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想ひ人  作者: 黒猫 印
3/3

追想の逢瀬 参【完結】

「その萩は、以前知り合いと作った時に書いた処方箋(レシピ)をそのままに作ったんですよ。どうやら失敗だったみたいで、餡に砂糖と塩を一緒に混ぜてしまったから――塩っぽいでしょう?」

「はい。でも、少しだけですから。それが餡の甘さを引き立てていて美味しいですよ」

「俺の知り合いも、撫子さんと同じことを言っていたよ」

「ふふ、それならその方と気が合うかもしれませんね。その方は、どんな人なのですか?」

「その知り合いは――同じ学府に通っていたんです。まだ俺が簪屋の跡目を継ぐか迷っていた時、その知人が良く相談にのってくれた」

「学府……。この辺りだと、五十鈴(いすず)学府かしら。私もあそこに通っていたんです。実家の跡を継ぐので、和紙の勉強をするために学びに行ってました」

 撫子はポンと掌を軽く叩き合わせる。

「俺とその彼女はね、専攻が違っていたから直接棟内で逢うことは無かったんだ。でも、丁度互いの棟の間にある中庭に小さな池があってね。その傍の桜の木の下で、よく逢って話をしていたんだ」

 懐かしい想い出に、思わず微かに笑みが浮かぶ。

「長い黒髪と、笑顔が素敵な人でね。散々相談事を訊いてもらった。彼女は俺とは違ってしっかりとした目標と、跡目を継ぐ覚悟を持っていた。でも、だからこそそんな彼女の話をきいて、俺も跡を継ぐ決心ができたんだ」

「その人は、貴方にとってとても大切な方だったんですね」

「ああ。彼女には千の言葉を尽くしても、足りないくらいだよ。でもせめてもの御礼として、彼女が長い髪を束ねられるように簪を作ろうと思ったんだ」

「それは、素敵ですね。もしかして――この白檀の簪がそうなんですか?」

「ああ。だけれど――」

 ふっと、彼の貌が暗く翳った。

 そして俯くと、額に手を添え柳眉を歪め、か細く啼いた。

「学府を卒業したその日、彼女は事故に遭った。幸い、怪我は掠り傷程度であったけれど……」

「けれど……?」

「彼女は、一部の記憶を無くしていた。俺の記憶だけ――」

「……!」

 変わることのない、平穏な日常があると信じて。

 渡すべき時が、訪れるのだと疑うことなく過ごしていた。

 なのに――その女性が想い人であると気付いた時には、すべてが遅すぎていた。

「もっと早く、彼女に伝えたかった。伝えれば良かったと後悔した。いつまでも彼女との関係は続くものだと思っていた。それなのに……!」

 誰だと問うた無邪気な笑顔が。

 名前を聞いてくる薄い唇が。

 記憶に焼き付き、剥がれない。

「夜一郎さん」

 不意に、添えられた華奢な掌。ゆっくりと貌を上げると、すぐ傍には撫子の貌があった。

「そんなに哀しまないで下さい。寂しい貌をしないで下さい。その想い人は生きているのでしょう? 生きていてくれているのなら、きっとまた貴方のことを想い出してくれます。だって、きっとその人も、貴方のことが好きだったんですから」

