キャシーと3
「あら、あの二人どこにいったのかしら」
先程の場所からハーディエット達の姿が消えていた。
耳を澄ませば、微かな声が馬車の先頭の方から聞こえてくる。そちらに足を向けると馬から数メートル先に彼女達はいた。
「いい? 絶対に終わるまでこの中から出ちゃダメだからね」
ハーディエットは小さな布の塊に話しかけていた。
「ちょっと、こんなところで何をしているの!」
駆け寄るキャシーにハーディエットはにっこり笑った。
「ククペリおじさんがなんとかしてくれるんだって」
ククペリが頷く。近くにいた御者も「これで出発できるねぇ」とニコニコ顔だ。どういうことかと問い質そうとした時、後ろから声がした。
「おい、あんた達一体何しているんだ」
魔術師二人が来ていた。御者が快活に笑う。
「ククペリさんが何とかしてくれるそうですよ。いやぁ、ククペリさんが乗っていてくれて本当に良かった」
「は? 一体どういうことなんだ」
訝しむ黒髪にハーディエットは言い放った。
「弱そうなおじさん達の出番は後だよ。ククペリおじさんに任せれば大丈夫だもん」
絶句する二人をよそに、ハーディエットは布の塊をククペリに手渡した。
「ちょっと待って。一体何をする気?」
「まあ、まあ。キャシーさんはそこで座って見ててよ」
話にならないとキャシーがククペリを見たその時、ククペリは手にしていた塊を魔獣に向かって投げた。
「え?」と思った次の瞬間、一羽の魔獣を何かが貫いた。魔獣はバランスを崩し落ちて行く。
残った二羽がけたたましい叫び声を上げた。瞬時にこちらを見定め、翼をはためかせた。
キャシーが剣を構え、魔術師二人は術の発動に取り掛かる。
「もうこっちに来たよ」
ハーディエットの呑気な声と共にヒュンヒュンという音がした。魔獣達の体が傾ぐ。続け様にまた音がし、その度に魔獣は体勢を崩していった。
まさかと思いながら、三人は音のする方を見た。
ククペリが涼しい顔で魔獣に石をぶつけていた。
「魔獣が落ちてくよ」
再び魔獣に目を向けると、魔獣は二羽とも地に伏せ小さな痙攣を繰り返していた。
ハーディエットがククペリの袖を引く。
「終わり? もう終わった?」
ククペリは頷いて返した。ハーディエットは呆然としている魔術師に声をかける。
「おじさん達の出番だよ。ほら、早く毒を風で散らしてよ」
ハーディエットに急かされ、毒を散らした彼らは魔獣を見て驚きの声を上げた。
「信じられん。何ヶ所か貫通しているぞ」
「魔石じゃなくて、フツーの石だぜ。あのおっさん何者だよ」
魔獣は幼児くらいの大きさだった。体の至る所から血が滲み出ている。
二人は高温の魔術を発動させた。毒鳥の魔獣は骨まで残さず燃やさなければならない。
「あとは、あのお嬢ちゃんのところのヤツだな」
赤毛の視線の先には、最初に倒した魔獣に近付くハーディエットがいた。
ハーディエットが魔獣のすぐ近くまでやって来ると、草むらから布の塊が転がり出てきた。
目の前で布がはらりと落ちる。
「すごいね。ちゃんとやっつけたね」
ククペリも満足そうに頷いた。
布の上で卵がゆらゆらと揺れる。心なしか、いつもより輝きが増しているように感じた。
「毒とか大丈夫だった? なんともない?」
卵はその場で二、三度跳ねると、ハーディエットのポケットへと戻った。やけに早く戻るなと思っていると、後ろから声をかけられた。
魔術師の二人だった。
「お嬢ちゃん、ちょっとそこ離れてくれるか。ソイツ燃やさないといけないから」
赤毛が魔獣を指差した。素直にハーディエットが離れると、二人は魔獣を覗き込む。
「見事に心臓を一突きだな」
