キャシーと2
キャシーは、卵が謎生物だとあっさり認めた。「危険性もなさそうだし、それでいいんじゃない」と。彼女は問題を先送りにしたのだ。御者の「出発します」との合図に詳しい話が聞けなかったこともある。
休憩後、馬車は森の中へと入り、北東に進路を取った。この森を抜けた先がテトラ砦となる。途中、ボーヴェンへ向かうと思われる馬車とすれ違ったが、ハーディエットはその間ずっと隣に座ったキャシーの愚痴を聞かされ続けていた。
ハーディエットはどうしてこうなったんだろうと首を傾げた。初めは他愛もない話だったはずだ。テトラ砦に行く目的とかキャシーの仕事についてとか。母がテトラ砦に赴任していると話した時は「とても強い騎士なのね」と褒めてくれた。おかしくなり始めたのはそう、母がよく「お前は女じゃない」と言わることについて話した時だ。
強すぎる女なんてゴメンだ。見た目も中身も到底女とは思えない。性別を間違えた。結婚できたのが奇跡だ等。
全て、母の同僚や知り合い達が口にした台詞だ。
ハーディエットは笑い話のつもりだった。母もその同僚達も笑って話していた。祖父母も他の皆もそうだねと笑っていた。
しかしキャシーは違ったようだ。
「うふふふふ、強い女はゴメン? 女とは思えない? 結婚が奇跡? どいつもこいつも……!」
キャシーが吠えた。
「強い女の何が悪い! 俺より強い人はちょっとって何? 自分が弱いだけでしょ。女らしい人が好き? どこからどう見ても女でしょ。一体何を見て判断しているのか教えて欲しいわ!」
キャシーは目の前の男二人を睨みつける。二人はさっと目をそらした。
彼女の勢いが増した。
「会う奴会う奴、目が行くのは胸。まずは胸。最初に顔でもすぐに胸。胸胸胸胸、次に尻。デカイ胸がそんなに好きか。ムッチリした尻がそんなに良いか。スラッとした脚が堪らない? 括れた腰が最高? ええ、ええ、筋肉質な脚と割れた腹ですが何か? ガッカリされる胸と尻ですが何か? 大事なのは中身だって? 違うでしょ。顔より中身より一番大事なのは胸なんでしょう!」
キャシーの魂の叫びが車内に木霊した。前に座る二人は身をすくめて沈黙し、ハーディエットはキャシーの胸をじっと見た。ククペリは「そんなにじっと見るんじゃない」とハーディエットを叱責した。声は出なかったはずだが、ハーディエットはククペリに「何で?」という顔をした。そして再び胸に顔を戻し、鷲掴みにした。
瞬時に車内が異様な緊張感に包まれた。三人はハーディエットの空気を読まぬその行動に戦慄した。
「お母さんより胸あるよ。柔らかいし」
彼らは心の中で「勇者!」と叫んだ。そして、この後の惨劇を予測し震え上がった。
キャシーがハーディエットの手をそっと外す。
「ちょっと取り乱しちゃったみたいで、ごめんなさい」
意外なことに、キャシーは顔を赤く染め恥じらった。「ちょっとじゃないだろ」と誰もが思ったが、口にしなかった。
「よく分かんないけど、そんなに気にしなくていいんじゃない? お母さんも結婚できたし。お父さんは、お母さんの理想のタイプだったんだって」
「まぁ、素敵ね。私にもそんな人、本当に現れるかしら?」
先程とは打って変わって、穏やかな表情をキャシーはみせた。車内の空気が緩み始める。
「大丈夫、大丈夫。きっと見つかるよ。キャシーさんの理想のタイプってどういう人なの?」
「そうね。思いやりがあって、私を守る気概があって、包容力のある人かな」
「包容力のある人って、どういう人?」
「心の広い人のことよ。職が傭兵でも、ちょっぴり強くっても、胸が……」
急激に雲行きが怪しくなった。再び車内に緊張感が走る。
「うふふふふ、そうね、どうして皆、胸に引っかかるのかしら?」
キャシーが生気のない目でつぶやき始めた。
