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SKY WALKER  作者: かすがまる
第2章
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悪魔来たりて・Ⅳ

 エティエンヌは草むらへと跳び込んだ。手招きする手が見えたからだ。


 果たしてそこにはサイモンが潜んでいた。煤けた顔には必死な表情が張り付いている。


「生きていたか! 修道士!」

「ま、とりあえずは……いやしかし、そちらもよっく生き残りましたね! 今の火炎!」

「……あれでやられたのか、他の隊員は」

「アンブッシュで灼熱のブレスっすよ? あんなもん、どうしようもねえですわ」


 笑おうとしたのだろうか、引き攣るような呼吸音が二度三度と聞こえた。


「修道士はどうやって……」

「笑ってくれていいっすよ。女子寮に入るってんで、緊張から少々もよおしまして……」

「小便!? 中庭で立ち小便をしていて助かったか!」

「いや、まあ、その通りっすけど……騎士はホントに男らしいなあ」


 そんな問答をしつつも、エティエンヌはドラゴンを注視し続けている。


 黒い鱗に包まれたその巨躯は回廊の一画を文字通りに塞ぎ、火の色に揺らめく赤眼を中庭へと向けて隙がない。よく見れば三つ目だ。額にも縦に見開く赤光がある。


「ずっとあそこに居座っているのか? 狭くて動けない、というわけでもなさそうだが……」

「お行儀よく、あの通りっすわ。ただ寄宿舎の方へ行こうとすると火が来ます。これ、この通り」


 サイモンは下半身をひどく火傷している。ブーツが融けて原型を留めていない。


「まっさか、そういう習性の生き物ってわけでもなし……ありゃあ普通に邪魔してるんじゃないっすかね? ここは通さねえぞ的に。何がしかの目的をもって」

「マリアが狙いか!」

「だとしたらマズイっすね。もう随分と時間が経っちまって……」


 エティエンヌは歯噛みし、ベネリ散弾銃を握りしめた。


 持ってきて正解ではあったが、充分ではなかった。ドラゴンが相手となれば少なくとも象打ち銃以上の威力が必要だろう。


「修道士、何か武器はあるか」

「あー、グレネードは通じなかったっす。こいつも何発か当ててはみましたが……」


 FAMASに手を添え、サイモンは口惜しげだ。


「ありゃほとんど鎧っすね。鉄の鱗ですもん。それにあの体重っすからねぇ……小口径弾じゃあ」

「そうか……悪い夢でも見ている気分だ」

「夢なら覚めてほしいっすね。マジで。あんにゃろう、撃っても怒って火ぃ吹きますからね。むしろ永遠の眠りにつくとこでしたわ」


 何としてもマリアを護らなければならない。


 そのためにはドラゴンを倒さなければならないだろうか?


