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キャシーと1

 ボーヴェン領はラドホムベル皇国の一番東の外れに位置する。国内で唯一、沈黙の森と隣り合っており、皇国の重要な領の一つとして上げられている。厳密に言えば、大河を挟んで沈黙の森と隣り合っているのだが、大河に架かる橋から魔獣の襲撃を度々受けており、実際隣り合っているといっても差し支えがないほどだった。何代も前の領主が橋の撤去を計画したこともあったが、沈黙の森で採取できる魔獣や植物、それに建国前に設置された橋の価値から反対にあい白紙撤回を余儀なくされていた。

 橋の管理と森からやって来る魔獣の討伐。それらを請け負う拠点がテトラ砦であった。





 ハーディエットは滑るように後ろへと流れていく地面をじっと見下ろしていた。灰色の石畳だった地面は土へと変わり、今は真ん中だけが緑の地面となっている。横を見ればだんだん緑が増しているようだった。

 ハーディエットは乗り出していた身を引いた。ガラガラと規則正しい音が響く。前の席には大剣を持った女性とローブを纏った赤毛と黒髪の男性が二人。ハーディエットの隣にはククペリが座っていた。


「早く着かないかなあ」


 ボーヴェンを出発して二時間。そろそろ休憩地点に到着する頃だ。

 ハーディエット達を乗せた馬車はテトラ砦に向かっていた。





 テトラ砦への訪問は、当然のことながら大反対された。


「あそこはボーヴェント違って気軽に行けるところじゃないんだぞ。いつ魔獣が襲ってくるかも分からんし、荒くれ者だって大勢いる。それに、道中で魔獣に襲われた話を母さんからも聞いただろう」

「そうよ。あなたみたいに小さい子が行っていい場所じゃないのよ。ククペリさんと一緒だから大丈夫って、何かあったらどうするの。ククペリさんに迷惑をかけるんじゃないの」


 祖父母の叱責にハーディエットは頬を膨らませた。


「まあまあ父さんも母さんもちょっと僕の話を聞いてよ」


 ファビアンが三人の間に割って入った。ハーディエット達と一緒に家へとやって来たのだ。ちなみにククペリは、「僕に任せて」と言い張るファビアンに無理やり自宅へと帰らされていた。


「ファビアン、お前は何しにきたんだ」

「久し振りに帰省した息子に酷い言い草。姉さんの重大なやらかしについて説明しに来たのに。僕の繊細な心は傷ついた。お詫びにカップケーキを所望する。ナッツの入ったやつね。もちろんナッツは春の」

「おい、レベッカがどうしたんだ。まさかまた捕まえた人間を半殺しの目に合わせたんじゃ……」

「うん、よくあることだね。でも今回はそれとは比べ物にならないかもしれないよ。ハーディーの魔力検査のことだよ。父さん達、何か聞いてる?」


 二人は一瞬虚を突かれた様をみせたが、徐々に顔が青褪めていった。ファビアンは得心した。


「お察しの通り、ハーディーの魔力検定を忘……やったのかどうかが分からないんだ。こうなったら姉さんに直接聞いて、もしアレならそこで対処すればいいと思ったんだ」

「そうだが、何もテトラ砦まで行かなくても……」

「何言ってるんだよ。アレだったからって僕達が勝手をすれば血の雨が降るのは確実。たとえ姉さんの許可を貰ったとしても、帰省した時に暴れるのは必須だよ」


 ファビアンはぶるりと震えた。二人の顔色は青から白へと変わっていた。

 ハーディエットは事の成り行きを静かに見守っていた。母が魔力検査を忘れていたことは既に察していたが、テトラ砦に行けるかもしれないとあって黙っていることにしたのだ。

 祖父母は顔を引きつらせながらハーディエットを見た。


「そ、そういうことなら仕方ないかもしれないな。魔獣が襲ってくると言っても、あそこにいる連中なら心配ないしな」

「そ、そうね。道中だって、ククペリさんがいれば安心よね」


 テトラ砦行きが決まった瞬間だった。





 テトラ砦に向かう辻馬車はボーヴェンの街からしか出ない。一日に二回、朝と昼に出る便は沈黙の森を目指す者で占められる。森に入る前にテトラ砦で装備を整える為だ。

 テトラ砦へは、領境である北の山をまず目指す。ハーディエット達を乗せた馬車は街を抜け、東西を走る街道を横切り、幾つかの木立を後にした。そして森の手前まで来ると脇の少し開けた場所で止まった。御者が振り返る。


「ここで一旦、休憩ですよ」


 ハーディエットはいち早く馬車から飛び降りた。つま先立ちで来た先を見る。


「全然見えなくなっちゃった」


 ハーディエットに続き降りて来たククペリが隣に立った。


「時計塔なら見えるかと思ったんだけどな。ククペリおじさんでも見えない?」


 ククペリは見えないと首を振った。そして少し考える素振りを見せたかと思うと、ハーディエットを急に持ち上げた。


「うわっ! 何するの!」


 暴れるハーディエットを押さえ込み、肩に座らせるよう抱きかかえる。ハーディエットは慌ててククペリの頭にしがみついた。ククペリが「見えたか?」と問いかける前にハーディエットは叫んだ。


