レベッカと1
「見て、おじさん! 塔が見えてきたよ」
ハーディエットが弾んだ声をあげた。ククペリは隣で馬を操りながら頷く。
道の先、木々の切れ間から塔の先が見え隠れしていた。
「もうじき森が切れる頃じゃないですかね。森を抜けたら、テトラ砦が見えてきますよ」
客席から覗き込んだ御者が告げる。ハーディエットのはしゃいだ声が客席に届いた。
恨めしそうに赤毛がつぶやく。
「お嬢ちゃん、何でそっちに行っちゃったの……」
客席には、御者台を覗き込む御者と、男性の好みをリサーチするキャシーと、彼女にダメ出しされ続ける魔術師達がいた。
魔獣の後始末を終え、皆が馬車に乗り込んでいた時のことだ。
御者の隣にククペリが座ったのだ。
「何でそっちに座っちゃうの?」
ハーディエットは御者台の下からククペリを見上げた。
「また魔獣が出ても大丈夫なように、隣に座ってもらったんだよ」
困り顔のククペリに代わり、御者が答えた。黒髪は「逃げたな」と思い、赤毛は「上手いことやったな」と感心した。ハーディエットは口を尖らせた。
「わたしもそっちに座りたい」
魔術師達は「行かないで!」と心の中で叫んだ。
「あら、私だってククペリさんの隣に座りたいわ」
彼らは「是非、そうして下さい!」と声に出して言いそうになった。
「えーっ。ずっと馬車の中なんてもう飽きたよ。外もあんまり見えないし。ククペリおじさんまでいないなんてヤダよ」
「ちょっと、ハーディー。私さっき、ククペリさんを落とすって言ったわよね。協力してくれないの?」
ハーディエットはククペリを見上げた。ククペリは即座に首を横に振った。
「しない。おじさんの嫌なことはしないよ」
ハーディエットがあっさり断ると、大きな笑い声が上がった。
御者が大笑いしながらククペリの背をバンバン叩いていた。
「ククペリさん、こんなに慕われてあんた幸せ者ですねぇ。いいよ、嬢ちゃん。おじちゃんが席を代わってあげるよ」
御者が手綱をククペリに渡す。
「お願いしますね。指示は後ろから出しますんで。何かあったらすぐに馬車を止めて下さい」
ククペリは頷いた。御者と席を代わってもらったハーディエットは上機嫌でお礼を言い、残りの三人はガックリと首を落としたのだった。
馬車は塔に向かって進んで行く。木々の間から見え隠れしていた塔がその姿を現し始めた。
「森を抜けますよ」
御者の声とともに視界が急に明るくなる。
「うわあ!」
ハーディエットが歓声をあげた。
山脈を背に草原が広がっていた。所々木立があるのが見て取れたが、遮るものは何もない。道は真っ直ぐ北に伸び、その先には、堅牢な石造りの要塞が聳え建っていた。
御者が客席から身を乗り出し、指差す。
「あれがテトラ砦ですよ。砦の東を見て下さい。小さな森があるでしょう。あの森は魔獣が砦を襲ってきた時に備えて、罠がたくさん仕掛けてあるそうですよ」
「襲ってきたことがあるの?」
不安そうなハーディエットに御者は大丈夫だと笑った。
「今まで一度もないよ。保険ってやつだね。あの森の東を見てご覧。少し開けた場所があるだろう。橋で討ち漏らした魔獣は全部そこで片付けてしまうんだ。あそこも色々と仕掛けがあるらしいよ」
「あ、橋がある。ねえ、あれって本当に河なの? 向こう側が全然見えないよ」
開けた場所からすぐのところ、北東に向かって伸びる黒い河に橋は架かっていた。橋の先にあるはずの沈黙の森は靄に覆われ見えない。
「正真正銘、河だよ。渡るのに二時間は掛かるらしいね。大河と言われる所以だよ」
橋の上には人と馬、それに馬車が見えた。岸の方に目をやれば、橋の手前で人集りのようなものができており、橋の南北に渡って数十メートル続く防壁の前にも何人かの人影が見て取れた。
「あ、もうそろそろ砦に着きますよ。まずはそのまま外周城壁の門を通って下さい。次の内周城壁の前まで来たら交代しましょう」
「二つも城壁があるの?」
ハーディエットが驚く。
「万一に備えてだよ。あと、内周城壁の門で審査が終わったら砦の中に入れるからね」
