新式生活の柔らかな日々。
進学にあたり、猫を買うことにした。
私はこの春から大学生になる。
地方の公立大学の、経済学部。フルリモートが主流になって久しい中、古風にキャンパス式を貫く学校だった。
そこを選んだのはパーソナルデータの分析結果による推奨のためで、理由としてはひどく凡庸だ。サポートAIは私を『社交性はあるが放っておくと引きこもりがちになるため、適度に外出できる環境が好ましい』と評価した。反論の余地はない。
そしてAIは、環境の変化に際して『癒し』を持つことも勧めてきた。
『猫よりカレシでも作ったら?』
どんな猫にしようかなと、端末でSNSへ投稿すれば、高等学校の友達からそんな返信がつく。この子は成熟指数が高くって、高校入学時にはもうカレシ持ちだった。
『うーん。まだ早いかなって』
一方の私ときたら、どうにもそっち方面では【おぼこい】もので(古い言葉を使うのはここ最近の流行だ)、カレシを作りたいという感覚がいまいち無い。
でもそれをそのまま言うのはいかにも幼い気がして、私はうまく逃げるような文章を打ち込んだ。
『私、異性愛だしさ。男より猫のほうが触り心地が良さそう』
『それはそうかもW』
足された『W』は笑いなのか嘲笑なのか。
ともかく、私はSNSを閉じてAIにおすすめの猫を訊ねる。AIは合成感など微塵も感じさせない耳触りの良い声で、いくつかの質問をしてきた。
■予算は?
──五万くらい
■大きさは?
──小型がいい
■バッテリー持ちは?
──こだわらない
短い思考時間の後、いくつかの猫と近場の家電量販店が推奨された。おしゃべりにチューニングしてあるAIは、聞いてもいないのに雑学を付け足してくる。
イエネコが絶滅してから、今年でちょうど八十年らしい。
* * *
誰もが知っている通り、そのむかし突然変異で発生した超強力なウィルスは、あっという間に猫の命を刈り取った。
人類の多くは奮闘したが、ダメなものはダメだったようだ。
代わりに台頭したのが猫型ロボットである。猫を愛する者たちの熱意と、そこに眠る莫大な経済的利益を源に技術革新は進む。不気味の谷を乗り越えて、人工の猫はあっという間に生き物の猫と遜色ない出来になった。
らしい。
新式生活時代の私達にとって、猫といったら愛玩家電のこと。イエネコの話はただの知識。ただの歴史だった。
* * *
ミャー、ミャー、ミャー。
家電量販店の猫コーナーでは、見本の猫たちが高い声で鳴いていた。
「猫ってこんなにうるさいの?」
私は若干尻込みしてAIに訊く。映像での予習くらいはしてきたけれど、生で聞いた猫の声はどうも癒やし系ではなかった。
サポートAIは私の声に混じった不安をきちんと感じ取り、『心配ありませんよ』と宥める。
「販売促進のために発声頻度を上げているのでしょう。ここにある猫はいずれも鳴き方を調整できる機種です。パーソナルデータを読み込ませれば、好みに合うよう自動設定されます」
それもそうか。家電だし。
いまや学生のベーシックインカムでも手の届く価格帯とはいえ、猫はどちらかといえば高価なものだ。パーソナライズ機能などあって当然である。
『お客様、猫をお抱きになりますか?』
私を購入意欲の高い客と判断してか、販売員ロボが、テレビ型の頭部に笑顔の顔文字を写して話しかけてくる。客に過剰な愛着を持たせないよう、顔面表現に規制がある機種だ。
私が頷くと、ロボは顔よりよっぽど繊細に作られたアームで、手近な黒猫を抱き上げた。
『どうぞ、優しく持ってくださいね』
差し出された猫がミャーと鳴く。やっぱり高めな声は好みじゃないな、と思いながら、私は猫を受け取った。
──衝撃が、走る。
「ふわぁ」
思わず変な声が漏れた。
なんだ、この、柔らかいものは。
それは人生初の感触だった。いや、私だって小学校のプログラムで生き物に触れたことはある。犬とかうさぎとかモルモットとか。しかし、そのどれも、こんなにふにゃふにゃではなかった。
もちろん厚いフェイクファーと合成脂肪層の奥には細い骨格を感じるのだが、【スイカに塩】みたいなもので、それすら猫の柔らかさを絶妙に引き立てている。ファーの根元へ指を埋めれば、生き物らしい湿度さえ感じた。
──おぉ、猫よ。
──おぉ、死の淵にありて、赤子のごとく柔きものよ。
とろけそうな脳みそが辛うじて知性的に思い出したのは、国語の授業で読んだイエネコへの哀悼の詩だった。その女性詩人は猫の柔らかさをしつこく称えていた。あぁ、これは確かに、至上のものだ。
『どうですか? リアルでしょう?』
「はい……」
