23.教会改革
さやかが異世界を訪れた翌週、グレイ大司教が動いた。
動き方は今までと違った。
今までの大司教のやり方は間接的だった。民衆への説教、商業ライセンスの剥奪申請、ベルトとの連携。全部、誠に直接手を出さずに周囲から圧力をかける手法だった。
しかし今回は直接だった。
王宮の摂政レインに対して、正式な申請が出された。「田中商会の取り扱う品物は教会の教義に反する可能性があり、宗教的調査が必要である。調査完了まで商業活動の一時停止を命じるよう要請する」という内容だ。
ミラがその情報を持ってきた。
「王宮に申請が出たのは昨日の朝です。レイン殿下はまだ返答していません」
「レインの立場は難しいですね。顧問契約を結んだばかりで、その相手の商売を止めるわけにはいかない。でも教会の申請を完全に無視すると、民衆への影響が出る」
「どうするんですか」
「先に動きます」
誠はSTORAGEを開いて、セン・ファル神父の情報を確認した。改革派五人。教会内部で大司教の方針に不満を持っている若い世代。
問題は、彼らが動くタイミングだ。
一人では潰される。五人でも、大司教の権力の前では弱い。しかし外部に証拠と支援があれば、話が変わる。
◆
エレナ経由でセン・ファルに連絡を取った。
翌朝、前回と同じ教会管轄外の茶館で会った。セン・ファルは今日も緊張した顔をしていたが、前回より目に決意があった。
「大司教が王宮に申請を出したのは知っています」
「教会内部ではどういう反応ですか」
「反応は二つです。大司教の判断を支持する保守派と、やりすぎだと思っている改革派。ただし改革派は声を上げていません」
「声を上げるタイミングが来ていると思いますか」
セン・ファルが少し間を置いた。
「……来ていると思います。ただし、証拠がなければ動けません。大司教の何が問題なのかを、具体的に示せなければ、ただの反乱になってしまいます」
「証拠はあります」
誠はリュックから書類を取り出した。エレナが見つけた二十年前の経理記録のコピーだ。
「これは二十年前の教会の特別会計の記録です。宗教の寄進が、政治工作に使われていた痕跡があります」
セン・ファルが書類を受け取った。ゆっくりと読んでいる。顔が少しずつ変わっていく。
「……これは」
「信頼できる情報源から入手しました。原本は安全な場所に保管しています」
「二十年前のものですが、今も同じことをしていると思いますか」
「しているとは断定できません。ただし、二十年前にやっていたことをなぜ今さらやめるのか、という疑問はあります」
セン・ファルが書類をテーブルに置いた。
「田中さん、あなたはこれをどう使うつもりですか」
「使い方はセン・ファルさんと改革派が決めることです。私はただ、証拠が存在することをお伝えしたかった。動くかどうかは、あなたたちの判断です」
「外部から動いてほしいということではないんですか」
「外部から動いても、教会は変わりません。変えられるのは内部の人間だけです。私にできるのは、動く時に外側から支えることだけです」
セン・ファルがしばらく考えた。
「……具体的に、どう支えてもらえますか」
「三つあります。一つ目、この証拠を安全に保全します。教会側が隠滅しようとしても、複数の場所にコピーがあるので消せません」
「二つ目は」
「改革派が声を上げた時に、ギルドと王宮の両方に同じ内容を届けます。一か所だけだと圧力で揉み消せますが、複数同時だと難しくなります」
「三つ目は」
「民衆への説明です。教会の問題を民衆が知れば、大司教は民衆の信頼を失います。私はすでに貧民街で衛生活動をしていて、そこに接点があります」
セン・ファルが誠を見た。
「田中さん、あなたはなぜここまで動いてくれるんですか。商人が教会改革に関わる理由が、私には理解できません」
「大司教が私の商売を妨害しようとしているからです。それが動機の一つです」
「一つ、ということは」
「もう一つは、石鹸と薬を使って良かったと言っている人たちがいます。それが悪魔の業だと言われ続けるのは、少し我慢できない」
セン・ファルが少し笑った。
「……正直な方ですね」
「嘘をついても仕方ないので」
「わかりました。仲間たちと話します。ただし、時間をください」
「どのくらいですか」
「一週間。それまでに返答します」
「わかりました」
◆
茶館を出てから、誠はギルドに向かった。
アリアが窓口で書類を整理していた。
「大司教の申請の件、知っていますか」
「知っています。今日の朝、王宮からギルドにも確認が来ました」
「どういう確認ですか」
「田中商会の商業活動について、ギルドとして問題があるかどうかという照会です」
