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さる術者の初恋  作者: 井上シャチ
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秘めたる心

 あれは遠野陸がまだ小学生のときだ。

 大人の術師たちに連れらてやって来た少年を陸が見たのは。

 綺麗な人だと思った。

 年は陸より十歳くらい上だろうか。白装束姿を着た背中は背筋がぴんと張っていて、対照的に男なのに華奢な印象を与える肩が儚げな雰囲気を漂わせていた。さらさらと音を立てそうなほど黒髪は艶やかで、少し緊張気味に引き結ばれた唇が凛々しさを引き立てている。

 幼い子どもながらに陸はその少年に見とれていた。

 たぶんあれが初恋なのだろう。

 あれから十年経った今でもあのときの映像は陸の中で鮮明に繰り返されている。




「起きろ」

 臭いに耐え切れず陸は鼻を摘まんで起き上がった。

「くっさ。ちょっと雛田さん、それマジで臭いんですけどっ」

 片足を掲げた雛田の姿が目に入る。どうやら臭いの原因は彼の足のようだ。

「朝の修行サボってぐうたら寝ていた奴が何を抜かしてやがる。これは今朝の鍛錬の成果だ、もっと嗅ぎやがれ」

 ぐりぐりと頬につま先を押し付けられる。

「ひ、ひどい。いくら寝坊したからってそこまですることないじゃないか」

 非難の声を上げると、どかっと殴られた。

「いたっ」

「ああん?サボりの分際で何だって?」

「す、すみません。明日からはちゃんと起きます」

 慌てて答えると、乱暴に寝癖の頭をかき回された。

「ったく。さっさと起きて支度しろ。朝飯だ」

 雛田が去っていく。

「・・・」

 陸はその後ろ姿をじっと見つめていた。

 陸の家、遠野家は古より続く呪術を司る家だ。呪術を行うためにはそれなりに霊力の備わった血筋が必要なのだが、それ以上に呪術を使いこなすためにはかなりの鍛錬が必要となる。この家に生まれた者の宿命として、陸は三歳にもならないうちから修行を積んでいた。

