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SKY WALKER  作者: かすがまる
第3章
14/46

不死に至る病・Ⅲ

 クラリスは恐れおののいていた。


 今見る光景は過去か未来か。現実の自分はどうなってしまったのか。


 透視とは祝福というよりは呪詛であり、授受するというよりは受難するものなのかもしれない。もとより制御の利かない能力であったそれが……暴走している。


 灰色のロングコートを羽織ったその男は、一振りの刃なき剣を手に、ありとあらゆる不自然を斬り裂いてきた。


 スカイウォーカーを斬った。ランドウォーカーを斬った。


 人から変じた大小様々な怪物を、神話のような三つ目の多種多様な化け物を……見えず聞こえずの斬撃でもって葬り去ってきた。誰も彼を止められやしなかった。


 ユーラシア大陸を広く旅したその男は、いつしか欧州へと入った。


 ゾンビ禍を経て新世界秩序の中心となったこの地においては、自然、男の戦いも激しいものとなっていった。人が多ければ多いだけ、そこには不死が巣食っていたから。


 見覚えのある風景……それは新十字軍の兵站基地だ。そこでも男は斬る。大きな水槽の中に眠る怪物を、いとも容易く両断してのけた。


 新十字軍の兵士たちが銃を手に迎撃戦を……いや、拠点防衛戦を展開している。未知の武器を振るう男に対して弾幕を張る。怪物の眠る水槽を護るようにして。


 しかし通じない。弾丸は男をかすりもしない。男の恐るべき戦闘能力を前にしては、アサルトライフルも玩具か何かのようだ。


 部隊の指揮官が……ああ、デヴィッド・G・ダイソン修道士か……彼が指示して火が放たれた。爆薬すら用いて、怪物の水槽ごと男を葬ろうという大胆な作戦だ。


 いや、冷静沈着な彼のことだ。それは端からこの基地の実態を隠滅するためであったのかもしれない。そういう指示を受けていたのかもしれない。


 切れ切れに聞こえているのは怪物の悲鳴か。


 火炎と爆発と黒煙とに蹂躙される基地から、男は呆気なく脱出した。その灰色のロングコートには僅かな煤汚れも付着していない。


 そして夜闇の森を駆ける。


 その疾走は次なる戦闘への助走であり、新たなる犠牲者への追走だ。


 墓地では二人の不死人を斬った。どちらもランドウォーカーだ。まるで相手にならなかった。


 老婆の姿を擬装するほどに臆病で、新鮮な死体から糧を得ようとするほどに控え目で……つまるところが弱々しかったから。


 男はあの夜にも獲物の匂いを嗅ぎつけていた。


 修道院を遠目に見る丘の上から、じっと事の成り行きを見守っていたのだ。


 ドラゴンが建物を突き破って現れた。相対するのはエティエンヌだ。その手には散弾銃を持つ。空中には黒衣の不死人がマリアを連れて浮遊している。その手には……ステッキ。


 いけない。あれをエティエンヌに向けさせては駄目だ。


 戦慄けど目を背けられず、叫ばんとしたところで見ることしかできない。


 しかし……ああ……生き残ってくれた。それでこそ、エティエンヌだ。


 どんな敵が相手であれ、彼女は怯えることも弱気になることもない。怨恨と憎悪に塗れていてなお彼女の勇敢なる精神は眩いばかりだ。誰に恥じることもない在り様がそこにある。


 現実に向き合うに真摯であり、物事に取り組むに誠実であり、困難に抗うに健気だ。あまり賢くなく、短慮で、不器用ではあるけれど……それも純朴さの表れだ。


 清廉なる勇者なのだ、彼女という人間は。


 ドラゴンが咆哮を上げ、舞い上がった。黒衣の不死人とマリアを背に乗せ、南へと飛んでいく。誰もそれを止めることができない。呆然と見送るよりない。


 男は違う。喜々としてドラゴンを追う。灰色のロングコートをひるがえして。敢えて襲わずにいたのだ。飛び行く先を知るために。より大きな獲物を斬らんと欲してのことだ。その機会を得られると確信してのことだ。


