序
最近、私が通う学園では、ある噂がしきりに囀られていた。それこそ、
ーマウナ公爵令息が、男爵令嬢を腕にぶら下げて歩いているらしい。
というものである。
これが何の関係もない令息の噂であれば私も、
『男子が馬鹿やってるなあ。』
くらいで済ませたのだが、今回の場合はそうもいかない。なぜなら、噂のマイナ公爵令息こそが、私、ティナルア・ハプスルクの婚約者であるからだ。
「全く、マウナ公爵令息は一体何をしていらっしゃるのかしら。ティアを差し置いて。誠実な男だと思っておりましたのに、とんだ浮気者でしたわね。それに、不愉快な視線を向けてくる輩もおりますし。」
プンスカと怒りながら、ランチタイムをともにしていた親友がいう。彼女も名のある家の令嬢で、気が合うので仲良くさせてもらっていた。
彼女のいうように、私の周りでは近頃、彼のことを『浮気者』と呼ぶ者が増えている。
だが、そういう者たちに対して、面白がるような視線を向けるものも一定数いた。それがなぜなのかはわからないが。
「まあまあ、待て待て。あいつが浮気しているところをこの目で見たわけではないからな。」
「そうですけど・・。」
浮気した、と言われている婚約者様。
だが、私の婚約者様は良くも悪くも正直である。公爵令息とは思えぬほど、正直者である。義に忠実なワンコとして有名だ。
「それに、あいつのことだ。何か顰蹙を買って身に覚えのない噂を流されているのではないか?あと3日もすれば自分で消火しに行くだろう。」
わが婚約者様はこれまで、ばか正直すぎるがゆえに顰蹙を買ったことが幾度かあった。
たとえば、つい鼻をつまみたくなるほど香水臭い令嬢に対して、くそ正直に、
『さすがに香水をつけすぎではないか?臭うぞ?』
と言ってしまったり。それも、完全なる善意で、だ。ちなみに令嬢は、羞恥に顔を赤く染め、顔をひくひくさせながら、足早に会場を去った。その後彼女は、公衆の面前で辱められたとして、恨みをつのらせているらしい。
『確かに不快であるがなんとなく指摘しづらいこと』、それをずけずけと、飽くまでも善意で指摘してしまう。それが彼の長所であり、短所である。
「全く、あの脳筋はなんとかしてほしいものですわ。わたくしのティアを傷つけたりしたら、許しませんわよ!」
歯噛みをし、手に持つ扇を折ってしまうのではないかと思うほど強く握る我が親友。思いやってくれる友がいて嬉しい限りである。
だが確かに、彼女がいうように彼は、
ー若干脳筋。
なのである。あえて若干としたのには、なぜか勉強も外交もある程度できてしまうからである。
そんな彼だから、婚約者たる私に対しても誠実で、感謝もしていて、なんというか可愛いやつだった。
だから私も、やらかさぬよう飴と鞭をもってしっかりと躾けていたつもりなのだが。
「やあ、ティアじゃないか。」
突然、少し遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。振り向いて、姿を確認する。
噂をすれば影、我が婚約者どのが笑顔でたっていた。
ピンクブロンドのふわふわ髪をたなびかせた可愛らしい幼女を、文字通りその腕にぶら下げて。
瞳の色はよくわからなかったが、美しくたなびくプンクブロンドと高い鼻梁をみれば、十年後の姿が楽しみになってくる。
摩訶不思議なその姿を見て、我が親友どのは驚きを隠せぬというように、扇を口元にあて、肩をわなわなと震わせている。
「おお、わが愛しき婚約者どの。」
とりあえず、いつもどおりにっこりと笑顔を浮かべることにする。チラリ、と幼女の方に視線を向ければ、キャッキャと無邪気に笑っていて、どこかほっこりした気分になった。
もし、あの年で女の笑顔など身につけていては、おそろしいどころの話ではない。
わが婚約者どのは、力こぶをつくるときのように腕を曲げ、上下に動かしてやって、上手に遊んでいる。
そこにいるのはいつも通り、素直で愚直な、すこし可愛らしい大男である。
どうやら面倒事ではないが、なにやら面白そうである、と結論づけたうえで、本人に真偽を問うてみることにした。
