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3-02 悪夢の魔女の幸いなる箱庭

 王国には、子どものための古いまじないがある。悪夢にうなされた夜、決まった手順で鏡を叩けば魔女の箱庭が現れる。暖かなスープと甘いパン、安らかな夢のおとぎ話――本当の話だ。政治と戦争を嫌い、代々王都外れの森で薬草店を営む魔女の、箱庭の魔法。

 ある日見習い魔女コンスタンツは祖母の「悪夢の魔女」と共に、年若い従騎士・アルノルトから鏡の訪問を受ける。腕には泣き叫ぶ隣国の王女たる痩せた赤子。敵国の侵攻による幽閉生活の中、乳母が倒れたのだ。

 厄介ごとと知りながらも、コンスタンツは彼と共に王女の世話を続ける。しかし数年後、二人は急に訪れを断つ。騎士の誓いの口付けを手に残して。


 再び6年後。戦後の復興最中、今度は玄関から成長した王女エルフリーデがアルノルトを伴い現れる。

「彼と結婚して、子どもたちを助けてちょうだい」

 ――これは魔女とその恋と、悪夢を見る子どもたちが箱庭に遊び学び、まどろむ話。


 ――急がなきゃ、急がなきゃ。

 少女が握るチョークの白線が、クルミ材の床板を滑る。部屋いっぱいに円を描いていたそれは、けれど突然の音に途切れた。


「あぁああああん!!」


 風にガタガタ揺れる古い窓枠と、カーテンと鎧戸の隙間から漏れる稲光と、雨音と、赤子の鳴き声と、小さな手に崩された積み木の音。それらが一瞬で重なる。

 見習い魔女のコンスタンツは、はっと浅い息を吐き、不安と緊張に満ちたヘーゼルの目を部屋に走らせた。

 本棚も散らばるおもちゃもブランケットも、魔除けの薬草束と微かなカンテラの明かりも、暗闇に沈んでいる。

 その中央に広げたキルティングの上で、金色の髪の赤子はいつもと違う空気を敏感に感じ取っているのか、仰向けになって、夜明け色の瞳からぽろぽろと涙をこぼし続けた。鼻水も。小さくか弱い両手足を空に投げ出してバタバタさせながら。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、エルちゃん。すぐに悪い夢をないないするからね」


 努めていつも通り穏やかに声を掛け、チョークをきつく握り直す。

 いざとなったら差し出せば、全員助命されるだけの価値のある隣国の王女様は、それでもやっぱり少女にとっては、ただの可愛らしいひとりの赤子だった。


 再び床に這いつくばった姿勢で腕を動かす。

 遠くで何かがぶつかる音が、鎧戸と耳を打った。それが投石機なのだと知っていた。誰かに当たったり、破片をまき散らしただろうか。雨の中出かけた祖母は無事だろうか。

 想像してしまえば、扉を隔てた玄関の入り口に、何かが当たる度に肩がすくんで手が止まる。敵国の軍靴の音さえ聞こえる気がした。雨音は激しく、教えてくれる森烏たちも巣の中で、何も聞こえやしないのに。


 ――急がなきゃ、魔法陣を、箱庭の魔法を。今日は私が守るんだから。

 心臓の音は雨音より激しく早く鳴っている。ふいに呼吸が喉に引っかかると、チョークが板の継ぎ目で躓いた。

 書き損じた魔法陣に、少女は急いで左手を差し出す。黒いローブの、既に粉まみれの袖口で擦る。再び動かそうとした手はけれど震えて、なかなか始点を定められない。

 その時、背後から伸びてきた手が重なった。


「『悪夢の魔女』、俺は何をすればいい」


 首を回せば、少年の切れ長の目とぶつかった。黒檀色の髪と意志の強い瞳をした騎士見習いのアルノルト。子どもではなく、けれど大人には早すぎる。なのに、いやだからこそ幽閉された王女の護衛という名の、お守りと力仕事を任された、貧乏くじの少年。

 だから少女は、自分も見習いだと言い訳しない。昔々の国王と約束した、子どもの夜を守る魔女の、後継としての誇りを思い出す。


「……だ、大丈夫。すぐに描くから、」

「つまりお前が落ち着けば、殿下を守れるんだな」


 彼は剣だこのできた手を返して少女の手のひらに差し込むと、普段の無骨さはどこへやら、恭しく跪いた。顔が近くなる。そのまま甲に口付けを落とす。


「俺がお前を守る。だからお前は祖国の希望を、殿下を守ってくれ」

「き、騎士の誓いを魔女にするなんて前代未聞だよ! 魔女が真名を教えるようなこと、バレたらただじゃ……!」


 張り詰めた空気が破れた。頬を染め顔を裾で覆う少女に、少年はしてやったりというように笑った。


「じゃあいつか、お前の本当の名を教えてくれ」

「私たちは代々悪夢の魔女(アルプトラウム)なの」

「それじゃ、お前の祖母と区別が付かない」

「いずれ私だけがそうなる。……生きて、私たちは一人前になるの」

「なら、もう大丈夫だな。いつも通りやればいい」 


 少女の目に浮かぶ普段の頑なさに、少年の笑みが深くなった。

 コンスタンツは二、三度瞬きをすると、頷く。手の甲に残る感触に押され三重の円と魔法文字を一気に床に描き切って、触れた。


「『箱庭の鍵よ、開け』」


 箱庭の呪文は熱いままの頬からするすると出てきて、編まれる魔法に導かれて柔らかい緑が床から萌えていく。変哲のない床を柔らかい草地に、柱を木々に変えていく。この赤子の望みは、春の記憶。