 エティエンヌは知る。一つの犠牲を覚悟しさえすれば、別な手段があることを。


「……修道士」

「モチのロン、わかってますって。こっから援護しますんで別ルートへどうぞ」


 サイモンの顔を見る。その無理矢理な笑顔を目に焼き付ける。


「すまん……頼む」

「了っ解。ドンとお任せあれってなもんですよ」


 頷き合う。戦士同士だ。もう言葉はいらない。


「ほんじゃ、ぶちかましますか! こいつの連射力をとくと御覧じろってんだ! 黒くでデカくて化け物なトカゲ野郎め!」


 サイモンが膝立ちでヨタヨタと進み出でて、FAMASのバースト射撃を開始した。跳弾が修道院の歴史と伝統を破壊していく。その土煙も利用して。


「どうした! オラ! 火でも何でも吹いてこいや! その口にズバリお見舞いしてやるぜ!」


 戦火とは人物の本当のところを炙り出す。その献身と勇敢をも活用して。


 エティエンヌは駆けた。三点射のリズムに背中を押され、煤を吸い、熱気に奥歯を噛みしめて。


 建物を迂回して寄宿舎の裏口を目指す。もしもそこすら塞がれていたのなら、外壁を伝ってよじ登ればいい。窓を割ろうが、貴重な彫刻を踏み壊そうが、構いやしない。


 今夜前例のない戦場と化した修道院においては、もはや何をしたところで非難されるには及ばず、何が起きても驚くには値しないのだ。


 だから、この光景も受け止めなければならない。


 悪夢の上に悪夢が重ねられたとて、正気を失ってはいけない。


「ハッハッハ! いい加減にしたまえ、修道女! その罪を赦されたければ!」

「アッハッハ! いい加減死んだら? 先住民! その白シャツを赤くして!」


 木々を倒し、崖を飛び跳ね、凄まじの速さで戦う者がいる。


 農業顧問メタコムと修道女モイレインである。


 両名が繰り広げているのは異常を極めたかのような戦闘だ。重力を感じさせない身のこなしもさることながら、互いの得物が奇怪にして正体不明だ。


「堕天しただけでは飽き足らず、聖母を謀りかどわかそうとは……何たる罪深さか!」


 メタコムは相変わらずの白シャツ姿で、手前に鮮やかな布飾りのついた手斧……トマホークを振り回している。顔立ちや肌の色もあって、なるほどアメリカ先住民のようだ。


「聖なる志を持つ者が魔女と貶められたその挙句に、真実、魔女となる! 何という退廃と堕落であろうか! 罪と知りて罪を為すことの大罪! 今こそ悔い改めるべし!」


 しかし近接武器であろうそれを振ることで五十メートルは離れた先の岩を砕けるというのはどうしたわけか。そら、今もまた。目の錯覚でも偶然でもなく、あれはそういう兵器なのだ。


「相変わらずの教条主義ね、空の上の御老人たちは! 干乾びた言葉ばかり重ねて!」


 対するモイレインは修道服を裂いて太ももを露にしつつ、しなやかなバトンのようなものを握っている。表情といい、ガーターベルトとブーツの組み合わせといい、扇情的で背徳的だ。


「少しばかり超人だからといって神の沈黙を誹り、神を代行し、神を気取る……何て滑稽なのかしら! 不死であろうとなかろうと、人間に生まれた者は誰もがたかが人間だというのに!」


 鞭……だろうか。モイレインがバトンを振るたびに大気がうねる。思わぬところが弾け飛ぶ。不可視の攻撃がやはり数十メートルの間合いをものともせずに放たれている。


「知っていて? 天使を自称する自分たちが、地上では空の不死者……スカイウォーカーとしか呼ばれていないことを! 神の国へ続く虹を建造したつもりでいても、雲の上の墓場としか見られていないことを!」

「何と憐れな……誹謗中傷に塗れて変節した者の慟哭が聞こえるではないか! 人間を教え導くことは勤めであり喜びであろう? 掲げた理想の美しさを、素晴らしさを、結論を急がず諄々と諭し悟らせることこそが教化であろう?」

「教化! アハハ! 聞いて呆れるわ! 偉そうにしていれば偉くなれるとでも? 偉いと思われるとでも? 教室の外で花やら土やらをいじっていたところで、誰も見てやしないわよ!」

「誰に見られずとも花は咲く! それは既にして奇跡なのだ! 出会いが、気づきが、発見が、そのようにして準備されていることこそが肝要なのだ! 我々は永く見守ればそれでいい!」


