レオニーダと1
レオニーダの朝は早い。
薬師を生業としている者の務めとして、毎日の薬草の世話は欠かせない。日の出とともに起き出し、何よりもまず先に薬草畑のチェックをする。そろそろ起きる時間だが、まだ外は暗い。さぁさぁという音が聞こえた。
老体の身に雨は辛いな、と微睡みの中で思い出すのは一人の少女。雨の日に訪ねて来る際、必ずといっていいほど扉を激しく連打する、そう、今みたいに……
レオニーダは飛び起きた。まさか、と思った瞬間声が響き渡った。
「おはようございまーす。レオニーダさーん、ハーディエットだよー」
「連打はするな! ノックは三回だ!」
気付けば二年前と全く同じ返事をしていた。
扉を開けた先には、満面の笑顔を浮かべる少女と申し訳なさそうに控える大男がいた。
木の実入りのパンに厚切りベーコンそれと野菜スープ。三人分の朝食が湯気を立てテーブルに並ぶ。レオニーダが着替えと薬草畑のチェックをしている間にククペリが準備した物だ。とはいっても、ハーディエットの祖母が持たしてくれた物を温め直しただけだが。
「こんな朝早くに何しに来たんだ」
朝食の席に着くなり、苦々しくレオニーダが尋ねた。
「久し振りに会ったのにもっと嬉しそうにしてよ。一人は寂しかった、来てくれて嬉しいって声に出していいんだよ」
嫌味の通じないニコニコ顔のハーディエットに、レオニーダの米神に青筋が浮かぶ。
「夜明け前に訪ねて来て何を言っている! こいつの教育はどうなってんだ! ククペリさんもこいつを甘やかすんじゃない。ドルーも何を考えてんのか。俺達が面倒見ていた時はこんなんじゃなかった、こともないかもしれないが……」
レオニーダは急にトーンダウンした。そんなレオニーダにククペリはハーディエットの祖父ドルーからの手紙を渡した。
そこには、ハーディエットがボーヴェンでレオニーダ達に会えることを楽しみにしていること。楽しみにしすぎて日付が変わったらすぐに出発しようと計画していたこと。何とか思い留まらせた結果、一緒に行くククペリを前日から家に泊まらせ、夜明けに到着することになってしまったこと。簡単な食事を持たせたので一緒に朝食を取って欲しいこと。ククペリには食堂の買出しを頼んだので他の者達への案内を頼むこと。薬草酒と鎮痛薬が残り少ないので欲しいこと。等が書かれていた。
ツッコミどころ満載な友人の手紙を前にレオニーダは項垂れた。
この祖父にしてこの孫ありか、いや、こいつの家系は皆こうだった。
疲れた顔を上げたレオニーダは、目の前で黙々と朝食を取るククペリを労った。
「ククペリさん、さっきは怒鳴って悪かったな。あんたは巻き込まれただけなのにな」
ボーヴェンに行こうと提案したのはククペリだったが、賢明な彼は黙って頷いた。
「ところで、こんな暗い中、馬車を走らせて危なくなかったか? 雨も降っていたようだし」
「それなら大丈夫だよ」
ハーディエットは手にしていたパンを皿に戻すと、鞄の中から小型のランプを取り出した。
ランプを見たレオニーダは目を見開いた。最近発売された品切れ中の最新式ランプだった。しかも記憶が確かならば、彼の一ヶ月分の食費に相当する金額がしたはずだ。これを一体どうやって、という疑問はハーディエットの次の言葉であっさり解決された。
「アルマから貰った最新式ランプ。手元から遠くまでボタン一つで調節可能なんだよ」
このボタンを回すと光の調節ができるようになってて、と実演付きで説明するハーディエット。
「……あいつは〜」
レオニーダは呻いた。
アルマはハーディエットの面倒を見ていた五人の内の一人だ。腕の良い魔術師である彼女は、ハーディエットを非常に可愛がっていた。重量軽減の魔術を掛けた鞄から始まり、風雨避けの施された合羽、防御魔術を掛けたフード、何を思ったのか攻撃魔術の仕込まれた数種の魔石、他にも色々魔術を掛けた物をハーディエットに贈っていた。そして今回の最新式ランプ。