「撫子さん……」

 グッと喉の奥で言葉が詰まる。

「きっと、そんなに遠い未来なんかじゃないんです。だから、想い出すその日まで、どうか待っていてあげて下さい」

「有難う……」


      ❀❀❀


 ボーンと重厚な鐘の音が、真昼の時刻を告げた。

 それに気づいた撫子は慌てて席を立つと夜一郎に頭を下げた。

「すみません。もうお店に戻らないと……」

「いや。俺もそろそろ戻るよ。長居をしすぎてしまったからね」

「御帰りに、なられますか」

 見計らったかのように、少女が小さな風呂敷を二つ提げ、目の前にやって来た。

「すっかり長居をしてしまったわ。ごめんなさい」

「いいえ。今の貴方達の数少ない想い出の一つとなれたのなら、これほど幸福なことは御座いません」

 また、過去のような関係に戻れたことを、一瞬でも錯覚できたのなら、それは多少なりとも幸福なことだろう――。

「どうぞ、こちらをお持ち帰り下さいませ。萩の余りで御座います」

 そう言うと少女は、躑躅の模様が描かれた小さな風呂敷を二人に手渡した。

「有難う、頂くよ」

「お邪魔しました。お茶とお菓子、美味しかったです」

「これから先、良き想い出を得られることを切に願っております。夜一郎さま、撫子さま」

 それだけ言うと、少女は深々と頭を垂れ、二人の背中を見送った。


 追廊庵からの帰り道。

 躑躅の咲き誇る緑の回廊を並んで歩く。

 そんな二人を出口へと誘うように、惑い歩いて来たはずのその路は、優しく開いた。

 両脇を埋め尽くす、爛漫とした躑躅。

 その一つを手に取ると、撫子は朗らかに笑ってみせた。

「夜一郎さん、見て下さい。綺麗な躑躅ですよ」

 カランと乾いた下駄音を鳴らしながら、撫子は躑躅の回廊を行く。

「今度、躑躅の灯籠でも作ってみようかしら。そうしたら、夜一郎さんに贈っても良いですか? 今日の想い出を、形に残して置きたいんです」

「……有難う。出来上がったら、取りに伺おうか。そうしたら俺からも一つ、贈り物が出来るからね」

「贈り物、ですか?」

「ああ。今日の想い出の一つとして、躑躅の簪を作ってみるよ。そうしたら、君に贈ろう。それに――」

「――それに?」

「また、君に逢えるからね」

 夜一郎は照れくさそうに、俯きがちに笑う。

「そうですね。でも、その前に私が夜一郎さんのお店に行くと思います。貴方に、また逢いたいですから」

 穏やかな静寂が満ちる中、二つの影はゆっくりと進む。 そして道なりに進んでいくと、次第に躑躅の木々が少なくなり、やがて賑やかな喧噪が聞こえてきた。

「お囃子(はやし)……?」

「きっと練習だろう。神社で行われる、季節祭が近い」

 喧噪が近づく。それにつれて背後から微かに風の流れを感じた。そして、一歩。

「きゃ……!」

 突如強い風に背中を押され、脚がもつれた。

 ガクンと体勢が崩れ、そのまま茂みを抜けると地面に倒れそうになる。

「撫子……っ」

 強い力によって身体が浮かび、引き寄せられる感覚。

 直後、目の前には夜一郎の不安そうな貌があった。

「怪我は?」

「だ、大丈夫です」

 良かった、と安堵の吐息を零す夜一郎。

 その背後で、ザワリと茂みが震え路が閉じた気がした。

「あ……」

「どうしたんだい?」

(みち)が……」

「路……?」

「いえ、なんでもありません」

 微かに浮かぶ、少女の面影。

 手元にある躑躅の風呂敷を一瞥すると、撫子は夜一郎の手を優しく握った。

「……夜一郎さん。戻りましょうか」

 夜一郎の貌は、霞むことはなく。

 記憶の奥底から掬い上げた想い出に、優しい色が滲む。

 夜一郎といることに不安はなく、不思議と心は穏やかであった。

「撫子」

「はい……?」

 夜一郎の少し先を歩こうとした時だった。

 不意に、名前を呼ばれた。

 振り返ると、そこには夜一郎が神妙な面持ちでこちらを見ていた。

「撫子。君に伝えたいことがある……」


      ❀❀❀


 まだ彼女への想いに気付くことがなく。

 彼女もまた、彼の想いに気づけない時のこと。

 遠い昔に交わした約束が、絡み解けて、また紡ぐ。


 界街で盛大に行われた季節祭。

 そこに一組の男女の姿があった。

 一人は躑躅の灯籠を手に持ち、もう一人は長い黒髪に躑躅の簪を挿していたという――。


                       【了】


少し修正を加えた作品です。

悲恋というキーワードに該当するかは、今になって考えると悩みますね。

初心な、不器用な恋愛という題材は好きなので、また続きを書くかもしれません。


ここまでお読み頂きまして、ありがとうございました。

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