綺麗でした
ユニーク1万突破…だと……ありがとうございます。
朝目が覚めて、見慣れぬ場所に驚いて飛び起きた。が、直ぐにここが魔王の城であることを思い出す。
(……夢じゃなかったのね)
昨日の出来事はあまりにも非現実的すぎて、夢ではないかと思いながら眠りについたのだが―――やはり、夢ではなかったらしい。
覚えのない罪で国から追放され、死を覚悟したら魔王の城へ招待され、出会った魔王に求婚され……夢でないと思う方が難しい現実だ。
ベッドから降り、とりあえず着替えなければとクローゼットを開こうとしたときだ。軽いノックに続いて「母上、起きてらっしゃいますか」というビリーの控えめな声が聞こえた。
「ええ、今起きたところよ。どうかしたの?」
「メイド達に朝の支度をお手伝いさせてください。入室の許可をいただけますか?」
「……どうぞ」
ゆっくりと開いた扉から入ってくるメイド達からそっと顔をそらす。彼女たちは、その、少々、怖いのだ。全員が陶器でできたような真っ白の、しかも表情のない面をつけている。動きには無駄がなく、どこか機械的で、そして何より一言もしゃべらず淡々と仕事をする。
無言のメイド達にあれよあれよという間に身なりを整えられて、ここはきっとそういうところなのだ、と諦めた。郷に入っては郷に従えという言葉もあるくらいだ、世の中は順応が大事なのだ。
「母上、食堂にて朝食の準備ができておりますが、いかがなさいますか?」
朝の支度が整ったところで、ちょうどよくビリーの声がかけられる。
すぐに参ります、と返しながらあまりのタイミングの良さに内心驚いていた。まさか全ての時間を計算して動いている、なんてことはないと思いたい。
部屋を出ると、扉の傍に控えていたビリーが嬉しそうに笑って頭を下げた。
「おはようございます、母上」
「おはよう、ビリー」
「では、ご案内いたします。僕についてきてください」
「ええ、お願いね」
はい、と嬉しそうに返事をしてビリーが歩き出す。その姿がなんとなく、母親の役に立ちたい子供に見えて愛らしく思い、自然と笑みがこぼれた。
大人の容姿をしているけれど、彼がスライムのビリーの生まれ変わりだというなら、生まれて10年そこそこというところだろう。まだ精神が幼かったとしてもおかしくはない。……それは人間の感覚だから、魔族に当てはまるかどうか微妙なところだけれど。
ビリーに連れられ、歩きながら辺りを見回す。キョロキョロと視線をせわしなく動かすのは令嬢らしくない、はしたない行為だとは理解しているが、今の私はもう貴族ではない。もう王妃候補としてそれらしい振る舞いをする必要もないのだ。少しくらい、初めて見る場所に好奇心をくすぐられてはしゃいでも、咎める者はいない。それが私の弱点になることもない。気を張る必要がないというのはとても楽だ。
「母上は変わりませんね。初めて街に出た日と同じ反応をしてますよ」
「……だって、初めて来たところってワクワクするでしょう?」
「ふふ、そうですね」
ビリーは楽しそうに笑って、それから私が興味を持つものを一つ一つ説明してくれた。
例えば、ろうそくの入っていないランプは、夜になると発光する虫型の魔物が入って明かりになる、とか。綺麗だけどどこか物足りない不思議な絵画は、絵の魔物の部屋のひとつで、時々人や動物の姿になって絵の中に入り込み、にぎやかになる、とか。小さな椅子がたくさんついたツリーは、いわゆる妖精の形をした魔物たちの休憩所、とか。
今まで見たことも聞いたこともないものばかりで、私は心を躍らせてあれはこれはとついたくさんの質問をしてしまって、あとで興奮しすぎたと恥ずかしくなった。
「……あら、あれは……」
「あちらは魔王城自慢の庭園ですよ」
ふと窓を見て目に飛び込んできたのは、色とりどりの花々が咲き誇る庭園。二階からだとよく見える。眼下に広がる庭園は美しく、その中でも目立っているのは真っ赤なバラが締める一角だ。そこだけは何故か、とても目を引き寄せられる。
「ねぇ、ビリー。あのバラは何か特別なのかしら」
見事としか言いようのない庭園の花たちの中でも一際美しい赤いバラの一帯。余程丁寧に、愛情を込め手入れされているのだろう。そうでなければあそこまで美しくはならない。この庭園を任されている庭師はバラに思いいれでもあるのだろうかとビリーに尋ねたが、返ってきた答えは予想外のものだった。
「そうですね……あの赤いバラだけは、魔王様以外触れてはいけないと命がでています。魔王様の魔力で作られた水を与えられるからか、とても綺麗なんですよね」
「魔王様が、あのバラを……?」
まさか魔王が直々に赤いバラを育てているとは思ってもみなかった。シュマリナ国にも庭園はあったが、王族はあれこれと指示を出すだけで決して草花や土に触れようとはしなかったし、そのイメージが強かったからだろう。しかし魔王はなぜ赤いバラだけ丹精込めて育てているのか。さらに疑問を口にしてみた。
「魔王様は、赤いバラがお好きなの?」
「赤いバラというよりは……赤は母上の色ですから。庭園の赤バラは、僕が魔王様に母上の話をするようになってから植えられたと聞いています」
「………私の、色」
確かに、私の髪は燃えるような赤だ。もう一度庭園のバラを見る。太陽の光を受けた赤は眩いほど美しく、それが私の色だというのは少々、いやかなり、おこがましいと思う。
けれど同時に、私の色だと赤いバラを大切にしていたという魔王に少しだけ、胸が甘く疼いた。あの美しい魔王は、会ったこともない私にいったいどんな思いをもってあのバラを愛でていたのだろうか。妃にと望まれたせいか妙に意識してしまう。
(だめだ……別のことを考えないと、あの人のことでいっぱいになってしまいそう)
今日の朝食は何だろう、と淑女にあるまじきことを考え始めた私の思考を遮ったのはビリーの一言だった。
「あ、魔王様」
庭園に、光を受けて青くなった髪をなびかせながら魔王が足を踏み入れた。まっすぐ赤いバラの元まで歩き、水の魔法を発動させてバラ全体に水を与えている。
ハラハラと雨のように振る水は日光を浴びて光り、虹をつくり、とても綺麗だった。
思わずその光景に魅入っていると、魔王が振り返って目が合った―――ような気がした。ここからかなり距離があるから、私を見ているという確証はない。けれどどうしても、見られているような気がして落ちつけない。
「ビリー、行きましょう」
「え?はい、分かりました」
不思議そうなビリーを急かし食堂へ向かう。なぜだか頬が熱を持っているような気がした。
この後。
美味しい朝食を終えて満足感に満たされながら部屋に帰ると、テーブルの上に赤いバラが飾られ、ビリーの「魔王様以外触れることは許されてない」という話を思い出しまた胸が優しく疼くことになるのを、私はまだ知らない。
魔王様、アイリーンのためにバラを摘んできたらしいです。