「何をどうやったら、こうなるんだよ」
不思議がる二人にククペリが黒板を差し出した。
『最初の魔獣は魔石を使った。運良く急所に当たったみたいだ』
「この距離だと魔石じゃないと無理だよなぁ。すげぇ良い魔石だったんじゃねぇの」
「まあ、急所に当たって良かったよ。無駄にならずにすんだしな」
ククペリの説明に彼らは納得したようだった。本当は魔石ではなく卵が魔獣の急所を狙って仕留めたのだが。ククペリはその補助と残りの魔獣を倒しただけだ。
魔獣が青白い炎を上げて燃え始める。
ハーディエットは、ふとキャシーがこの場にいないことに気付いた。辺りを見回すと、馬車の前で佇んでいる。また車内のあの状態になっていたらどうしようと急に不安が押し寄せてきた。
キャシーは、ついさっき目の前で起こったことが信じられないでいた。毒鳥の魔獣を石で倒すなんて今まで見たこともなかった。しかも平然とだ。
おそらく、傭兵でもベテランの域に入る自分よりククペリは強い。ハーディエットとのやり取りを見ている限り、全くそのようには見えないが。
キャシーはそこで「あれ?」と思った。
ハーディエットを喜ばせようとしたり、気遣ったりしていた場面を何度も見た。
思いやりにあふれているわ。
毒鳥の魔獣を石で簡単に倒してしまった。
私を守れるくらいに強いわ。
キャシーはゴクリと喉を鳴らした。
そういえば初めて会った時あの人、顔を見た後胸じゃなくて剣を見ていたわ。それによくよく思い出してみれば、装備を気にしていたみたいだけど、全然これっぽっちも胸を気にしていなかった気がする。
キャシーは遠く離れた集団に目を向けた。四人の中で頭一つ分抜け出た男性が小さな少女の相手をしている。表情は全く分からないが、優しい顔をしているのだろう。
顔だってそんなに悪くないわ。
突如、キャシーの頭に聖堂の鐘が鳴り響き、薄桃色の花が舞った。ククペリに向かって一筋の光が降り注ぐ。
キャシーは駆け出していた。
「ク、ククペリおじさん、キャシーさんがすごい勢いでこっちに来るよ!」
ハーディエットはククペリの腰に思わず抱きついた。怯えるハーディエットの指差す方を見ると、鬼気迫る勢いでキャシーがこちらに向かって来ていた。
魔術師二人から短い悲鳴が上がる。ククペリはハーディエットを守るように抱き込んだ。車内の惨劇が再びか、と誰もが身構える中、キャシーはあっという間にハーディエットの前に立った。
「ハーディー、とても喜ばしいことがあるの」
非常に上機嫌なキャシーがいた。
「えっと、何が?」
少々素っ気ないが、ハーディエットは無難な答えを選んだ。後ろから「刺激するなよ〜、絶対に刺激するなよ〜」と祈るような囁きが聞こえてくるせいである。
「とうとう私にも理想の相手が現れたのよ!」
両手を組み目を輝かせるキャシーに、彼女以外の全員が顔を見合わせた。男三人が一斉に首を横に振る。
「ハーディーの言った通りだったわ。最初は気付かなかったけど、ちゃんと見つかって本当に良かった」
頬を染め、うっとりとした表情で語るキャシーは、艶めかしくもどこか可愛らしかった。
「そうなんだ。良かったね。で、誰なの?」
ククペリの腕の中で棒読みな台詞を言う。浮かれているキャシーは全く気付かない。
「ふふふ、それはね……」
キャシーがククペリを見た。彼のハーディエットを抱く手に力がこもる。安堵の溜息と共に「ご愁傷様」という小さな声が聞こえた。
「ククペリさんに決まっているじゃないの。これから私、頑張ってククペリさんを落とすわ」
キャシーの告白とも言える宣戦布告にククペリの肩が落ちた。