ちょっと。口調どうにかして」

「了解した。善処する」

「あ、あのねぇ……何一つ理解してないし対処してないんだけど……」


 油断は大敵だ。この場には不死人が紛れ込んでいる可能性があり、接敵したならばクラリスを安全圏まで退避させることが最優先事項となる。透視能力者は新十字軍の宝である。


 目に付く端から人相を確認していく。


 エティエンヌの脳裏には不死人の疑いのある人物たちの顔写真が十数枚と記憶されている。新十字軍の情報と警察のそれとを照合した確度の高い情報だ。


 ハァ、と聞こえたのはクラリスの溜息か。


「ま、いいけどね……この雰囲気じゃそう目立たないだろうし。誰も彼も妙な目つきをしてるというか……ギラギラしてるというか……普通じゃないものね」

「クラリス、私から離れるな。ここにいる連中はどいつもこいつも怪しい」

「う、うん。離れないけど……貴女も相当に普通じゃないわよ? 殺気だってるなんてもんじゃないわよ? 変な意味で周りに馴染んじゃってるわよ?」

「何を言っている。気を抜かず真面目にやれ」

「うわ、逆に注意された……って、あれ? でも、私の方が浮いてるんだったらエティエンヌが正しい? いや、でも、何か釈然としないんだけど……」


 ブツブツと呟くクラリスへペットボトル入りの水を渡し、エティエンヌもまた水を口にした。唇を湿らせる程度にだ。


 そして目を凝らし、耳を澄ます。ここは戦場だ。感覚を鋭利に働かすことは必須事項である。


「おい、聞いたかよ。凄ぇ商品が売りに出されるかもしれねえって話」

「商品? ああ、免罪符……マフィアが売り出してるやつ」


 雑音の中から聞き分けたのは、若い男女の会話だった。


「どうせまた紛い物よ。あいつら、本物はいっつもお得意さんのとこへ納める」

「いやいや、今回のは違ぇんだよ。何せそのお得意さんのところから流出したらしいからな」

「それは……北の方でドンパチがあったっていう、あれのこと?」


 柱の陰で話しているようだ。クラリスへ目配せすると頷きが返ってきたから、エティエンヌは静かに移動を開始した。暗がりに紛れて柱の側へ寄る。


「品質についてもこれまでとは違ぇんだ。食んで罪が軽くなるどころか、一足飛びに免罪されるっていう代物らしいぜ? 偽物ならそうまで言えないだろ?」

「まあねぇ……すぐに効果があるなら、誤魔化しようもないわね」


 男女はどちらも身なりがいい。装飾品も高価なものをつけている。


「それで? 予約段階なの? それとも現物がもうあるの?」

「予約も始まっちゃいねえ。連中は何も宣伝してねえんだ。それでも、もう競り合いじゃ相当に高値がついてやがる。わかるやつにはわかるんだ」

「普通じゃないってことね……その分、信憑性が増すわ……!」

「ああ。商品数もわからねえし、急がねえと……!」


 焦りとも高ぶりともしれない吐息を二人重ねて、男女は祈るように言った。


「早く赦されてえなあ……死んじまうことから」


 敬虔にすら聞こえる、男のその声。


「若いうちにね。年寄りになってからの不死なんて、意味がないわ」


 傲慢さに裏打ちされた、女のその態度。


 続けて聞こえてきた水音は、死の真逆にあるような行為によるものだ。淫らで、妖しく、狂おしく……性の悦楽と生の愉悦とが分かち難く混じり合って……どこまでも生々しい。


 見渡せば、暗がりには似たようなカップルが幾つも見つけられる。中には複数人が一人に群がっている一画もある。組み合わせにしたところで男女とは限らず年齢差も様々だ。


 熱気の正体はこれか。


 汗、涎、尿、精液、血液……人間から生じるありとあらゆる体液の臭いが、人いきれに混ざり込んで広く漂っている。風なき地下空間にあっては逃れようもない。


「まるでサバトだ……」


 エティエンヌは淀みにはまった己を想像し、空気を求めるようにしてペットボトルの水を飲んだ。喉を下る冷感に魔除けの効能を求めた。


 クラリスはと見やると、シルバーブロンドの可憐なる彼女は、一点を呆然として見つめている。その視線を追うと、暗がりの中でも特に妖しさに満ちた一画へとぶつかった。


 一人の女が複数の男に囲まれて……一人でそれらを貪り食っているような、そんな小集団だ。


「な……馬鹿な……!」


 艶めかしい白さを晒す足に、エティエンヌは見覚えがあった。


 乱れ髪の奥から妖美を垂らし、男の首に喰いつくようにして……その女は笑んでいる。


「修道女モイレイン……!」


 あの夜、農業顧問メタコムと超常の戦いを繰り広げていた女が、あられもない姿でそこにいた。

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