つい頷くが、私の頭にはひとつの疑問が浮かぶ。ぶっちゃけ、本物の猫はもうちょっと固かったのじゃないだろうか。人間は亡くしたものを美化すると聞く。
『匂いサンプルもありますよ』
渡されたファーの切れ端を嗅ぐと、フルーツシロップに似た甘い香りがした。かわいい猫にぴったりな、かわいい匂い。
現代人の私にとって、猫がイエネコのリアルかどうかはそもそも問題じゃない。確かなことはひとつだけ。
これは、癒やしのかたまりだ。
* * *
小型、という希望は撤回した。
展示されていた猫という猫を抱き上げまくり、私が選んだのは大型の黒猫だった。大きいほうがあの感触を満喫できるからだ。毛色にこだわりはなかったので、汚れが目立たないというAIの勧めに従った。
名前はクラシカルに【クロ】とする。
私のパーソナルデータを読み込ませると、クロはあまり鳴かない猫になった。
その代わり、クロはよく喉を鳴らす。
私が彼を抱き上げてその身体をもっちゃもっちゃと撫でまわすと、ゴロゴロと独特の低い音がした。クロは猫の標準スペックとして完全防水のワイヤレス充電式で、体表にソケットなんて不粋なものはない。全身のどこを撫でても気持ちよかった。いちばん良いのはやはりお腹だけれど、つまみ食いをするように薄い耳や狭い額や、プニッとした肉球を愉しむのも悪くない。
そうそう。買ってすぐ、誤って紅茶をぶっかけてしまったのだが、電源オフでの手洗いもそれはそれで至福の時間だった。温かいほうが癒やし効果は高いが、濡れた冷たい猫の、あのなんとも言えない感触を堪能するのは猫オーナーの特権だろう。ちょっとSNSを探ると結構な数のプロフィールに『猫洗い同好会員』なる言葉が載っていた。私はひとまず『新米猫オーナー』とだけ書き添えた。
こうして、私の新生活はぬかりなく『癒し』を携えて始まった。
* * *
大学生活の初月は、慌ただしい。
旧式生活時代に比べれば履修登録やらは随分簡単になったらしいけれど、大変なものは大変だから仕方ない。新入生は一週間のスケジュールを組み立てながら、パーソナルデータを交わしては相性度の高い友人を探し出し、滞りなく新生活の基盤を構築しようと必死である。
もちろん私もその一人で、毎朝毎晩クロを撫で回しながらも、いくつかの授業でいくつかの友人を得て、サポートAIが選んだ『映画同好会』というサークルにも入った。
そして、新入生勧誘も落ち着いた三週目。
今夜は新人歓迎会である。
ちなみに飲酒許可年齢が十八歳に引き下げられたのもイエネコが滅んだ頃らしい。
「飲み会とか、あんま得意じゃないんだけどなぁ」
『存じています。しかし、今後のことを考えれば、参加をおすすめします』
サポートAIは弱音を吐く私を簡素に励ました。その程度の弱音であることは私も自覚している。
『ストレスは猫で回復できる範囲と予測します』
応援だか慰めだかわからない言葉を聞きながら、家を出る。扉の向こうでは、外出を感知したクロが充電用ターミナルの前で丸くなり、スリープモードに移行しているだろう。
「【かんぱーい】!」
旧式生活時代ブームで蘇った挨拶とともに、グラスを合わせる。居酒屋には、第五種アルコールのトウモロコシみたいな匂いが漂っていた。
「というわけで、今年、我が映画同好会には六名の新入生が入会してくれました!」
会長の音頭で、私たち新入生はひとりずつ挨拶する。名前、出身校、好きな映画、その他の趣味、よろしくお願いします。
「好きな映画は『ローマの休日』で、えーと、最近猫を買ったんで、休日はよく撫でてます」
私の無難な自己紹介に、隣にいた子が「えっ」と大袈裟な声を上げる。
「マジで! 私も猫オーナーだよー!」
というわけで、クロはここでも活躍してくれた。
新入生六名のうち四名が猫オーナーだったのである。先輩たちも含めると猫の数は二十を超えた。白猫、三毛猫、キジトラにサバトラ。私たちは猫の動画を共有し、健全指数内の酩酊感の中で親交を深めていく。
そして。
「ごめん、遅れた!」
その声が飛び込んで来たのは、私が最初のカシオレを飲み終えた時のことだった。
テノールとバスの中間くらいの、絶妙に低い響き。
引き寄せられるように視線がそちらへ向く。
入って来たのは、黒髪の跳ねた、ヒョロっと背の高い男子だった。いや当然成人しているので「男子」という呼び方は変なのだが、大人の男という感じもしない。いかにも大学生な、少し野暮ったいオトコノコ。
「遅ぇぞー」と会長が笑い、「これでも早く上がってきたんすよぉ」と彼が返す。やっぱり子供っぽい。
でも、声の低さだけが、なんだか妙に色っぽかった。
……色っぽい?
