※ 価値のない国
元婚約者アーサーの弟視点。
僕はイスターン=ウィル=シュマリナ。聖シュマリナ国の第二王子。庭でいちゃくつ兄ととある男爵令嬢の姿を目にして頭が痛くなる。
リザベラ=サマスディア男爵令嬢。もう直ぐ兄と正式に婚約することになっている女だ。
この国は、もう駄目だと思う。あんな男が次期国王だなんて、信じられない。あの男――僕の兄、アーサーは武人としては確かに有能だ。しかし馬鹿、それも大のつく馬鹿だ。成績がよくても考えの足りない阿呆としかいいようがない。
アイリーン=テンペジアが罪を犯した?なんて馬鹿らしい話だ。あの人がそんなことをするはずがない。しかも、兄の隣にいる男爵令嬢を蹴落とすためだって?ありえない。
僕は知っている。アイリーン=テンペジアという人がどれほどすばらしい人間だったか。
王として行き過ぎた行いをしようとする兄を窘めて、王とはどのようにあるべきかを切々と語った姿を思い出す。
『王は民のためにあるのです。民なくしては王は在り得ない。民を苦しめることはしてはなりません。民の血税でそのような贅沢をなさらないでください』
『アーサー殿下。王は偉いのではございません。民を導けるからこそ、民からの信頼を得、信頼されるからこそ王で在ることができるのです。尊大な態度はお控えください』
あれは正しい言葉だったのだろう。兄は「所詮女の言うことだ」などとほとんど聞いていなかったようだが、何度も何度も少しでも聞き入れてもらえるまでと繰り返して語った彼女は凛として強く、既に王妃としての風格を持っているように見えた。
傷ついた者を見かければそれが人でも動物でも駆け寄って、気力体力共にかなり削りとる治癒の魔法を惜しみなく使い、変装して街へ足繁く通いながら、国民の生活を見、話を聞き、生活の向上のための策を案じては王宮へ報告と提案を繰り返し……そんな彼女を、僕はずっと見ていた。
優しくて、慈愛に満ちて、けれど王妃となるために表向きは冷静で時には残酷な判断すら下し、後で人の目から逃れて涙する彼女を。
彼女は兄の婚約者で、僕には絶対に手の届かない存在だったから……けれど、彼女が王妃となってこの国をまとめる人になるのなら、僕も彼女の作る国を見たいから、彼女の助けになりたいと外国に出てまで学を積んでいたのに。
帰ってきたら、彼女はいなくなっていた。そして兄の婚約者には、頭の軽そうな女が居て。……ちょっと口が過ぎた。とにかく、アイリーン嬢は間違っても、自ら人を殺めようとする人ではない。
兄上は、幼いころからアイリーン嬢と共に居たはずなのに、いったい彼女の何を見ていたのだろうか。
ふらりと現れた女に傾倒して、何もしていないアイリーン嬢を魔の森へ追放だなんて……あの男の頭には脳の代わりにおがくずでも詰まっているに違いない。
「イスターン様、報告が」
「なんだ」
「かのお方の腕輪、どうやら突然反応が消えたらしく。……壊されたのではないかと」
彼女につけられた魔封じの腕輪。あれは精密ではないが追跡機能も搭載されている。王宮では、着用者が死亡し腕輪が効力を失うまでの観測を必ず行うことになっている。本来、着用者が死ねばゆっくりと腕輪に残った魔力が消えていき、反応は少しずつ薄くなっていくものなのだが。
「……故障である可能性もないわけではございませんが……」
「いや、いい。可能性があれば十分だ」
彼女が、生きているかもしれない。それだけで十分。
兄が王の座に着いたら、僕はこの国を出て彼女を探しに行く。兄が無事に王座を継いだなら、スペアである僕はもういらないだろう。
兄も、騎士団長のウォルフ=フォークも、次期宰相のアイン=ロドルフも。皆あの女の虜だ。国の頭とも言えるものたちが一人の女に夢中になって、あの女の言うことなら何でも信じてしまう。そんな危険な国に居られるものか。あの女の邪魔になったら消されるのだ―――アイリーン嬢のように。
「ふふ、もう、アーサーったら」
鈴が転がるような声で笑う声。けれど僕にはどうしても、耳障りな音にしか聞こえない。
彼女の透き通った水のような、澄んだ声が聞きたい。
こんな国、早く滅んでしまえば良いのに。
(………いっそ、魔物がこの国を攻め滅ぼしてくれたら)
彼女を苦しめて追い出した、こんな国に未練はない。いっそのこと魔物にでも滅ぼされてしまえば、小気味良いというもの。
それで僕が命を落としたら、それはそれ。彼女を守れなかった僕への罰だと受け入れよう。
「アイリーン嬢……生きているなら、どうか……」
こんな国のことは忘れて、幸せに生きてほしい。
彼女なら、きっとどこでも受け入れられるだろう。優しくて、強くて、でも本当は少しだけ弱い僕の初恋の人。
あなたのいないこの国に価値はない。
あの兄ともども早く滅びてしまえば良い。
アーサーの弟はちょっと愛が重たいような……気のせいですかね(((
とりあえずちょっとだけ、王国側の話です。