 毎朝の習慣とはいえ、今朝は不覚にも寝坊してしまった。それもこれもあのときの夢を見たせいだ。

「わかってる・・・?俺が寝坊したのはあんたのせいなんだよ、雛田さん」

 一人きりになった部屋で呟いてみる。

 もちろん答えてくれる相手は誰もいなかった。




 雛田瞬二がこの家に来たのは十七歳のときだ。元は巫女の家系だと聞いている。

 どうして巫女の家系の雛田が呪術を扱う遠野家に来たのかその経緯を陸は知らないが、以来ずっと彼は一門の人間として暮らしていた。

 血筋を重んじる遠野家だが、それは家業である呪術を使える血筋を残すためである。逆に言えば、血縁でなくても素質のある血の者であれば一門として受け入れられる。

 雛田という男は、その点を十分に満たしていた。

「おう、やっと起きたか、陸」

 陸が居間へ向かうと、父がすでに朝食を終えて新聞を読んでいた。

「おはよう」

 制服に着替えた陸は席についた。

「陸、御飯はこれくらいでいい?」

 母が御飯をよそってくれる。

 双子の姉である海は黙々と箸を動かしていた。

「親父、『起きたか』じゃありませんよ。陸を叱ってやってください」

 同じ食卓についていた雛田が厳しい目つきで陸を見た。

「陸の奴、また寝坊して朝の修行サボりやがったんですよ」

 父が答える前に母がおっとりと微笑んだ。

「まあまあ、瞬二さん。陸も学校なんかで疲れているんですし、たまに休むくらいいいじゃありませんか」

「お袋さん」

 母に言われれば、雛田は答えに詰まってしまう。

 雛田は親しみを込めて陸の両親を「親父」「お袋さん」と呼ぶ。ちなみに海は「御嬢さん」で、陸だけは「陸」だ。

「だが、陸。雛田の言う通り修行を怠るのはよくない。すべては毎日の積み重ねが大事なんだぞ」

 父がしっかりと厳しい顔をする。

「う、はい・・・」

 陸はしょんぼりと返事をする。

 頃合いを見計らったように母が味噌汁をよそってくれた。

 甘い卵焼きを噛みしめ、陸はちらりと雛田を盗み見る。

 雛田は母に今日の味噌汁の賛辞を述べていた。

 陸は雛田が好きだ。それは家族や友人にもつ「好き」とは違うことを、早くから気が付いていた。

 どうしてこんなに好きなのか自分でもよくわからない。

 だが、本当に好きなのだ。ずっと雛田だけを愛していた。

「陸、見すぎ」

 隣の座る姉にぼそりと指摘される。

「そ、そんなに見てた?」

 慌てて陸は視線を逸らした。

 双子の姉の海はかなり無口だ。表情も動かないものだから、ときどき双子の姉弟である陸にも何を考えているのかわからないときがある。

 しかし、かなりの美人なのでその無口を補って余りあるようではあるらしい。現に今のところこの無口ぶりを誰かに咎められたことはない。

「言わないの?」

 姉の問いに、何がと陸は言わなかった。

「言わないで」

 それだけ答える。

 ふいに父が新聞を置いた。

それだけで皆がしんと黙る。仕事の合図だ。

「今朝、依頼がきた。標的は鹿島財閥の総帥・鹿島隆盛。夏までにお亡くなりになってほしいそうだ。報酬は一億」

 さて、だれがやる?と父が見渡す。

 呪術師として殺しの依頼は珍しくもない。

 家族で団欒と食卓を囲むのどかな風景にはまったく似合わない話題だった。しかし、これが生まれこの家で育った人間の宿命だ。

 人はいつか必ず死ぬ。それが早いか遅いかなだけだ。陸はそう考えている。

「俺がやるよ」

 陸が手を挙げた。十七という若さだが、自分はすでにいくつかの仕事はこなしている。

「それなら、陸に・・・」

 任せよう、という父の言葉を雛田が遮った。

「親父、お袋さんの言った通り最近の陸は学校や何やかんや疲れています。こんな小さな仕事、俺くらいで充分です。俺がやります」

「いいよ、これくらい俺がやるよ」

「あなたは今度期末試験じゃないの、陸。勉強しないといけないのだから瞬二さんの好意を受け取っておきなさい」

「そうだな、今回は雛田に任せよう」

「父さん!」

 陸は納得いかなかったが父は雛田に決めてしまった。




 朝食を終えると、陸は黒塗りの車に乗り込んだ。

 駅まで一門の人間が送ってくれるのである。

 姉の海も同じように乗り込む。

 海は中学から持ち上がりの女子高通っているが、陸は共学の高校である。

 膝丈までスカートのあるセーラー服の海に対し、陸はブレザーだった。

 駅へついて改札を通ると友人の葉山俊彦が歩いていた。

「俊彦」

「お、遠野」

 俊彦が腕を上げる。続いて眉を潜めた。

「まーた、お前はそんなの連れて」

 俊彦が見たのは陸の背後だった。ポケットからビニールの袋を取り出す。

「退散、退散」

 袋から中身を一つまみ摘まむと、そう言って陸の背中に振り掛けた。中身は塩だ。

「また憑いてたの?」

 陸も気持ちだけ肩を払った。

 俊彦は所謂「見鬼」の目を持っていた。彼にはこの世ならざるものが見えている。

そして、彼が言うには陸にはいつも何かしら憑いているらしい。