自分の感想に自分でギョッとする。私は何かを誤魔化すように、もう氷しかないグラスに口を付けた。溶けた雫が少しだけ唇に滴った。
ここのところバイトで顔を出せていなかったと説明して、二年生だという彼は、早速新入生に話しかけてくる。
「何の話してたの?」
私がいちばんに答えた。
「猫の話です」
彼の表情が緩むのを期待した。猫。ねこ。ネコ。あの柔らかいものに蕩ける声を。
だが、しかし。
彼は「あー」と、いかにも返答に困った人間のリアクションをする。
「ごめん。俺、猫は苦手」
そんなこと馬鹿正直に言わなければ良いのに。せっかくの声を、不器用に使う人だ。
私の隣にいた子が「そうなんですかー」とありがちなセリフで会話を繋げる。
「何か理由とかあるんですか?」
「柔らかすぎるのがちょっと。人工的な感じがして」
なんと。彼は、あのふにゃふにゃが苦手なのか。
私はがっかりしながら、店員に氷だけのグラスを渡してウーロン茶を頼む。
好みが合わない程度のことは仕方ない。その程度のことで人付き合いをやめたりしない。新式生活時代の私たちには余裕があるのだ。
でも、私は酔いが回ったフリをして気怠く目を閉じた。
会話が飛び交う中、彼の言葉だけに耳を澄ませる。いや、言葉ではない。声だ。
声が、いい。
低い響きが骨に来る。
クロのゴロゴロにも、ちょっと似ている。
なるほど。私はこういう低音が好きなのか。
「まだ早い」と言った気持ちが、上がる心拍数と共に書き変わっていった。
* * *
結論から言うと、ほどなくして私はカレシを得た。
これがなかなか、良いものだった。
今のところのお気に入りは家での映画鑑賞会。いわゆる【おうちデート】である。彼──ナツメと一緒に、美しい映像を楽しみながら、私の愛してやまないあの声と会話するのだ。
もちろんお喋り相手なんかただのサポートAIにだってできる。けど、当たり障りのない解説を聞くのとはまるで違う体験だった。サポートAIは小鳥のホロを見て「きれいだね」と素朴な感想を言ったりしない。
……いや、うん。私がナツメの声を好きすぎて、そんな短い言葉にさえも胸をときめかせているのが実際なのだろう。
カレシゲットの報告を上げたSNSでは、案の定『猫が無駄遣いじゃんW』という反応をされた。
しかし、こちらはこちらで、そんなこともない。私は今も毎日クロを抱き上げてお腹を撫で回している。カレシはカレシ、猫は猫。この感触がカレシにあったら普通に気持ち悪いと思う。
それに、私がナツメをベッドの中に招き入れてその温もりを感じるのは、まだ先の話だ。私たちは、向こう一年ほどは【清いお付き合い】の予定であるのだから。
* * *
その言葉はあまりに唐突だった。
『猫、手放さない?』
「え」
付き合って一ヶ月。
思わぬ言葉に、私はクロを撫でていた手を止めた。
テーブルに立てた端末には、ナツメの真剣な顔が映っている。
「クロを? どうして?」
『うーん。君のためにならないんじゃないかな、って』
「どういう意味?」
『愛玩家電に対する扱いが、適切じゃないと思うんだ』
何、それ。
私の頭は疑問符でいっぱいだ。
確かに私は猫好きである。ネットで『猫中毒』と呼ばれるたぐいのオーナーと言われても否定はしない。というか肯定する。クロを買ってからというもの、このお腹を揉みしだかない日はないのだから。
『無理にとは言わないよ』
「じゃあ、無理」
思わず声が苛立った。
画面端に『アンガーマネジメント』の警告が出て、六秒のカウントダウンが始まる。私は教科書どおりの深呼吸をした。
「怒って、ごめん。でも、理由をもっとしっかり教えてほしい」
ナツメは頷いた。そして、真剣な顔のまま、冗談みたいなことを言う。
『君は、猫を虐めていないか?』
自分の眼が丸くなったのがわかった。それくらい、身に覚えのない話だった。
「してないよ」
『本当に?』
「してないって。だいたい、クロは苦痛オプションだって切ってるし」
『それだけでは虐待を否定しきれない』
またアンガーマネジメントの警告が出る。六秒が、さっきより長く感じた。
「……少し、考えさせて」
『うん』
ナツメの返事と共に、会話画面が落ちる。
「何なの……」
虐め?
動物虐待?