 風景は流れ時間も流れて……赤い街並みが見えてきた。やはりトゥールーズだ。この古き都市のいずこかに敵の潜む影闇がある。


 男が歩いているのは……古錆びた回廊だ。


 ガーゴイル像が幾つも立ち並んでいる。それらは基本的には雨どいだから、本来は横向きに設置されるべきものだ。縦に置かれると遠吠えでもしているかのように見える。


 ゆっくりとした歩みだ。


 柱に施された彫刻をつらつらと眺める。天使が悪魔を踏みつける彫像の前では鼻を鳴らした。聖人像を一つ一つ値踏みするかのように確認していく。不遜な態度だ。


 その足が止まったのは、奥まったところに展示された聖母子像の前である。


 不思議な像だ。


 聖母が幼き神子を抱える様を描いた宗教芸術は数多いが、それは慈しみに満ちた表情と構図であることがほとんどだ。苦難を思わせる表情であってもそれは母性に基づく憂慮であり、愛情表現であることは変わらない。


 ところが、この像は違う。不可解だ。


 聖母と神子との間に距離がある。しかも両者はまるで逆の方向へと視線を投じている。表情もどこか心ここに在らずといった風で、感情の判別が難しい。


 まさか……いや、しかし、これは……。


 そこに神聖さを探そうとすれば神秘的であり感動的でもあろう。鑑賞する者それぞれの心に宿り起こる美があろう。


 しかし、俗なる視点で現実的な母子を思えばどうか。育児の一場面として見ればどうか。


 愛情が……感じられない。


 母は大切に抱きかかえるというよりは、面倒だと言わんばかりに子から身を離している。子はそれにも気づかず何かに夢中になり、母へ背を向けている。


 母子ともにそっぽを向き、二人の間には冷淡な空気が流れている。


 あるいは、この母は子を疎んじてすらいないだろうか。


 文字盤によれば、この像の呼称は『グラースの聖母』とある。製作者は不明らしい。像が表現しているものの正解は不明ということか。つまらない作品であればそれもよかろうが、この母子像は周囲からも群を抜いて美しい。


「……予兆はあったということか?」


 男が何事か呟いている。


「お前は、それと気づいていて、聖母と聖杯とを置いて去ったのか? そうだとすれば、いかにもお前らしい無責任さだな……これ見よがしに像までこさえて、訓戒をでも垂れたつもりか?」


 何を言っているのだろうか、この男は。


「ならば探したいものだ。お前が黒髪の手弱女を足蹴にでもしている像を。己にかまけて鬱屈とした心情……それをさも崇高なもののように吐露したのだろう、唾棄すべき彫像をな」


 聖母子像を前に、まるでよく知る誰かへ語りかけるようにして言葉を重ねていく。


「嗤ってやるぞ。かつては雲上最強を謳われたというお前の、その恥ずべき惰弱を……!」


 男は肩を揺らす。愉快げに。腹立たしげに。何か堪らない衝動に震えて。


 そんな様は傍目に不審者でしかなかったのだろう。


 美術館の係員と思しき男がやんわりと注意してきた。ここを出て次の展示室へ向かうよう促してきたのだ。順路としては回廊に戻り北側の旧教会展示室へ進むものらしい。


 男は大人しくそれに従い、回廊へと出た。


 チラと周囲を見回す。おかしい。周囲から人気が失せていく。男の他にも誰かが展示室を追い出されたようだ。デヴィッド修道士だ。


 それは……つまり? この映像は……いつの?


 灰色のロングコートをひるがえして、男は隅の大柱の陰へ身を潜めた。どういう仕掛けなのか、それだけで誰も男に気づかない。コートの内側で刃なき剣が低く唸るような音を立てている。


 回廊の奥から誰かが来る。老人だ。ダークグレーのスーツは高級品のようだ。


 係員が丁重に老人を招き入れた。あの美しくも奇妙な聖母子像が展示されている部屋へだ。


 鐘が鳴った。


 何か差し迫った音色の多声音楽だ。遠いはずのその音が近く聞こえて心をざわめかせる。幾重にも反響して世界を慌ただしくしていく。


 急かすように刻まれる靴音は……誰のもの?


