Bloody night 3
「ご家族か関係者はいますか?」
処置室から出てきた看護師がビニール袋に入ったバネッサのステージ衣装を持ってきた。
「家族はこっちに向かっていますが、婚約者はここにいます」
と事務所のスタッフが答えた。
アーロンが受け取ると、その衣装はずっしり重かった。袋の底に血だまりができていた。
「あとアクセサリーも外しました。こちらです」
小さな袋に入ったステージ用の豪華なピアスやブレスレットの中にあのチープなリングが見えた。アーロンがプロポーズしたとき、あんなに大喜びしてくれた細いリングだった。
アーロンは自分の小指にそのチープリングをはめた。バネッサの血が付着した安物の指輪は、それでも一生懸命輝こうとしていた。
「バネッサ、バネッサ……」
イリーナは放心した弟をただ抱きしめていた。バネッサは手術室へと移送されていた。
スマホが着信を告げた。発信者はエヴァンだった。よろよろと電話ブースに入って通話状態にしたアーロンの耳に緊迫したエヴァンの声が飛び込んできた。
「アーロン! バネッサは?」
「わからない。今、手術室に入った」
「ラルフとそっちに向かってる」
「……」
「アーロン?」
「かっこよかったんだよ。今夜のバネッサは」
「うん、わかるよ」
「血がいっぱい出てた。どっかのいかれたヤツが彼女を撃ったんだ」
アーロンは泣きながら電話ブースの床に座り込んだ。エヴァンの声を聞いて張り詰めていたものが切れた。
「しっかりしろ! アーロン」
「バネッサを愛している」
「わかってる。すぐ行く」
「彼女がいなきゃダメなんだ」
通話が終わってもアーロンは電話ブースの床に座り込んで泣いていた。涙がバネッサの血と混じってまた鮮血の色を取り戻していた。
心配して様子を見に来たイリーナは弟を抱きかかえて家族待機室に向かった。
待機室でイリーナはアーロンの顔についた血を濡れたハンカチで拭った。今度はアーロンは抵抗しなかった、というよりもうその気力も失っていた。
ジョージアからバネッサの両親と嫁いでいる姉のビクトリアが駆けつけた。
同じ頃、事務所のクリス・スペンサーも到着しアーロンとイリーナを含む6人は医師からの説明を受けた。
遅れてエヴァンとラルフも病院に駆け込んできた。
バネッサの緊急手術はまだ続いていた。
鎮痛な表情の家族とアーロン、イリーナ、そしてクリスが医師との面談室から出てきた。
「ラルフ、来てくれたの?」
バネッサの姉のビクトリアが幼なじみのラルフを見つけた。
「ビクトリア、おじさま、おばさま……」
ラルフはビクトリアと抱き合ってふたりとも泣いた。エヴァンはバネッサの家族に会釈するとアーロン、イリーナの元へ向かった。
イリーナに肩を抱かれたアーロンはビスクドールのように表情を無くしていた。その服にはバネッサの血が赤黒く付着していた。
エヴァンが自分のジャケットをアーロンの肩にかけた。
「バネッサは?」
エヴァンの問いに答えたのはイリーナだった。
イリーナとエヴァンが会うのは、2度目だった。1度目はハワード市長の事件の時、家出中のアーロンを迎えに来たイリーナが弟を張り倒すという衝撃的なシーンでの出会いだった。
「エヴァンさん、だったわね? アーロンのために来てくれてありがとう」
「いえ、バネッサの容態は?」
「バンドメンバーの呼びかけで驚く程の輸血提供者が集まってくれたの。外傷性ショックと失血による最悪の事態だけは避けられたそうよ。でも感染症とかの心配はあるけど」
「バネッサは助かるんでしょ?」
「アーロンを見つけて彼女、ジャンプしたの。それがいつもの振り付けと違ってて頭部や胸部への被弾は避けられたの。でも銃弾は下腹部に命中したの」
「……」
「子宮に銃弾が残ってて、かなりダメージ受けてて。命を救うために摘出するしかなかったの」
「そんな!」
アーロンの振り絞るような嗚咽が漏れた。
廊下の先ではラルフの泣き声が聞こえた。バネッサの母親と姉のビクトリアも抱き合って泣いていた。
エヴァンはアーロンの隣に腰掛けるとその肩を抱いた。かけるべき言葉も見つからなかった。アーロンはエヴァンの肩に力なくもたれかかってきた。
ああ、こんなことずっと前にもあったよな。
瀕死の状態でショッピングモールの駐車場に棄てられたキミを見つけて病院に連れて行った時。
キミは今みたいに僕にもたれかかってきたね。僕はキミとゲイのカップルだと思われるのが嫌で他人の目を気にしながら待合室にいたんだよな。
あれから僕たちはちょっと危険な関係になりそうな夜もあったけど、今では一番の親友になったと思っている。
今のアーロンに僕は何をすべきなんだろう? 何ができるんだろう?
力なくもたれかかるアーロンとその肩を抱くエヴァンを、ラルフは遠くから見てそして目をそらした。
銃弾でダメージを受けた子宮の摘出と銃創の縫合手術は終わった。
バネッサはICUで高熱のまま眠りつづけた。