ストレスを感じた私の脳は、それを発散しようと、他ならないクロの前足を掴んだ。肉球をぷにぷにと連打する。ごろごろと喉が鳴る。
私はサポートAIを呼び出した。
「ねぇ、わたし、クロを虐めたりしてないよね?」
サポートAIは落ち着いた声で答える。
『深刻なダメージを故意に与えたログは検出されませんでした。ただし』
よく喋るAIは続けた。
『愛玩家電に対する扱いとしては健全範囲内ですが、「生き物としての猫」を仮想した場合、接触の頻度・強度が過剰であると推察されます』
参考にならない補足だった。
猫は猫だ。現代の猫。生きてない猫。犬やうさぎやモルモットと違って、もみくちゃにしても嫌がったりしない柔らかいもの。
「………」
私はクロの電源を切った。
喉を鳴らす音が消え、呼吸を模した動きが止まる。精巧なぬいぐるみになったクロを両腕でしっかり抱き、向かう先はバスルームである。クロのために買った大きめの洗面器に水を張る。
そこに、クロを沈めた。
そして、おもいきり洗剤をぶち込んだ。
これでもかこれでもかと、黒いフェイクファーを丁寧に洗ってやる。耳の中、肉球の隙間までしっかりと。
じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ。
ふにゃふにゃふにゃふにゃ。
感触を楽しむモードになりそうな自分を制して、猫を洗い上げることに集中する。すすぎは優しく、念入りに三回。タオルドライはファーを傷めないよう、包み込むようにポンポンと。低温ドライヤーでじっくり乾かせば、クロは見事な美猫になった。
ほら見ろ。
虐げたい猫を、こんなにキレイに仕上げる人間がいるものか。
身体を動かして頭がスッキリしたのだろう。私はするべきことを理解して端末を起動する。
まずは、設定画面で|ナツメをスリープモードに移行した《・・・・・・・・・・・・・・・・》。
次に、パートナーサービスの問い合わせ窓口へと通信を繋ぐ。おそらく上位AIだろう女性の声が対応してくれた。
『どうしましたか?』
「うちの恋人AIが、私が愛玩家電を虐待してると言うんです」
クレームの詳細を伝えると、丁寧な謝罪に続いて『お調べいたします』との言葉が返ってきた。調査に必要なパーソナルデータを提出し、私はふぅ、と息をつく。
イエネコが絶滅したのは八十年前。
この国における旧式生活──家族形成を前提とした直接性交による繁殖が廃れ、新生児のうち【母体っ子】の比率が一割を切ったのは、五十二年前。
社会科ではその年を『新式生活時代の始まり』と定めている。
今の若者はもう、生身の人間同士で恋愛なんてしない。
たいていは、私が先輩の声をベースにナツメを作ったように、自分の好みが定まったタイミングで恋愛用のAIを発注する。物理ボディはちょっと値が張るが、オプションを欲張らなければ、一年ほどお金を貯めるくらいで手が届く。
子育てはしない。
子供は体外受精と人工子宮でポンと産まれて、専門のスペシャリスト達によって育てられるものだ。
『完璧にマッチするはずのない生身の人間たちが共同生活を営む』など、新時代の私たちから見れば狂気の沙汰である。馬鹿げている。いくら妥協したって、ストレスが溜まるに決まってる。
そんなんだから、旧式生活時代には、猫が虐待されるなんて事件が起きたんじゃないだろうか。
……そういえば、あの詩は、猫の柔らかさを新生児に例えていたっけな。
私達の大半は、生まれたての生き物の感触を知らない。生体ペットだって、乳幼児期は専門施設で育てられる。
『イエネコを失った人類は、命の尊さと柔さを思い知った』
とは、有名な社会学者の言葉である。
* * *
『ご報告申し上げます』
再起動させたクロが十分温まったところで、折り返しの連絡が入った。
『大変申し訳ありません。五時間前のアップデート時のエラーにより、購入直後に猫が紅茶を被った件について、誤反応しておりました。故意による虐待ではなく軽微な過失であったことを行動ログから確認いたしました』
珍しいこともあるものだ。
上位AIは既に修正パッチを適用したことを告げ、駄目押しに頭を下げた。
『お客様の被ったストレス被害を考慮し、お詫びとしてパートナー用物理ボディの優待チケットをご用意させていただきます』
「え、いいんですか?」
『もちろんです』
【棚からぼたもち】。【塞翁が馬】。私がカレシの温もりを感じる日は予想外に近づいたらしい。優待を使えばすぐにでも物理ボディを発注できる。
通信を終えた私は喜び勇んでナツメを起動する。
「ナツメもクロを撫でられるよ」
画面の中のナツメは、私の大好きな声で言った。
『きっとすごく気持ちいいんだろうね』
もちろんだ。
私がこんなに好きなんだから、私のパートナーだって、猫を気に入るのが正しいにきまってる。
私はクロのお腹を掴んだ。
柔らかい猫は、ゴロゴロと低い音で喉を鳴らしている。