 斬り結んでいるとして、それは武器によってなのか言葉によってなのか。


「聖性を模して己の驕りから目を背ける……愚かしいわ! ゴーストダンス!」

「妄言を吐いて己の弱さから目を逸らす……嘆かわしや! アリス・キテラ!」


 モイレインがメタコムをゴーストダンスと呼び、メタコムがモイレインをアリス・キテラと呼んだ。互いの渾身の一撃が繰り出された。


 見えず聞こえず、ただ破壊力のみを発揮する何かがぶつかり合う。


 それは火も煙も伴わない爆発を生んだ。さながら嵐だ。


 避けようもなく巻き込まれ、エティエンヌは石造りの壁へ叩きつけられた。飛びそうになる意識を、下唇を噛み締めることで引き留める。


 息を吐いて、気づいた。唐突な静寂が辺りを包んでいる。


 銃声が聞こえない。新十字軍は……怪物とドラゴンはどうなったろうか。あの二人の声も既に遠ざかった。超常の戦闘はその舞台を崖の下方へと移したようだ。


 悪夢がその凄まじさを緩めて、夜風が頬をそっと撫でていく。


「……ゴーストダンス? アリス・キテラ? 片方がスカイウォーカーなら、もう片方は何だ? ランドウォーカーなのか? あの礼拝堂の男もどちらかの仲間なのか? ドラゴンはどちらの? 怪物は?」


 舌の上にモゴモゴと弄んだ疑問を、エティエンヌは唾棄した。


「神話も、魔法も……随分と安っぽくなったじゃないか。急に」


 下の歯に血を絡めながら、呟く。


「だが……認めない。認めてなるものか」


 背の痛みを堪え、立ち上がる。


「こんなものが……こんなにもくだらないものが、神と悪魔の闘争であるわけもない」


 腰の拳銃に触れる。亡き兄の愛用品であったスプリングフィールド・オメガだ。手にはベネリ散弾銃を構える。高い完成度を世界に誇る後期モデルだ。


「真夜中に女子供を逃げ惑わせ、祈りの家を戦場にして殺し合うなど……人間同士ですら、とうの昔に恥じて禁じた戦争犯罪だ! 神聖さが聞いて呆れる!」


 戦意を新たにして走る。寄宿舎はすぐそこだ。


「マリア……無事でいてくれ……!」


 好悪の情も、任務へのこだわりも、何もかもをかなぐり捨ててエティエンヌは吠えた。


「こんな夜に、高潔なお前が傷つく必要などないんだ!」



   ◆◆◆



 マリアは押し黙り、身じろぎもせずに、ただ見据える。


 そうやって、黒き悪魔のようなアルファベータの言葉を聞く。


 清浄なる正常が消え去って魔性の支配するところとなった今夜、己にできることは己を律することのみと思い定めているからだ。


「勘違いなさいませんように。何も聖母の純潔を汚そうというわけではありません。貴女様を丁重にもてなすよう仰せつかってもおりますれば、傷つけるつもりなど毛頭ございませんとも」


 偽りの笑みの向こう側から貪欲さが洩れ出でている。


 目を背けてはならない。生々しい欲望を否定すれば現実が見えなくなる。


「ただ……私、久しく飢えと渇きとを満たしておりません」


 蛇のように長い舌だ。情欲に濡れている。


 それを愚かしいとは謗るまい。人も獣も等しく欲望に駆られる生き物だ。


「不死もまた生き物。飲食を欲するは自然の理でございましょう? そこへの理解があってはじめて取引が成立いたします」


 靴音もなく近寄ってくる。黒く紳士を擬装した何かが。


 目を逸らしてなるものか。恐るべきものに対してこそ弱みを見せまいぞ。


「ところが、私としては大変困ったことに……我が主はそこのところが極めてシビアにございます。期待する者を呪縛すること男を惑わせる美女のごとし、とでも申しましょうか。我が主人は男性でございますが」


 もうベットの端にまで来た。歩かず、滑るようにして。


 嘆いてはならない。運命とはいつも音もなく近接する。時間と同じようにして。


「おっと、愚痴になってしまいました。先程のお疑いを深めてしまうかもしれませんが、かのメフィストフェレスの伝説が詳らかにしておりますように、神秘の契約とは最上の報酬を最後のお楽しみとばかりにお預けとされることが常でございます。承服いたしておりますとも」


