第1話 狂い始めたシナリオ
6対の剣槍、孤高の戦慄。
救済と破滅を背反せざる、旅路の果てに。
神の御劔に涙を満たし、巫女の御霊に誓いを立てよ。
4度目の春、勇者は一切の巨悪を討つ。
──────────
「イヤああっ!」
金切り声が森を貫く。
女は必死に駆けたが、やがて木の根に足を取られ派手に転倒。はだけたローブから白い太ももが露になった。
きっかけは物取りだったはずだ。しかし人気の少ない場所へと移るにつれ、追う2人組の男は明らかに目的を変えていた。
「こんな森の奥じゃもう助けは来ねえ。観念しろっ!」
「やめて……お願い……」
下品な男達には拒絶が誘い文句にしか聞こえない。鼻息を荒くし、一斉に女へと襲いかかる。
すると──。
「はい、ストップ~!」
突然、女の声色が変わった。そして急には止まれない男の脛を激しく蹴り飛ばす。
「痛えっ!」
「調子に乗り過ぎ。怪我したらどうすんのよ」
──彼らの役目はここまで。
本来なら、そのタイミングで颯爽と助けが入る予定であった。
【勇者】が男達を追い払い、その見返りに重要なヒントをもらう──それがこの〈イベント〉の趣旨である。
エターナル・メモリー・オンライン。略してEMO。
遊戯の登場人物たる彼らは、その時のために毎日追いかけっこを繰り返しているのだ。
しかし結局、今日も待ち人は訪れず。
「はぁ……本当に来るんすかね、勇者なんて」
その問いに、もう誰も反論できなくなっていた。
何しろ遊戯が始まって5年も経つ。
神の遣わす勇者が人類の敵を駆逐し、やがて平和を取り戻す──そんな在り来りの物語は、結末まで1年もあれば十分なはずであった。
「ログインしてることは確かなんだけど……」
彼らの会話がこうして成立していることがその証拠だ。
勇者の数だけ平行世界は存在する。それらは進め方によって差異が生じるから、この世界も一向に姿を見せない勇者のためにあると言っていい。
彼、若しくは彼女無くして物語が進むどころか、世界が存続することさえあり得ないのである。
「何かおかしいのよね。季節が変わらないのもそう」
女の言う通り、最初の異変は移らない季節に現れた。
それは遊戯開始時から春のまま。時計は動き、子も成長し、5年分の歴史が確かに刻まれているにも拘わらず。
堪らないのは登場人物達だ。
忌むべき敵によって危機に瀕したまま、救われるでも滅びるでもなく、ただ放置されているのだから。
幻想国家【メタトロン】は、舵の壊れた船のように、果てなき海を漂うしかなかった。
「ま、俺達はマシな方ですけどね。やるべき事が分かってて、しかも簡単で。重要な役だと勇者と同じ目線らしいから」
確かに自分の役割を正しく認識できているのは、単純な指令を与えられた者だけだ。間違いが起こらないよう、彼らは1つの志向性しか持たないように仕込まれている。
一方、設定の複雑な登場人物は勇者と世界観を共有し、物語を未知なるものとして共に紡ぐ。
味方になるのか敵対するのか。それさえも定かでない自由度は、名を持つ者だけに許された柔軟な思考から生まれるのである。
だから彼らには理解できなかった。
その身に迫る異変を。危機を。予定にないシナリオを。
「うわ……あああっ!」
突然、男が何かに攫われた──ような気がした。
身体を宙に浮かせ、忽然と消えたのだ。それが何者かに喰われたせいだと女は知る由もなく。
「ひっ──」
甲高い笛の音に似た悲鳴。無造作に払われた何かに、もう1人の男が拉げる──人体では決して曲がらない角度で。
悲愴な形相の男と目が合い、女は更に絶叫した。
「あああッ……!」
身体中から発せられる大音量の危険信号。
逃げろ、にげろ、ニゲロ……。
しかし女は身動きひとつ出来ない。ただ疑問符だけが浮かんでは頭の中を錯綜する。
役目さえ遂げれば、後は待てば良かったのだ。命を賭けた冒険など素知らぬ顔でおとなしくしていれば、やがて訪れる平和を享受できるはずだったのだ。
これは私の役ではない──。
最期の声は断末魔らしく無かった。
絶命の瞬間まで、女の口から機械的に紡がれた言葉。
それはいつもの練習通りに。ありったけの笑顔で。
「勇者……サマ。危ない……トコロを……タスケテ……いただいテ……」
主役不在のまま、物語は突然動き始めた。
まるで、作られた命がそれを否定するかのように。