未練はありません
魔王様よりビリーの出番が多くなってしまうのはなぜでしょうか…
私が魔王城で暮らし始めて、一週間が経った。
与えられた自室の窓際で、ビリーの淹れてくれた美味しい紅茶を口にしながら物思いに耽る。
私の国は、豊かだった。大きな建物が立ち並び、緑は殆ど削られて人の住む場所になっていた。王都は人々のあこがれの地だった。けれど、王都から離れれば離れるほど、民の生活は貧しくなっていた。辺境の民の主な生業は農業や漁業など第一次産業で、収穫物を税として納める。貨幣は殆ど流通しておらず、皆が自給自足……と言えば聞こえはいいが、日々を生きるのに必要な糧を得るだけで精一杯の生活をしていた。しかし誰もそれを不思議と思わず、当たり前のこととして受け入れ、ただ王都の生活を“自分たちには手の届かない夢の生活”として見ていた。向上心はかけらも感じられなかった。
どうにか地方を盛り上げようとも思ったが、民が飢えないギリギリの税を巻き上げる国政のせいで、一貴族にはどうしようもなく……王妃になった時はかならず、と思っていたのだけど。
あの国は、今どうなっているのだろう。殿下とリザベラ嬢は――あれだけ仲が良かったのだ。もう婚約くらいしているかもしれない。
あの国に、私は未練があるだろうか?
(正直、もうどうでもいいわね)
冷たいと思われるかもしれないが、どうせ戻れもしない頭の腐った国に未練など持てない。実の両親はもういないし、義理の父母には情がない。
両親は事故で突然この世を去り、一人残された私は当時10歳だった。子供に爵位を与えても、貴族としての務めができるはずもない、しかしテンペジア家が無くなるのは困る。そういう事情があって叔父夫婦がテンペジア公爵家の主となり、私はその養女として暮らしてきた。叔父夫婦との関係は―――同じ家に住む他人といったところか。
あの国には親しい友人も、大切な家族もいない。もう二度とあの国の光景を目にすることがないとしても、別に構わない。そもそも、あの国は私を切り捨てたのだ。戻りたいなんて思うはずがない。
ふと、気づく。私は、あの国で孤独だったのだと。誰にも心許すことができず、ずっと一人ぼっちだったのだと。今、あの場所を離れて初めて気づいた。
「……母上」
「ん?どうしたの?」
「母上、辛いですか?」
ビリーの問いかけに肩がはねそうになった。私が何か言う前に、ビリーが私の横に膝をついて、下から覗き込むようにじっと見つめられた。
「考え事の邪魔をしてはいけないとは思ったのですけど……なんだか、母上の元気がないように見えて……」
「……辛くないと言えば嘘になるかもしれないけど、大丈夫よ」
「本当ですか?無理してませんか?」
眉をハの字にして心の底から心配です、というような顔をされ、私はつい笑ってしまった。私が笑ったことを理解できないらしい彼は困惑しつつでもまだ心配もしているという器用な表情を浮かべている。
「大丈夫。辛いけど、辛くないのよ」
「……?よくわかりません」
「ふふ、変なことを言ったわ。ごめんなさいね」
孤独だったと気づいたことは、辛い。けれど今は決して一人ではないと感じることができる。今が孤独でないからこそ、あの国に居た時が孤独だったと気づけた。
ビリーのように私を思って心配してくれる人も居なければ、リヴァルト様のように私自身を必要だと熱のこもった瞳を向けてくれる人もいなかった。誰もかれも冷たくて、あの場に居た私は氷の大地に立っていたようだった。
「ねぇ、ビリー。私をここに呼んでくださったのは魔王様よね?」
「はい。魔王様が母上を連れて来るように僕に命じましたから」
「魔王様には、本当に感謝しなくてはいけないわ。私、今とても幸せだもの」
ビリーの姿はれっきとした成人男性のそれだけれど、彼の行動を見ていていつのまにかその姿は関係なく息子のように感じられる。
旦那様より先に可愛い息子ができてしまった。あとは旦那様が素敵な人だといい―――リヴァルト様の顔が浮かんできて、少し気恥ずかしくなった。
随分長いこと忘れていた胸に広がる温かな感覚に自然と頬が緩む。恐らくこれは幸福感や満足感というものだ。……こんなに柔らかい気持ちはいつぶりだろう。
「……母上、その笑顔は反則かと……」
「?変だった?」
「……いえ、とても……やっぱりなんでもないです」
このときビリーが「魔王様この場に居なかったのは残念だったな」とか「僕だけ母上のあんな笑顔を見て怒られそう」とか考えていたことを私が知るのはずっと先の話で、私はただ何か考えてる様子のビリーを不思議に思うだけだった。
「魔王様に何か……お返しというか、お礼をしたいのだけど。どうすればいいと思う?」
今の私があるのはリヴァルト様が私をここへ招待してくださったおかげだ。何か感謝の気持ちを伝えたいのだけど、残念ながら私はこの身一つでここへきてしまった。差し上げられるようなものは何も持っていない。
「そうですね……魔王様なら、母上からデ……お出かけのお誘いをもらえたら、とてもお喜びになると思います」
「それだけでお礼になる気がしないのだけど……」
「そんなことはありません。魔王様は“絶対に”お喜びになりますから。足りないと思うなら何度でもお誘いしてみてください」
「そ、そう……?ならそうしてみるわ」
ビリーが笑顔で“絶対に喜ぶ”と強く押してくるのでつい頷いてしまった。
私はこの魔物の土地を知らないから、リヴァルト様を外出に誘っても結局案内してもらうことになってしまうのだが……本当にこれでいいのだろうか。
アイリーンは魔王本人の前では「リヴァルト様」それ以外の者の前では「魔王様」と呼んで、何か面倒が起きないように使い分けています。
評価、感想、ブックマーク、ありがとうございます。感想はいつも大事に読ませていただいてます。とても励みになります……ありがたい。