「ところで、わが婚約者どの。そこにいる可愛らしいお嬢さんはどなたかな?まさか、隠し子というわけでもあるまい。」
瞬間、婚約者どのが明らかに動揺した。予期せぬ『隠し子』という言葉に、よほど驚いたようである。うっかり幼女を落としそうになって、慌ててバランスをとっている。
が、問うた私の顔をまじまじと見つめ、どこか嗜虐的な笑みを浮かべていることに気づいたらしい彼は、同じような笑みを浮かべた。
悪い笑みを浮かべ、微笑みあう大人たちに、幼女はどこか不思議そうなまなざしを向ける。なんとも無邪気。
チラリと隣を盗み見れば、わが親友どのも、私たちの顔を見て何かを察したようで、どこか呆れたように扇を閉じて脱力する。
その姿を見れば、先程までの態度もそこまで本気ではなかったであろうことが察せる。ただの噂であるとわからぬほど愚かではないし、そもそもそういう者を私は傍に置かない。それを知りながら怒ってみせるのだから、彼女も本当に可愛い娘である。
親友どのに気を取られているうちに、どうやら婚約者どのの方が持ち直したらしい。少し考え込むようにしたあと、口を開いた。
「ほう、もしそうであれば君はどうするのかな?」
浮かべた笑みは、嗜虐的。
嗜虐など、ワンコとは程遠い言葉である。
少し、ぎょっとした。さすが顔はいいだけあって、背筋が凍りそうになる。
ー面白い。
どうやらわが婚約者どのは、私といるうちに『遊ぶ』ことを覚えてしまったらしい。
すこし前までならば、動揺したあとすぐに真偽を明かし、その愚直さで私を楽しませてくれていたのに。
だが、挑戦的なのも悪くはない。つくづく面白い男である。
「さあ、な。君はいったいどのような回答をお望みかい?」
手をひらひらとふりながらさらに問い返してやれば、今度は頬を少し赤らめ、唇をきゅっと引き結んだ。打って変わって恋する乙女のようだが、いまだその腕に幼女をぶらさげたままなのだから、どこか笑える絵面である。
というか、ずっとぶら下がり続ける彼女の筋肉もかなりのものだ。隠し子、というのもあながち間違いではないかもしれない。
そんなことを考えながらも、赤面した彼の顔を見つめ続ければ、ついに彼は降参したとでもいうように片眉をあげてみせた。
「なかなか野暮なことを聞く。もし俺がそんな底辺の行動をするほどまでに堕ちたなら、捨ててくれて構わないさ。君は、そんなヤツには勿体なすぎる。」
やはり愚直な彼は、はじめは戯けながら、さいごは飽くまでも真剣に言い切った。
やはり可愛いヤツだ。思わずこぼれる笑みをそのままに、言葉を返す。
「はっ。私はそこまで甘くないぞ?簡単に捨ててやるわけがないだろう?」
そう返してやれば、彼は今度こそ動揺した。幼女は二度目のことに自分で対応しようとしたらしく、彼の腕からくるくると一回転しながら飛び降りた。バク宙である。
彼は動揺を重ね、ついに美しく着地した幼女に、どこか力の入りきらない拍手を贈った。
「見事だな、ディア。」
すっかり関心したような顔で幼女を称える婚約者どの。
どうやら幼女の名はディアというようである。貴族名鑑には、ディアという愛称になる名を持つ女性が数人いる。その中で彼女の年齢を考えれば、おのずと答えは出た。
ーディディアナ・フォン・ルクセブルク。
齢六にして皇位継承権を放棄し、表舞台に一度も出ることなく姿を消した、今代皇帝陛下の六番目の御息女。つまり皇女さまである。
彼女は少し難しい立場におかれていた。というのも、彼女は皇后様の子ではなく、側妃さまの子でもなく、陛下が気まぐれで孕ませた異国の踊り子の子、とおおやけには言われているのである。
ここまで学園内で不躾な噂が広まったのも、ひとえに彼女の知名度の低さゆえであろう。彼女は貴族名鑑には載っているが、それだけ。
その容姿の特徴も知られていなければ、性格もなにもわからない。
皇位継承権も放棄しているし、この国には皇后さまの正統な御子である皇太子殿下と、それを皇弟として支えることが決まっている、聡明なる側妃さまの聡明なる御子の第二皇子殿下がいらっしゃるから、権力争いに巻き込まれることもない。皇族は他にも幾人かいるし。
