LIVE TOUR
全米ツアーも終盤となったデスメタルバンドDELUGEのボーカル、バネッサは婚約者のアーロンと毎晩恒例のおやすみコールをしていた。
「土曜日はいよいよキミのステージを見られると思うとワクワクして眠れないよ」
「どんなに大勢の観客の中からでもアーロン、きっとあなたを見つけるわよ!」
「本当はDELUGEの追っかけをしたいくらいなんだけどね」
「ダメ! あなたはしっかり勉強してロースクール入らなきゃ。でないと永遠に結婚できないわ」
「了解! でもあまり心配はいらないと思う。キミの婚約者はかなり秀才らしいよ」
「もう、アーロンったら。愛してる! ステージが終わったら朝まで時間もらったわ」
「オーケイ! アーロン・ハイリネン、腰が砕けてもがんばります!」
「ぷっ。アーロン、あなた最近エヴァン化してきたわよ」
「エヴァンはあっちの師匠だからね。ライブは家族全員で行くよ。姉さんのヘッドバンギングはハンパないからステージで吹かないように」
「アハハ、楽しみ。土曜日は最高のステージを約束するわ。愛してる!」
「僕もだ、バネッサ。おやすみ」
婚約者アーロンと話すことでバネッサは数日来の不安から少し脱出できた。
アーロンを心配させないようにあえて話さなかったのはクリス・スペンサーのオフィスに届いた脅迫状のことだった。
このネット社会で今どきレアともいえる雑誌・新聞の切り抜き活字の脅迫状が届いたのはツアーの半ば過ぎ。切り抜き活字の無機質な羅列は『ツアーの中止』を求め『ツアーを強行すれば黒人ヴォーカルは死ぬ』という内容を差別用語を用いて示唆していた。
人気バンドになればこれくらいの脅迫は日常茶飯事だが、事務所としては当然警察にも届けメンバーやスタッフにも事実を告げることにした。
バネッサも他のメンバーも少し憂鬱な気持ちにはなったが、ライブが始まると夢中になって脅迫状のことなど意識から消えてしまった。そしてアンコールの定番となった最後の曲「sadistic mayor」で盛り上がって終了というのが恒例のパターンとなった。
もちろん会場に動員された通常の数以上の警官や私設警備のスタッフもメンバーを心強く勇気づけたのは言うまでもない。
観客のボディチェックもおざなりではなくなった。