レオニーダは深く息を吐き出した。アルマには言っても無駄だと分かっている。ハーディエットがそれを当たり前だと思っていないことが救いだ。目の前の彼女は、母が帰省したらこのランプを渡して仕事に役立ててもらうのだ、と楽しそうに話している。それに安堵しながら、レオニーダはようやく朝食を取り始めた。
明け方から降り続いていた雨はいつの間にか上がっていた。空はどんよりとし、幾重にも重なった雲が押し出されるように進む。稀に朝日が雲の切れ間から顔を覗かせると、窓に残った雨粒がきらきらと輝いた。レオニーダが朝食の後片付けをしている間、ハーディエットは熱心に窓の外を眺めていた。
「さっきから何を見ているんだ」
カップを二つ手にしたレオニーダは尋ねた。ハーディエットは振り向きもせず、指で窓をグリグリと押した。
「カエル。このカエル、尻尾があるよ」
指の先には尻尾のついた黄緑色の小さなカエルがいた。
「もうじき大人になるカエルだ。初めて見たのか?」
「うん。図鑑で見たことはあるけど、実物は初めて見た」
ハーディエットはレオニーダに促され席に着いた。目の前にカップが置かれる。毒々しい色合いに反し、ほのかに甘い香りがした。
「このお茶好き」
喜々としてお茶を飲み始めるハーディエットに、レオニーダは訪問の理由を尋ねた。ククペリは朝食後すぐに、市場の時間があるからと家を出ていた。昼前までに戻ると言って。
「そうそう、そうだった」
ハーディエットは数枚の用紙を取り出し、「今回の課題分」と言ってレオニーダに渡した。
レオニーダは受け取るとすぐに目を通し始める。ハーディエットはお茶を飲みながら終わるのを待った。
ボーヴェンに住んでいた頃、ハーディエットは母の仕事中、知り合い達に預けられていた。彼らはハーディエットの先生だった。
当初、預けられることになった五人は三歳のハーディエットの扱いに悩んだ。独り立ちした孫までいるレオニーダすら悩んだ。彼は育児をしたことがほとんど無かったからだ。妻は十年前に亡くなり、子供達は家を出て今は自分一人。しかし、一人きりの家にハーディエットがいるだけで明るく感じた。顰め面の自分に笑いかけるハーディエットは可愛い。がさつなレベッカに育児を任せたら将来が心配だ。将来、将来に備えたら学は必要だ。今からしっかりと教えよう。そう決意したレオニーダは薬師の知識を教え始めた。預かる日は休業日とした。数日に一度の訪問を彼は楽しみにしていた。
レオニーダと同じく、他の四人もレベッカの育児による将来を不安視し、面倒を見ながら勉強を教えることにした。それは、ハーディエットがクシカ村へ引っ越した後も、課題の提出という形を取りながら続いていた。
「まあまあだな」
レオニーダは薬草の効能で認識の甘い部分を指摘していく。難しい顔をしたハーディエットと質疑を交わし、指摘した部分と合わせて次の課題を与えた。
「ところで、さっきから何をもぞもぞしているんだ」
質疑の間中、レオニーダは小刻みに揺れるハーディエットが気になっていた。
ハーディエットはパッと顔を輝かせ、そして、待っていましたとばかりに高らかに宣言した。
「今日ボーヴェンに来たのは課題のためじゃなく、このためです!」
黒い何かを机の上に置く。
「……たまご?」
「そう! この黒々しく輝く卵、なんと生きているんです。生まれてもいないのに動くんです。卵という謎生物です。落としても蹴っても割れない丈夫な殻。苦手な人はククペリおじさんです!」
訳の分からない紹介に、レオニーダは頭が痛くなった。
「……最初から、きちんと、順序を追って、説明しなさい」
改めてハーディエットの説明を受け、レオニーダはククペリと同じ考えに至った。
数年前から新種の魔物が現れ始めていたからだ。
既存の魔物と比べ力は弱いがどこにでも発生することが最近分かってきており、解明が急がれていた。謎生物で納得しているところ悪いが、卵の正体を確かめる必要がある。
「レオニーダさんもククペリおじさんと一緒で、ちゃんと調べた方が良いって思うんだ」
ハーディエットは少し不満げな顔をしたものの、すぐに得意そうな表情になった。
「でも、わたしも一応考えてきたんだよ」
卵をつかみ、立ち上がる。
「卵を埋めよう!」