ーなんとも悠長なことだ。これほどまでに多くの子をつくるなど。
つまり彼女は、この国で最も尊い血をひく、れっきとした皇族の一人である。
そして、その彼女がわざわざこの学園にあらわれ、わが婚約者どのにはりついているということは。
わが婚約者どのが彼女を親しげに愛称で呼ぶということは。
今の状況から考えられる可能性は二つある。一つは、わが婚約者どのに懸想している場合。二つは・・・・。
二つの可能性のうち、片方はほぼないといっていいが、万が一ということもある。これは確証を得なければならないだろう。
ここまで思考を巡らすのに、三秒ほど。
「どうした、ティア?」
ふふふ、と悪戯が露見した子どものように笑う婚約者どの。たった数秒の沈黙を敏感に察し、私の反応を期待するその態度だけで、選択肢は一つに絞られた。
そんな彼に、あえて一瞥だけをくれてやり、幼女、いやディディアナ様の方をみる。
愛しき婚約者どのは、どうやら本当に面白いものをもってきてくれたようだ。
親しい者たちに囲まれているからか緩んだ気が、口角があがるのを助長する。
そして、今度こそ婚約者どの方を見やり、心からの笑みを浮かべた。ああ、本当になんていい男なのだろう。
私の顔をみて満足げな彼。今回ばかりは彼の勝ちかもしれない。あとでからかって取り返さねば。
婚約者どのへの愛しさから飛躍する思考を抑え、席を立った。
見事に着地を遂げたあと、背筋を凛とのばし佇む幼い皇女様。無邪気さを浮かべていた空色の瞳に、きらりと星が光った。
先程までの幼さが嘘のように、皇族らしい気高さを醸し出している。
彼女の周りだけ、空気が違った。
そんな彼女の前までゆっくりと歩を進めると、これまたゆっくりとひざまずいた。
「お初に御目に掛かります、第六皇女殿下。ハプスルク大公が長女、ティナルア・ド・ハプスルクと申します。お美しい皇女様、わたくしにも貴方様の御名をお呼びすることをお許しいただけますか?」
皇女様の小さな手をとり、その指先にそっと口づける。本来ならばこれは騎士の行為であり、一応淑女ということになる私は、カーテシーをするのが常識であるが、あえてこののかたちをとる。
私の属すハプスルク大公家は、臣下である。強大なルクセブルク帝国を構成する中枢の一国にして、大陸随一の諜報力を持つ影の支配者。
そしてかつては、前王朝の血が絶えたのちにルクセブルク家と帝位を争い、今なおその座を虎視眈々とねらい続けている強欲な家。
その家のただ一人の直系子女が、ティナルア・ド・ハプスルク。私である。
「ええ、お許しいたします。」
優雅に、ゆっくりと告げた皇女様に内心感心した。齢六にして、これほどの威厳と優雅さを兼ね揃えた人物は、なかなかいない。
「ありがき幸せ。」
そう返し、もう一度口づけると、ゆっくりと立ち上がった。
皇位を狙う家の長女である私が、現皇家の末席に過ぎぬ皇女に膝を折り、忠誠を示すわけ。
至極簡単なハナシだ。彼女はただの庶子ではない。ハプスルク家・ルクセブルク家両家が忠誠を誓っていた前王朝の血をひく、ただ一人の生き残り。
もう一度、今度は許された名でもって、彼女をよぶ。
「プリンセス・ディディアナ。」
彼女の気高きご尊顔に宿る空色の瞳。その中央に光る星は、前王家の直系にのみ現れる「王家の印」である。
お読みいただきありがとうございます。
これまでの連載、まだ執筆途中で一つとして完結していないというのに、また連載に手を出してしまいました。
この作品はもともと、『婚約者が令嬢を腕にぶら下げているというからみてみたら、物理的にぶらさげていた』というネタで短編にしようと思っていたのですが、書いているうちにどんどん物語が壮大になっていって、学園モノがいつのまにか「帝国簒奪」なんていう政治劇になってしまいました。
投稿頻度がまちまちになると思いますので、ブックマーク登録などして気長にお付き合いくださいませ。
下の星やリアクションなどいただけると嬉しいです!どんどんお願いします!
誤字報告等も受け付けておりますので、ばんばんください。頑張って対応します。なかなか拙い文章ですので、たぶんたくさんあります。頑張ります。




