知っていました
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昔、私が“お転婆”であっても子供の無邪気さ、として許されるほど幼かったころの話だ。3歳くらいだったと思う。
恐らく鳥がどこかで捕まえたものを落としていったのだろう。家の敷地を出たことのなかった私はその時初めて魔物に出会った。
庭の隅で草木の陰に隠れるようにしてそこに居た、子供の掌ほどの小さな緑のスライム。その小さな半透明の体にはたくさんの傷を負っていた。この世の常識に疎かった当時の私は魔物を恐れるものとして認識しておらず、慌てて救急箱へ傷薬を取りに行き、スライムを傷薬まみれにした。
薬のおかげかスライムはすぐに元気になって、私の足元に身を寄せてきた。私はスライムに懐かれたのだと思って、そんな姿を愛らしく感じ――――そのスライムをこっそり部屋へと連れ帰り、そしてこっそり育てることにした。元の世界で言えば、捨て猫を拾ってきて親に黙ってばれないように部屋で飼うような、そんな気分だった。
結局、侍女に見つかり両親に報告され大目玉をくらうことになったが、私から離れず、むしろ私以外の人間から隠れるように私の背に回る小さなスライムを無害と判断したのか、ため息を吐きつつスライムが共にいることを許してくれた。ただ、家の中に入れず庭に小屋を建ててそこに住まわせるように、とのことだったけれど。
『わたくしはアイリーン。あなたのなまえはビリーよ。わかった?』
魔物に知性や理性などないというのが世の常識だと当時は知らなかったし、私の言葉に一々震えて反応するスライムは私の言葉を理解しているように見えた。実際、名前を呼べば近寄って来てくれていた。だからビリーは正確でないとしてもなんとなく言葉を理解しているのだろうと思っていたし、たくさん話しかけて毎日一緒に遊んでいた。
私とビリーは、3年ほど一緒に暮らした。私にとってビリーという存在は、弟や妹のような、子供のような。私が守るべき小さな存在だった。
それが失われたのは本当に一瞬で……私がスライムを連れていることは、領民たちの常識でも、外からやってきた冒険者の常識ではなかった。私の後ろをついてくるスライムを、私が狙われていると思ったらしい冒険者にビリーは斬られてあっけなく、いなくなってしまった。
じっと目の前のビリーと名乗る魔族を見つめる。
整った容姿の魔族である彼の姿は、私の知るスライムのビリーとは似ても似つかないが……それでも、彼がビリーなのだとしたら。
「……あの、ビリーなの……?」
「はい、母上。貴女に愛情を注がれ、短い時でしたが育てていただいた、ベビースライムのビリーです。今は、このような姿をしていますが……母上と共に暮らした日々は、昨日のことのように覚えています」
「一緒に、よく……お茶をしたわよね」
「はい。母上はいつもアールグレイにミルクをたっぷりと砂糖を2つ、お入れになっていましたね」
「貴方は砂糖だけを美味しそうに食べていたわ」
「体に染み渡る甘さでした」
確かに彼は、私のことを良く知っている。ビリーと過ごした思い出を、もう私しか知らないと思っていたような記憶を、彼は持っている。
3年という短い、けれどとても大事だった記憶を思い起こし、泣きそうになる。
ビリーが溶けるように消えたあの日から暫く、私は毎日泣いていて。もう二度とあんなことはごめんだと、魔物から遠ざかるように暮らした。魔物を殺すなんて、出来るはずもなく。学園での魔物討伐の演習は親の権力を使ってでも全力で逃げた。
「……またあえてよかった」
声は少し震えていたけれど、涙は堪えた。魔の森へ向かう馬車の中で辛くても涙がでなかったときとは違う。辛くはない、嬉しい。嬉しくて泣きそうだ。
「……僕も、また母上に会えてうれしいです」
ビリーが笑ったので、私も笑顔を見せた。そしてふと、疑問に思ったことを口にする。
「それにしても、何故“母上”なの?」
「ずっと母だと思って慕っていましたので……自分が人間でないと気づいた日は結構、ショックを受けました。でも、僕を育ててくれたのは貴女ですから。僕にとって貴女は母上なのです」
少し照れくさそうに言われて、こちらまで照れてしまいそうになる。
まぁ、私もスライムのビリーのことは子供のように思っていた部分もあるし、その気持ちは間違いではないのかもしれない。
………自分よりも年上に見える姿の美青年に母と呼ばれると妙な感じはするのだけど。
それでも、目の前の彼は、前世の記憶と意識を持って生まれた、正真正銘のビリーなのだ。私がそうであるように、姿形が変わってもその心が変わることはない。
暫くビリーと昔話に花を咲かせ、ふと当初の目的を思い出した。なぜ、魔王が私を知っていたのかという、疑問を。
「もしかして……魔王様が私を知っていたのは、ビリーの話を聞いていたからなの?」
「ええ、前世持ちはどのような記憶を持っているか、生まれたら必ず魔王様に報告いたしますので。魔王様は僕の記憶を、大変興味深そうに何度もお聞きになっていました。特に、母上のことを」
「……私、そんなにおかしなことをしていたかしら」
よく覚えているとはいえ、幼少期の3年間だ。記憶が飛んでいるところもある。妙なことをしでかしていないかと焦りつつ口にした呟きに、ビリーは笑みを浮かべるだけだった。
……まさか、本当にとんでもなく笑えるような失態を起こし、それが魔王様の興味をひいたとかではないだろうか。ないと信じたい。
「母上、魔王様はとても素晴らしい方ですよ」
何故だろう。「だから魔王様と結婚してくださいね」というような副音声が聞こえる気がした。
それから暫く、魔王様はいかに素晴らしいかというビリーの魔王様武勇伝を聞かされ、ビリーの熱弁に圧倒されることになる。
子供が尊敬する近所のお兄さんの話をしているのを聞くような気分だったのは、私だけの秘密だ。
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