 生き急いでいるようなその音は……一体、誰が?


 ああ……やはり。やはり。


 凛然として颯爽たる少女騎士が、亡兄の銃に決意を込めて現れる。エティエンヌと名乗るセシルが、追討者のように復讐者のように。



   ◆◆◆



「フゥム……ドラゴンスレイヤーのお辞儀か。まあ、いいだろう。そういうことであれば、誠意をもって情報を提供しよう。細心の注意を払い、今、お前に必要であろう情報をな」

「……よろしく、頼む」


 クラリスのようには振舞えない。しかしクラリスの期待には応えたい。


 そう思えばこそ、エティエンヌは己の激情を押し殺している。


「わからないことがあれば質問することだ。何しろお前は多くを知らない上に考える頭もなしでここにいる」


 老人の言動は絶えず心を逆なでしてくる。表情や仕草も何かにつけ腹立たしい。


「余程に親切で優秀な人間か……あるいは厚顔で狡猾な人間が、お前の側にいるのだろうな。さもなくばそうも無邪気に騎士などやっていられまい」


 それでもエティエンヌは堪える。これも戦いと思えば、それができた。


「そう……そのように自らを律しているといい。暴力に対する礼儀は服従を意味するが、武力に対するそれは政治を意味する。私は政治をしに来たのだからな」


 老人はそう言うなり、フイと視線を聖母子像へと戻した。


「最上の商品は、今、とある組織に囚われている。ランドウォーカーによる恐るべき組織にな」


 そう話しつつも、まるで値踏みをするような顔で聖母子像を見続けている。露骨なまでの油断と隙だ。


「そしてその組織の保有する不動産についてだが……」

「待て。二つ質問したい」

「早いな。しかし一々に返答しよう」


 背後に立つことを嫌い、横へ回った。それでも老人はチラとも視線を寄越さない。


「最上の商品とは、何のことだ?」

「無論、あの黒髪赤眼の少女のことだ」

「マリアを商品と見るのか……人間を値踏みしたその結果が最上だと」

「立場が変われば見出す価値もまた違う。呼称もそれぞれだ。新十字軍は繁殖種馬と呼び、スカイウォーカーやランドウォーカーは聖母と呼ぶ。それだけのことだ」

「……マリアのことをずっと付け狙っていたということか」

「くれるのならば貰おう。機会があれば奪おう。しかし我らはか弱い。スカイウォーカーや新十字軍、果てはランドウォーカーまでが狙うとあっては些かと言わず荷が勝ちすぎる」

「我々を不死人たちと同列に扱うな。新十字軍はマリアを狙ってなどいない。スカイウォーカーから保護する目的で動いている」

「いいや、間違いなくお前たちは同類だ。傘下の女子修道院に囲い軟禁し、村から若い男を排除し、近隣に軍を配して空への監視も怠らない……それを保護と言い張り、今回の騒動を所有権争いでないと考えるのならば、お前は少し純情に過ぎる」


 老いた吐息は錆び乾いた音がした。


「地上最大の軍事組織が善意で動くものか。雲の上に宿敵を抱えてすらいて」


 つまらなそうに肩をすくめて、老人はそんなことを言った。


「そんなことは……!」


 否定しようとして、言葉が続かなかった。エティエンヌはゴシック展示室の方々へ視線を彷徨わせ、気づけば己の足元を見下ろしていた。


 否定する根拠がなかった。それが惨めだった。


 だから、何としても反論しないではいられなかった。それをしないでは腹の底から何もかもが零れ落ちていってしまう気がした。


「……私は、人身売買など認めない」


 口をついて出たのは、己の信条だった。


「人は気づいた時には生まれている。それでも、気づいたからには……自分を持ったなら、自分で自分の生き方を決めるべきだ。先天的な何事にも縛られないで、希求するものを……自分を決める権利を有し続けるべきだ。きっとそれが人権だ。結果の幸不幸ではなく、その自由が」