 爽やかに見せたいのだろう、いやらしいその笑顔を艶めかせて……手の届く距離へ。


 毅然として応ずる。もはや手中と思われたとて、ここでどうして屈しよう。


「ほんの僅かで構いません。聖母の貴き血を賜りたく存じます」


 アルファベータはひざまずき、床にシルクハットを置いて、クイと顎を上げた。


「さ、どうぞ御手より直接に」


 シュルリと素早く舌が出し入れされた。


「無論、お気づきなのでしょう? その身に聖杯を宿した者には聖痕が現れる……両の手に、両の足に、脇の腹に。望むままにその血を滲ませる、我ら不死にとっての恩恵たる傷口が」


 知られている。自らの知る以上のことが。


 マリアは己の手を見た。そこには確かに奇妙な痣が浮かんでいる。触れても痛まない。握ってもまた。しかしそれが傷口であることを意識すれば……ジワリと赤色が浮かび上がった。


「……私の血が、どうして貴方の恩恵となるのですか」

「糧だからです。この上には我が主のそれの他には何もなき」


 ギラギラとした双眸が向けられている。この男は渇望し、期待し、待ち受けている。


「さあ、どうか私にそれを与えて下さいませ。人を不死たらしめ、不死を永遠たらしめるその赤き雫を……未分化にして純粋無垢であるところのそれを……さあ……さあ!」


 迫る声を切り裂いて涼やかな音が響いた。


 白い何かが黒いアルファベータへと飛び掛かった。アルファベータは飛び退いたが、白いそれは追いすがる。小鳥のような大きさのそれは俊敏で、目にもとまらない。


 突然に始まったそれは舞踏か剣劇か。


 白色の飛燕と黒色の紳士とが、僅かにも動きを停滞させずに目くるめく高速を繰り広げる。残像の白線が描かれる。ステッキもまた黒い面を描いていく。


 フロックコートの裾を優雅にひるがえして……短くも美しいそれは終劇を迎えた。


 ステッキと床との間に白い花が潰されている。ユリだ。卓上にリンと音を鳴らしていた。


「いずれの者の仕事でしょうか……御見事な工芸品でございました。ナノテクノロジーとは可憐に調律すればかくも魔法のごとき働きを示します」


 手首が返された。パキリと鳴って白い花が散り砕けた。


「興が削がれてしまいました。無念にございますが、これも致し方なき現実というものでありましょう。時も流れておりますれば、聖母、どうぞお支度のほどを」


 現れた時の位置へと下がって、アルファベータは再びの一礼をなした。


「……ここへ戻ることはできるのですか?」

「貴女様のご意思によっては叶いません。ただ我が主の意向があるのみにございます」

「今ここで手紙を書くことは……」

「無用に願います」


 にべもない即答だった。


「目の前の御馳走を我慢した身といたしましては、あまり寛大な配慮を求められても承服しかねるというのが本音でございます。それとも、もう一度警告いたしましょうか?」


 獣性を余韻のごとく臭わせて、アルファベータは言った。


「貴女様が動かねば動かぬほどに、修道院では死と破壊が積み重なることでしょう。しかもその進行は一定のリズムを刻むばかりではございません。私の気持ち次第です」


 アルファベータはパチリと指を鳴らせた。


 どこかで獣の狂猛な吠え声が……まるで地獄の底から轟いてくるような音が聞こえてきた。


「……わかりました」


 重い身体を動かして靴を履く。上着を羽織る。それだけで疲労を覚える。


「では参りましょうか、聖母」


 黒革に包まれた冷たいその手へ、自らの手を差し出した。夜空へと窓を開け放ち、躊躇いなく空中へと歩み出した。ガシャンと窓を破る音がしたから、下を見た。


 エティエンヌだった。


 銃を棍棒のように持った勇ましい彼女が、驚きの目で、マリアを見上げていた。

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[一言] 第2章 悪魔来たりて・Ⅳ 感想&解説 メタコム先生とモイレイン修道女の剣戟シーン。巧みに両者の立場を説明しながらの、息の合った口喧嘩。この二人仲が良いのでは。 こうした、よくある、宙を舞…
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