「回答は」
「問題なし、と回答しました。オーレンさんの判断です」
「ありがとうございます」
「ただし」アリアが少し声を低くした。「大司教は今回、王宮だけでなく複数の経路で同時に動いています。各地区の有力商人にも、田中商会との取引を控えるよう非公式に話を入れているようです」
「非公式に、ですか」
「はい。公式には何も言っていないので、ギルドとして対応できない内容です」
誠は少し考えた。非公式の圧力。これは対処が難しい。書面も証拠も残らない。
「取引先への影響はどの程度ですか」
「今のところは、様子を見ている商人が数名います。実際に取引を止めたところはまだありません」
「王都商人互助組合の商人たちは」
「組合の商人は今のところ動いていません。ルーカスさんが昨日、組合員に向けて『情報が確認されるまで動かない』という連絡を出してくれたようです」
ルーカスが動いてくれた。組合を作っておいて良かった。
「わかりました。今週中に何か動きがあると思います。それまで様子を見てください」
「了解です」
アリアが少し間を置いた。
「田中さん、さやかさんという方が来ていましたね」
誠が少し驚いた。
「どこで聞きましたか」
「ミラさんが見ていたようで少し話していました。田中さんの現代の知人で、先週こちらに来た方だと」
「はい、そうです」
「どんな方ですか」
「明るくてサバサバしていて、観察眼が鋭い方です」
「……田中さんの大切な方ですか」
「そうです」
アリアが視線を書類に落とした。
「そうですか」
「アリアさん」
「はい」
「今度、さやかさんを王都に連れてきます。会ってもらえますか」
アリアが少し間を置いた。
「……会うことは、問題ありません」
「よろしくお願いします」
「田中さん」
「なんですか」
「さやかさんは、田中さんのことが好きなんですか」
今度は誠が少し間を置いた。
「……どこでそういう話になりますか」
「ミラさんが色々話してくれたので」
「ミラさんは話しすぎです」
「田中さん」
「はい」
「答えてもらえますか」
「……そういう話をしてくれました」
アリアがしばらく書類を見ていた。
「……そうですか」
「アリアさん」
「はい」
「私は先日、アリアさんに信頼できる人間の中で一番だと言いました。それは変わりません」
「……それと今の話は、どう繋がるんですか」
「まだうまく整理できていないです。ただ、アリアさんに対して言った言葉は本当だということを、伝えておきたかった」
アリアが長い間、書類を見ていた。
「……わかりました」
「怒っていますか」
「怒っていません」
「困っていますか」
「……少し」
「すみません」
「謝らなくていいです。田中さんが正直に話してくれることは、わかっているので」
アリアが顔を上げた。いつもの無愛想な顔で、しかし今日は少し違う色がある。
「田中さんは、いつかちゃんと答えを出してください」
「……はい」
「それまで、私は待ちます」
それだけ言って、アリアは次の客の対応に向かった。
誠はカウンターを離れた。
ガルドが外で待っていた。
「どうでしたか、旦那」
「複雑な一日です」
「複雑というのは」
「色々と」
ガルドが少し考えてから、短く言った。
「……旦那は、もう少し自分の気持ちと向き合った方がいいと思います」
「ガルドさんまでそういうことを言いますか」
「俺の話ではなく、旦那の話です」
「わかっています」
二人で歩き始めた。
◆
一週間後、セン・ファルから連絡が来た。
エレナ経由で届いたメモには、一行だけ書いてあった。
「動きます。三日後の朝」
誠はすぐに準備に入った。
証拠書類のコピーを三部用意した。一部はオーレン宛て、一部はレインの側近宛て、一部はエレナに預ける。全部、三日後の朝に同時に届くよう手配した。
ミラには貧民街と商業区域の動きを確認してもらうよう頼んだ。
ガルドには「三日後は終日待機で」と伝えた。
「何があるんですか」
「教会の内部で改革派が動きます。外から支えます」
「戦いになりますか」
「ならないように動きます。ただし、万が一の時に備えてください」
「わかりました」
◆
三日後の朝。
誠は宿の部屋でMAPを確認しながら、各方面への書類の配達状況を把握していた。
オーレンのところには朝一番に届けた。レインの側近にはエレナが届けてくれた。
午前十時、教会の中で動きがあった。
ミラからの報告が来た。
「教会の主礼拝堂前に、若い神父たちが集まっています。五、六人。外に向けて、何か書いた紙を掲げています」
「内容はわかりますか」
「カメラで見てみます」