 言葉を探し、言葉を重ねていく。戦うために……己の戦いを誇らしいものとするために。


 それはしかし、老人が鼻を鳴らしたことで威力を失った。


 凍てついた双眸がエティエンヌを見据えている。僅かにも心を動かさず、まるで片付かないゴミを前にしたかのようにして。


「口振りからして恐らくは奴隷市場のようなイメージを思い描いているのだろうが、それは誤りであると言っておこう。我々は罪なき人間を売り買いなどしない」


 老人は枯れ枝のような指を聖母子像へ向けた。


「ただし不死に病んだ人間であれば話は別だ。それが高嶺の花であり高値の株であろうとも、花であれば散った後に、株であれば細分化された後に我らは関わるだろう。不死の商人として」


 指が空中で二度三度とひるがえされている。


 祈りの作法と似て非なるそれは……手刀だろうか。何をどのように切り分けているのか。


 エティエンヌもまた聖母子像を見た。


 不思議な造形だ。母子は向き合わず、それぞれに己の興味関心の先へと顔を向けている。母の方には疲労があるから安息を求めているか。子の方には熱望があるから刺激を求めているか。


 ああ……そうだ。その通りだ。人は己の求むるところのものを選び、生きるべきだ。


 たとえ親子であっても二人の人間がいれば二通りの人生がある……そんな当たり前のことが示されていやしないだろうか。物言わぬ母子の在り様によって。


「それで? もう一つ質問したいこととは何だ?」


 促されて、エティエンヌは瞬きを数度繰り返した。唾を飲む。


「……ランドウォーカーによる組織とは、何だ? そんなものがあるのか?」

「さても度し難い無知だな。哀れみをすら覚える」


 言葉とは裏腹に見下げ果てたような顔を向けてきながら、老人は言った。


「ランドウォーカーは個々に人間社会へ紛れて暮らしているが、その特殊性ゆえに相互扶助のためのコミュニティを幾つか形成している。それらは背徳的ではあれども概ね無害で、別段恐れるに及ばないが……」


 吐息交じりの口調の奥に、何か隠し切れない感情の火が感じられる。


「どこか東の方で、一人の指導者の下に一つの組織が作られたようだ」


 名前はない、と吐き捨てた。


 そこに悔しさのようなものを垣間見たから、エティエンヌは察知した。


「名乗らずとも通じる組織……それはつまり、名乗る必要がないほどに強大ということか」

「ホォウ? 敵を嗅ぎ分け力を計る能力は備わっているらしい」


 老人は僅かに目を見開くと、瞬きを一つして、ついと顔を横へ向けた。


「攻撃的で唯一無二の組織だ。何しろランドウォーカーでありながらもランドウォーカーを襲い、服従させ、雲上への敵意もまるで隠さないのだからな。新十字軍と事を構えたという話は聞かないが、それも時間の問題だったのだろう」

「ランドウォーカーがランドウォーカーを襲う……不死人が同士討ちをしているのか……」

「……その組織が、近年になって欧州へと進出してきた。そして我々に対して高慢な態度で服従を要求している。奴隷のように這いつくばれば餌をやると。さもなくば目に付く端から殺すと」


 忌々しそうに……恐ろしそうに、老人は聖母子像を見ている。


「ファミリーの食卓に穢れた餌など並べられるものか……!」


 怒りがあった。恐怖に抗するための力が声に込められていた。


「新十字軍に協力もするというものだ。世俗を嫌い世捨て人のようであることが、不死人どもの唯一誉めそやすべき良識であり、我々が生き延びる最後の縁であったものを……かの組織はおぞましいばかりの欲得を露わにして、我らを脅かしているのだから」


 その視線は一つ所に集中しているようだ。


「お前たちもまた我らの協力を欲しようというものだ。その組織こそが、新十字軍とスカイウォーカーとの間に据え置かれていた最上の商品をば横から掠め取ったのだから」


 神子の顔を睨みつけて、老人は苦々しげに言った。


「『聖杯王』……そう呼ばれる者が作った組織がな」

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