「やたらと多いボディタッチ、数回に一度は胸が当たるの。かがんだ時に見える胸の谷間、そのまま上目遣いで見られたことはない? みーんなワザとやっているの。胸が当たってラッキーって思った後に何か強請られたことはない? プレゼントを貰った時は必ず抱きつくの。その時に胸が当たったことはない? 谷間を見せながらの上目遣いで無茶なお願い、うっかり聞いちゃったことはない? 都合のいい男扱いされているのにどうして気付かないのかしら」
「う、嘘だ。そんな……ミミちゃんが……」
赤毛が崩れ落ちた。
「清楚って一体何なのかしら。露出の少ない服を着ていること? 結婚するまでは清いお付き合いがしたいのって言われていないかしら。だって詰め物がバレたら大変だもの。可愛らしいってどういうことを言うのかしら。フリルやリボンの付いた服が似合う? その服いつも胸元にフリルやリボンが付いていないかしら。それで胸の大きさをごまかしているのに。見た目に騙されて貢いだ挙句、急に連絡が取れなくなっていないか心配だわ」
「ひ、一月以上連絡がつかないのはそういうことなのか。結婚資金、管理したいって言い出したのはこの為なのか……」
黒髪がさめざめと泣き出した。
車内は先程とは別の意味で大惨事になっていた。
ハーディエットはどうしてこうなったんだろうと思った。もう一度キャシーの胸を掴んでみればいいのかと手を伸ばしかけたところで突然馬車が止まった。振り返った御者は車内の様子に驚きの表情を見せたものの、すぐに申し訳無さそうな顔をした。
「すみません。この先に鳥の魔獣がいるみたいなんですよ。魔獣がいなくなるまで出発は無理だと思います」
「それは退治できれば大丈夫ってこと?」
正気に戻ったキャシーが尋ねた。
「退治するのが一番なんでしょうが、ちょっと無理かもしれないです。まあ、見てもらえば分かると思うんですけど」
外に出たハーディエット達が目にしたのは、三百メートルほど先の上空を舞う三羽の大きな鳥だった。体は真紅、頭部と羽が黒色の遠目にも鮮やかな体色をしていた。
「毒鳥の魔獣かよ。最悪だな」
復活した赤毛が舌打ちした。
「毒鳥の魔獣って?」
ハーディエットはククペリに尋ねた。黒板を取り出したククペリは何事かを書きつけ始める。キャシーがハーディエットに耳打ちした。
「もしかしてククペリさんって、話せないの?」
「おじさんは声が出ないの。話せない訳じゃないと思うよ」
ハーディエットの前に黒板が差し出される。
『毒鳥は羽と皮膚に毒があるのは知っているな。魔獣になると毒性はもちろん強くなるがそれだけじゃない。羽ばたく度に毒が舞うようになるんだ。毒を吸えば動けなくなる。場合によっては死んでしまうこともあるんだ』
「じゃあ、毒を吸わないようにすれば退治できるんだね」
キャシーが首を振った。
「一羽ならともかく、三羽だと無理だわ。三倍の毒が空気中に漂うことになるの。吸わないようにしていたって、数分で動けなくなってしまうわ」
「えーっ。じゃあ、あれがいなくなるまで進めないの?! おじさん、なんとかしてよ」
ハーディエットに強請られたククペリは難しい顔をしながら再び黒板に向かう。
キャシーはローブ姿の二人に声をかけた。
「あなた達、魔術師なんでしょう。あの鳥なんとかならないの?」
二人の肩が跳ねた。キャシーの様子を伺いながら赤毛がおずおずと答える。
「む、無理だって。一羽ならともかく三羽は無理だ。一羽を仕留めた途端、矛先がこっちに向く。三羽を一気に殺らないと……」
突然、赤毛が黒髪を指差した。
「オ、オレよりこっちの魔術師ならできるんじゃないか。ベテランって感じだしさ」
目と鼻を赤くした黒髪が慌てた。
「は? 俺だって無理だ。三羽一気にやるには距離がありすぎるし、そんな威力のある魔術なんて特化型じゃなけりゃ不可能だ」
「誰が一人で殺れって言ったのよ。二人でやりなさいよ」
「一人一羽が限度だ。次の術を発動させる間に残った一羽に殺られる」
黒髪が告げ、赤髪がそれに同意する。キャシーは鼻を鳴らした。
「じゃあ、残った一羽は私がやるわ。頼んだわよ」
キャシーは二人の返事を待つことなく踵を返した。