 陸は呪術師という職業柄、自分にはそういったもの憑きやすいのではないかと思っていた。

 そう言うと何故か俊彦には呆れられたが。

「遠野、最近誰かから何かもらったか?」

 陸はしばらく考えた。

 ふとあることを思い出して鞄から便箋を取り出す。

「十日くらい前、靴箱に入っていたんだ」

 それは、女の子からのものと考えられる可愛らしい便箋だった。

表に丸みを帯びた文字で「陸先輩へ」と書かれている。

しかし、便箋は封が切られていなかった。

俊彦は片手で額を押さえた。

「バカ、忘れていただろ」

 本人はまったく自覚していないが、遠野陸はかなりモテる。

 身長は百八十センチ近く、顔立ちは甘く整っていて、人当たりの良さは女の子の憧れる王子様そのものだ。

 おまけに、実はどこそこの御曹司だという噂が立っていて、本人の物腰の柔らかさもその噂を裏切ることはなかった。

 最も、俊彦は陸のことを天然なお人好しなだけだと思っているが。

「うっかりしていたんだ」

 渡した本人もいないのに陸は申し訳なさそうに言う。

「いいか、こういうものはただでさえ情念が籠りやすいんだ。十日も放置しているなんてすでに怨念に変わっているぞ」

 俊彦の目には可愛らしい便箋から紫色の靄が漂っているように見えた。

 また、塩を一つまみ振るう。

 靄が薄れ、清浄な空気が取り戻される。

 俊彦が陸と友人になったのは中学に上がってからだ。

 俊彦たちの通う中学はいくつもの小学校が合流して出来ていた。

 まだ当時、己の「見鬼」の目を持て余していた俊彦は、その目のせいでうまく友人が作れなかった。

『また葉山がおかしなこと言ってるぜ』

『あいつ気味が悪いよな』

『ただ人の気を引きたいだけじゃないの』

 数々の中傷が彼の心を頑なにしていた。あの頃は自分でもツンツンしていたと思う。

 ますます孤独になっていく俊彦は、遠野陸という少年に出会った。

 当時、クラスの連中から生徒会のメンバーを押し付けられていた俊彦は、昼休みを生徒室で過ごしていた。

 俊彦の学校の生徒会はお世辞にも熱心とは言えなく、昼休みの誰もいない生徒会室は俊彦にとって最適な居場所だった。

 しかし、その日はいつもと様子が違っていた。

 先約がいたのである。

 俊彦は一目で誰であるのかわかった。

 隣のクラスの、遠野陸だ。

 遠野陸は何かと目立つ生徒だった。

 その長身や端正といえる顔立ちもさることながら、彼の周りにはいつも人が絶えなかった。人の輪があるところにはいつも彼の姿を見かけた。

 遠野陸はすやすやと眠っていた。春の日和を浴びて熟睡している姿はまるで赤子か猫のようである。

 だからこそ、人嫌いになっていた俊彦も生徒会室を出て行こうとは思わなかった。

 ふと、遠野陸の傍らに置かれている一冊の本が目に入った。どうやら読書の途中で眠ってしまったらしい。

 何気なく読んだ本のタイトルにはこう書かれていた。

〈みんなの呪術★〉

『・・・「★」って』

 その瞬間、俊彦はこいつと友達になれるかもしれないと思った。

「俊彦、今日もありがとう」

 込み始めた電車の中で陸がうれしそうに笑った。

 それだけで同じ車内の女性陣が色めきだったのがわかる。

 やれやれと俊彦は肩をすくめた。

 また塩を振るう機会が増える。塩だってタダではないのに。

 しかし、俊彦はこうして塩を使うのはけっして面倒だと思うことはなかった。




 遠野家の双子が学校へ向かった頃、雛田は庭の掃除に取り掛かっていた。

 広大の敷地をもつ遠野家の庭仕事はなかなか大変だ。

 庭師に任せるのは年に何度かで、日々の細々とした仕事は一門の人間でやっている。

「雛田さん、手伝いましょうか」

 箒で石畳を掃いていると、むっつりとした顔で弟弟子の木原渡瀬が現れた。

「ああ、助かる」

 渡瀬に箒を渡し、自分は熊の手を手に取った。

 しばらく二人で黙々と掃除をしていたが、ふいに木原が口を開いた。

「今朝の仕事、坊ちゃんが引き受けるところを雛田さんが引き受けたそうですね。少し過保護すぎやしませんか」

 今朝から感じていた渡瀬のピリピリとした空気の原因がやっとわかった。そのことか、と雛田は溜息をついた。

「陸の手を煩わせるまでもないと思ったんだよ。それでなくてもあいつは忙しいしな」

 遠野家に生まれた宿命とはいえ、仕事と学業との両立は大変だ。そのことは充分に雛田も理解している。

 それでなくとも、陸は都内でも一二位を争う名門校に通っているのだ。日々の勉強だけで手一杯だろうに、呪術師としての修行もこなしている。

 雛田が初めてこの家へ来たとき、陸はまだ七歳の小学生だった。何かと後ろをついて回るチビ助だったのに、いつの間にか背を抜かされ、気が付いたときには雛田が見上げる番になっていた。

 最も、中身は遠野一門を束ねる次期当主候補として自覚が足りなくて、雛田から見ればまだまだ甘ったれた子どもだ。

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