砦はもう目前にまで迫ってきていた。青みがかった灰色の色合いはどこか冷やかな感じがし、遠くから見た時はそれほど高く感じなかった城壁は、ハーディエットが顔をあげただけでは全てを目に収めることができないほどだった。
馬車はアーチ状の門をくぐり、行き交う人々の間を抜け、城壁の前で止まった。少し先には門があり、ちょっとした行列ができていた。
ハーディエットとククペリは御者台から降りた。このまま門まで歩いて行くかと皆で話し合っていると、門の方から一人の騎士が走って来た。藁色の髪を短く刈り上げた目付きの鋭い長身の騎士だ。
「ハーディー!」
騎士がハーディエットの名を叫んだ。騎士に気付いたハーディエットが駆け出す。
「お母さん!」
「お母さん!?」
その場にいた誰もが驚きの声をあげた。
「お父さんの間違いじゃなくて?」
「どう見ても男だろ」
「オレよりデカイんだけど……」
「悪い夢でも見ているのか」
皆が囁きあう中、二人は固く抱き締めあっていた。
「昼前には着くって言っていたのに、ちっとも来ないから心配したじゃないか」
レベッカがハーディエットを抱き上げ、頬ずりした。
「ごめんなさい。途中で魔獣が出たから遅れちゃったの」
「魔獣!?」
「ククペリおじさんがやっつけたから大丈夫だよ」
「それなら良かった。師匠もありがとう」
ククペリは礼には及ばないと軽く首を振った。
「し、師匠って……?」
キャシーのつぶやきにハーディエットが答えた。
「ククペリおじさんはお母さんの剣の師匠なの。騎士になれたのは、おじさんのおかげなんだって」
「ああ、そうだな。その通りだ」
レベッカが頷いた。
ククペリがレベッカの師匠になったのは、彼がクシカ村で生活し始めて間もない頃だった。
今から二十年前、レベッカは村の外れにククペリがいるという噂話を聞いた。当時かなりの腕白振りをみせていた彼女は、退治してやると意気込んでその場に向かった。しかし噂で聞いた場所にいたのはククペリと同じ色を持つ一人の青年。レベッカは「何だ噂は嘘だったのか」と残念に思ったが、「せっかくここまで来たんだし」と青年に襲いかかった。結果はもちろん返り討ち。負けず嫌いの気があったレベッカは、この日から毎日青年を襲撃するようになった。やがて襲撃は剣の稽古へと姿を変え、レベッカは青年をククペリではなく師匠と呼び始めた。そして何年か後、彼女は剣の腕を認められ皇国騎士となった。
余談だが、連日のレベッカによる襲撃は、ククペリと彼を敬遠していた村人達の距離を縮めるきっかけとなった為、彼は今でもレベッカに感謝をしていた。
「ところで、ハーディー。こちらの方は?」
キャシーに気付いたレベッカがハーディエットに問いかけた。
「馬車の中で仲良くなったキャシーさん。傭兵でククペリおじさんが理想なんだって」
「キャシー・オルガンよ。はじめまして。ハーディーのお母さん?」
知らず知らず語尾に疑問符が付いてしまう。それ程までにレベッカは女に見えなかった。
「ハーディーが世話になったようで感謝する。師匠が理想とは見る目があるな。私の理想に掠りもしないが」
レベッカは、ハハハと軽快に笑い、御者に声をかけた。
「ハーディーと師匠は既に審査を通してある。先に行っても構わないだろうか」
「審査が済んでいれば、全く問題ないですよ。嬢ちゃん、ここでお別れだね。また会えたらよろしくな」
「うん、またね。キャシーさんも、またね」
「ええ、短い間だったけど楽しかったわ。沈黙の森で大物を狩ったらすぐ会いに行くわ。獲物はもちろんククペリさんへのプレゼントよ」
キャシーが剣の柄を叩きながら微笑んだ。もちろんククペリへの目配せは忘れない。
「それでは、我々はこれで失礼する」
レベッカはそう言うとククペリを伴い踵を返した。ハーディエットはレベッカの肩越しに手を振っていたが、しばらくするとレベッカと手を繋いで歩き始めた。
彼女達の後ろ姿を眺めながら赤毛がつぶやいた。
「お嬢ちゃんが母親似でなくて本当に良かったぜ」
誰もが思ったことだった。