「そこまでして見たいわけじゃないから!」


 ハーディエットがククペリの肩から下ろしてもらっていると、くすくすという笑い声が聞こえた。

 声の先を辿ってみれば、馬車で一緒だった女性が立っていた。伏し目がちな目の下にある右の黒子が色っぽい、二十代半ばくらいの女性だ。彼女は花の装飾が施された大剣を手にし、鳥と小花をあしらったレザーアーマーを身に纏っていた。波打つブルネットの髪がふわりと揺れる。


「笑っちゃってごめんなさい。とても仲が良いのね。親子?」

「ううん、違うよ。友達」


 ハーディエットは「そうだよね」とククペリを見た。ククペリは口元を綻ばせハーディエットの頭を撫でた。


「なんか和むわー。癒やされるわー」


 女性がつぶやく。微笑ましく見られていたことに気付いたハーディエットは、気恥ずかしさをごまかすかのように尋ねた。


「それよりお姉さん、誰?」

「あら、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私はキャシー・オルガン。フリーの傭兵よ。キャシーって呼んでね」


 キャシーはハーディエットに右手を差し出した。微笑むキャシーに、ハーディエットはその手を握った。母と同じ固い掌だった。


「ハーディエット・リミントン。わたしの名前だよ。皆はハーディーって呼ぶけど。こっちはククペリおじさん。職業は村人」


 ククペリは軽く会釈した。

 キャシーは困惑した。


「えっと、私の思い違いじゃなければ、ククペリって熊の魔獣のことじゃなかったかしら。それに村人っていう職業はないと思うの」

「うん、ククペリは熊の魔獣だよ。三軒先のご隠居さんが言ってた。ククペリおじさんはククペリに縁があるから『ククペリ』って付けたんだって」


 ハーディエットは隣で頷くククペリを見上げた。


「おじさんは村人じゃないの?」


 ククペリは言葉に詰まった。村人といえば村人だ。というか村人だ。しかしここで村人と言って良いのか。職業村人を肯定してしまうことになるのではないか。それよりハーディエットの示す『村人』とは一体何なのか。ククペリは頭が痛くなってきた。彼は一枚のカードを見せることで、この状況から逃げ出すことにした。


「おじさんの職業、狩人って書いてある」

「やだ、本当に名前がククペリだわ」


 カードを横から覗いたキャシーが驚きの声を上げた。ハーディエットが鞄からカードを取り出す。


「わたしのは『村人』ってなってるのに」


 二人の前にカードを掲げた。


「ウソでしょ。ギルドカードに村人って。職業が決まってない場合は空欄が原則でしょ」

「おばあちゃんも『村人』になってるよ。ギルドの人も身分証代わりに使うんなら構わないって作ってくれたよ」


 キャシーは目眩がした。確かにギルドカードは身分証になる。しかしそうではないのだ。ギルドカードの本来の役割は、職業に対する熟練度、実績、スキル等の証明である。だからこそ職業の取扱いは特に注意をしなければならない。

 キャシーは、とにかく職業を直させないと、と説得にかかることにした。


「ハーディー、よく聞いて。はっきり言って『村人』は直した方がいいと思うの。ハーディーの将来のためにね。ハーディーはなりたい職とかある?」

「あんまり考えたことないかも。いろんな勉強はしてるけど」

「だったらなおさら直さないと。なりたい職が見つかった時、『村人』のままだとその職に就けないかもしれないの。そんなの嫌でしょう。いつ見つかってもいいように『村人』は直しましょうね」


 キャシーの有無を言わせぬ圧力に、ハーディエットは思わずククペリを見た。「キャシーの言う通り、早い内に直した方がいい」と言われた気がした。


「うん、分かった。直す」


 キャシーはホッとした。だが次の瞬間言葉に詰まった。


「でもおばあちゃんは?」


 ククペリがハーディエットに告げる。「そうなんだ」とハーディエットは納得した。


「え、今、なんて言ったの?」

「おばあちゃんは仕事したくないけど仕事してるから『村人』のままでいいんだって」

「そ、そう……」


 色々と問題のある答えにキャシーは戸惑った。だがその戸惑いもあっという間に別のものに取って代わった。

 ハーディエットのポケットから黒い塊が飛び出したのだ。地面に落ちたそれは、キャシーの前に跳ねるように進み出ると大きく体を揺らした。


「えっ? あ、た、卵?」

「あー! 出てきちゃダメって言ったのに!」


 卵はその場で軽く数度跳ね、キャシーにペコリとお辞儀をした。


「……!」

「もうっ、出てきちゃったんなら仕方ない」


 ハーディエットは卵を拾い上げると、両手で捧げ持った。ククペリは頭を抱えた。


「この黒々しく光り輝く卵、見ての通り動きます。何をしても割れない丈夫な殻。何と魔獣も倒すんです。とっても元気な謎生物です。苦手な人はファビアン。ククペリおじさんは二番目になりました」


「…………」


 キャシーはククペリを見た。彼が静かに頷く。その目は「現実だ」と言っていた。

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