しばらくして、ミラがスマホを誠に向けた。翻訳が表示される。
「教会の特別会計の透明化を求める。信者から集めた寄進は、政治工作ではなく民衆のために使われるべきである。改革を求める」
セン・ファルたちが動いた。
誠はすぐにSTORAGEに記録した。時刻、場所、内容。
「人が集まり始めていますか」
「集まっています。通りかかった人たちが足を止めています。貧民街の方の人も何人かいます」
石鹸の配布でつながりができた人たちだ。
「大司教の反応は」
「まだ出てきていません」
誠は少し考えた。大司教はこの状況をどう処理するか。力で押さえつければ、それ自体が証拠になる。無視すれば、改革派の声が広まる。
どちらに転んでも、今日が山場だ。
正午頃、ミラから追加の報告が来た。
「王宮から官僚が二人、教会に向かいました。レイン殿下が動いたみたいです」
「どういう内容ですか」
「教会の会計に関する正式な調査を開始する、という通告だそうです。摂政権限での調査命令です」
レインが動いた。証拠書類が届いたことで、王宮として動かざるを得なくなった。
午後二時、教会の内部から発表があった。
「グレイ大司教は本日付けで職務を一時停止し、王宮の調査に協力する。この間の教会業務は次席司教が代行する」
ミラが興奮した声で言った。
「田中さん、大司教が動けなくなりました」
「職務停止ですね」
「追放ではないんですか」
「今の段階では停止です。調査結果によって、処分が決まります」
「でも、それでいいんですか」
「十分です。完全に追放するより、調査が続いている間は動けない状態の方が、改革派が制度を整える時間を作れます」
ミラが少し考えた。
「……また利益の一致を探したんですか」
「そうです。レインは教会の腐敗を表面化させることで、新体制の正当性を高められます。セン・ファルたちは改革を進める足場ができます。私は商売の妨害がなくなります。全部が一致しました」
「すごいですね」
「みんなが動いてくれたからです」
◆
その夜、セン・ファルから短い伝言が届いた。
「ありがとうございました。これからが本当の始まりです」
誠はそのメモをSTORAGEに保存した。
それからアリアに報告しに行った。閉館後のギルドで、いつも通りの場所で。
「教会の件、動きました」
「知っています。ギルドにも報告が届きました」
「商業区域への影響は」
「大司教の非公式な圧力は、これで止まると思います。様子を見ていた商人たちも戻ってくるはずです」
「良かったです」
アリアが少し間を置いた。
「田中さん」
「はい」
「特区の件ですが、答えを出しました」
誠が顔を上げた。
「特区に行きます」
「……決めてくれましたか」
「はい。ギルドの規定を守ることも大切でしたが、新しい制度を作る方が、もっと大きく変えられると思いました」
「オーレンさんには話しましたか」
「これから話します。田中さんに先に伝えたかったので」
誠は少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「……今度は、お礼を言うんですね」
「そうですね」
アリアが少し笑った。珍しく、はっきりと笑った。
「田中さん」
「はい」
「先日、答えを出してほしいと言いました」
「覚えています」
「急かすつもりはないですが、一つだけ」
「なんですか」
「私が特区に移ったら、毎日会えますよね」
「……そうなりますね」
「それは、田中さんにとって迷惑ですか」
「迷惑ではないです」
「わかりました。それだけ確認できれば、今は十分です」
アリアが書類を片付け始めた。
「では、また明日」
「また明日」
誠はギルドを出た。
夜の王都の石畳を歩きながら、今日のことを整理した。
教会の件が動いた。大司教の職務停止。改革派が動き始めた。セン・ファルの「これからが本当の始まり」という言葉。
アリアが特区に来ることを決めた。
さやかの告白が頭の中にある。アリアの「答えを出してほしい」という言葉もある。エレナの「近いうちを待っています」という言葉もある。
誠はポケットの中のGATEを握った。
めんどくさい問いが、今日もそこにある。
でも今夜はもう少し、その問いと一緒にいようと思った。
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次話予告:第24話「帝国の影」
ヴァルク帝国の工作員が王都に現れる。
アルデナとガランの両方を裏で操っていた大国の影が、
: ついに誠の前に姿を見せ始める。
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