※悪夢の終わり
引き続きアーサー視点で
俺の頭の中で、全てが完璧だったアイリーンの姿が巡る。思い出せば、俺は彼女をずっと見ていたということがわかる。俺に王であることの責任を説く姿、魔物を殺す授業をまっすぐな瞳で否定した姿、誰も傍に居なくとも、凛と立って強くあったその姿。ただ、どのアイリーンも笑みを浮かべていなかった。俺が彼女の笑顔を最後に見たのは、いつだったか。
「俺は、アイリーンを不幸にしたのか」
彼女が笑わなくなったのは、きっと俺のせいだ。俺が彼女を否定し続けたから、彼女に味方はいなくなったのだ。彼女が両親を失った時も、俺は優しい言葉なんてかけなかった。おそらく涙を見せなかったのは、貴族として、テンペジア公爵家の者として気丈に振る舞っていただけ。そんな彼女に俺は酷い言葉を放った。「両親を失っても涙一つ見せないとは、お前は心が凍っているのだな」と。その時からだと思う、彼女が俺に笑顔を見せなくなったのは。
「俺は……最低だな……」
今気づいたところで、本当に、もう遅い。彼女の全てを奪ったのは俺だ。許されるのなら、俺は彼女の前で地に額をこすりつけて謝罪したい。脱力して座り込む俺の耳に、クツクツと笑う魔王の声が入ってくる。
「こう言っているがどうする、アイリーン?」
その名に俺は勢いよく顔をあげた。暗がりからゆっくり、ヒールの靴音を響かせて現れたのは。黒のシックなドレスに身を包んだ、いつも通り完璧なアイリーンだった。
「どうもいたしません。シュマリナ国を追われた私に、その方は関係がございませんから」
「それもそうだな。貴女はもう、この国の者だ」
魔王が優しく微笑んだ。驚いて目を瞠ったが、その魔王にアイリーンが微笑み返したことに、思わず息を飲んだ。――――初めて見た。大人になった彼女の、美しい笑顔を。
「アイリーン、おれは……!」
「謝罪をするつもりなら止めてください。そんなもの欲しくはありません」
謝ろうと思った、しかしアイリーンはそれを許さない。きっぱりと断られ、俺はどうすればいいか分からなくなる。謝りたい、謝らなければならない、他に、俺が彼女に出来ることなんてないじゃないか。それなのになんで、謝らせてくれないのだ。
「けれど、言わせていただきたいことがあります」
「ああ、なんでも聞く……言ってくれ」
出来ることなら何でもしよう。ここで死ねと言われたら死のう。それで彼女の気が晴れるなら喜んで受け入れる。それが謝罪となるはずだ。
「私はここで幸せになりますから、二度と邪魔しないでください。二度と、この国に来ないでください」
俺の視界に、大輪の花が開いたような。貴族として完璧なアイリーンとかけ離れた、町娘のような明るい笑顔。全力で笑う、その笑顔が映った。そして。
「大っ嫌い、馬鹿王子!」
とてもすっきりした様子の彼女は、貴族とは思えぬ言葉を放ったけれど。きっとこっちが本当の彼女だ。魔王が優しい顔でアイリーンを見ている。アイリーンは少し恥ずかしそうに、それでも笑って魔王を見ている。
あぁ、なんてことだろう。俺は、そんな彼女を本当に綺麗だと思った。心の底から、いい女だと。今気づいても遅い。彼女はもう、俺の婚約者じゃない。きっと、魔王の……。胸に広がる苦い感覚は、後悔と嫉妬と、失恋の味だ。
「楽しそうにしてるとこ悪いけど、このゲーム終わらせてもらうわ」
リザベラの声だった。また、意味の分からないことを言っている。右手に短剣をもって、その切っ先を俺に向けている。
「たしか、魔王と戦おうとして誤ってアーサーを刺すバッドエンドがあったわ。一度エンディングまで行けば、やり直せるはずよ」
ぶつぶつと呟く言葉も状況も理解できなくて、呆然とする俺にきらめく刃が迫ってきた。俺に向かってくるリザベラの顔は、醜く笑っていた。あぁ、俺はなんでこんな女に―――。
リザベラの刃は、俺に刺さらず宙を舞った。リザベラは目を丸くして手元を見ている。俺も同じような顔をしていることだろう。
「母上の前で、クソ野郎とは言え殺人を犯させるわけにはいきませんからね」
「ビリー……」
「あとでほめてくださいね、母上!」
ニコニコと笑うデーモン。呆気に取られて口が半開きになる。俺をゴミくずでも見るような目で見ていたデーモン、のはずだが。アイリーンに向ける顔が違い過ぎて、別人かと思ってしまった。
「っ…なんで、なんでよ……!!なんでディグルまでその女に…ッ!!!」
「うるさい。喋るな。これ以上母上を侮辱したら許さない」
刃のような鋭い視線がリザベラに向けられた。間違いなく、先ほどのデーモンだ。こいつが何故アイリーンを母上と呼んでいるかは分からないが、とにかくアイリーンを深く慕っていることだけはよくわかる。だからこそ、俺たちを見る目があんなに冷たいのだ。
「なんで……ディグルは、……こんなの、ディグルじゃない……っ」
「言ってるだろ、僕はビリー。ディグルなんて魔物はこの世に存在しない」
リザベラの顔に絶望が宿った。
……リザベラが言うことは殆ど分からなかった。ただ、リザベラは会った事もないはずのこのデーモンに惚れていて、しかしデーモンは彼女の思っていた存在とは違った、ということだろうと予測がついた。
俺を好きだと言っていたが、どうやらすべて嘘だった、らしい。もう、自分の愚かさに笑うしかなかった。
酷い悪夢だ。いや……俺は今、悪夢からようやく覚めたのかもしれなかった。
もう少しざまぁしたい。と思っております。
沢山ご感想いただきました…ありがとうございます。ゆっくり返信していけたらなぁと思います。
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