「……殿下のお生まれになった日みたいだ」


 泣き声は止み、室外の音は遠くなる。

 暖かく柔らかな光が、薄暗い天井だった空から降り注ぐ。赤子が光の粒を掴み、母を見付けたように微笑した。



 ――そんな過ぎし日の夢を見た。6年を共に過ごした赤子とその護衛騎士を。

 ある国が周辺国への侵攻を諦めた日から。

 寝床の横の温かさも、髪を引っ張る小さな指も、歌や暗唱の声も。初めて本当の名前を訊いてくれたひとも、口付けも。消えてから6年過ぎた今も、たまに見る。

 悪夢から覚めたのだろう。だからいつかは来ないのだと、少女だった魔女・コンスタンツはそう思っていた。


                   *


 小高い丘に立つ白亜の城は、てっぺんを無遠慮にかじり取られたケーキに似ていた。そのまま食べられはせず、かといって元に戻らないままの漆喰の仮修復は、クリーム色をもう数年も晒している。

 小国とはいえ王族の居城すらそうなので、年輪のように城下を取り巻く三枚の壁も、所々崩れたままにされていた。

 そのうち一つは周辺住民に、今や門のように使われている。追い返した敵国と和平条約が結ばれてからは何もなかったので安心して――安心したかったのだろう。


 彼らが向かうのは王国に寄り添う森と、その浅い場所に建つ、色違いの煙が三本箒の尾のようにたなびくトラウム薬草店だ。

 三本煙突を支える三角屋根の軒からぶら下がる黒い大釜の看板。そこにトラウムの綴りが何とも表現できない色で塗り重ねられている。

 人混みが苦手な、薬草魔女が営む薬屋。店内では軽い食事をとることもできる。奇特な客や森に入る薬草採取の娘やら狩人やらは、ここで薬を買い、取り引きをし、休憩をし、時に怪我人を運び込んでいた。


 傷だらけの古い木の扉とドアノブは、そうやって長い間、客と少々のもめ事を引き受けてきて、けれど()()リズムでノックされたのは、初めてだった。

 トントン、トトットン、トトトト――トン。

 箒リスがクルミを割る音と、青羽根キツツキの春の営巣を混ぜ合わせた奇妙なリズムが聞こえた。本来なら日が沈んだ後、店の奥の鏡から聞こえてくるはずの音が。


 キッチンにいた魔女のコンスタンツは、慌てて煮詰めていた薬の上澄みを掬い、鶏肉のスープをぐるりとかき混ぜ、薬草茶を火から下ろした。

 急いで机の合間を縫って、扉を開け――ノブを握っていた手首が掴まれて、それから。

 もっと固くて大きな手が乗せられたので、思わず小さい肩を竦めた。背中に垂れた焦げ茶の太い三つ編みが揺れる。

 丸いヘーゼルの瞳が開けば、瞳の中央に、二つの手首を握って強引に重ねている革手袋が映った。

 手袋から腕、旅装で包んだ小柄でしなやかな筋肉を視線で辿ると、高貴な血を引くと思わせる――何度も将来を想像した小さな女の子とよく似た顔があった。結い上げた金糸の髪と温かみを帯びた夜明け色の瞳の取り合わせは、昔と変わらずカワセミのようだ。


「……殿下、少々強引すぎるかと」


 低い男性の声が頭上からして、大きな手がするりと抜けていく。引き際に指がそっと、コンスタンツの手の甲を撫でた。騎士の誓いを、口付けを何度も落としたその場所を。

 視線をやれば、やはり知人によく似た青年の顔があった。記憶より精悍で、頭ひとつ分の身長差は、今ではもう少しある。

 コンスタンツはそろそろと、確かめるように記憶にある名をなぞった。


「エルちゃんと、アルノルト……?」

「あのねわたくし、もう子どもじゃないのよ」


 少女の凜として、少し生意気そうに返す可憐な唇がほころんでいる。何故どうして、と問いかけようとしては唇を閉じるコンスタンツに、彼女は先んじた。


「大事な話があるの。お祖母様のご許可も頂きたいのだけれど、ご壮健かしら?」

「う、うん。祖母はいま知り合いの腰痛を診に行ってて。……ともかく中に入って、蜂蜜入りのミルク……それともお茶かしら」

「ありがとう、お茶を頂くわ」


 コンスタンツは、もしや記憶による幻覚と幻聴が極まったせいで、振り向いたら二人が消えてしまうのではないかと思いつつ店に入る。

 それにもし幻覚より質の悪い、人を惑わす魔物の仕業なら、入った途端に効力を失うはず――けれど扉に付けられたベルはカランと音を鳴らして、二人を招くと何事もなく閉じた。


「この香り懐かしいわ。あ、辛いジンジャービスケットの瓶! 二人が食べてるのが羨ましかったわ」


 弾む声に振り向いてもまだ、二人は存在していた。コンスタンツは何度も瞬きをし、椅子を勧めながらおずおず尋ねる。


「どうしてここに? 戦争が終わって、それで……」

「祖国は実質、かの国の占領下にあるわ。国王夫妻は監視下におられる。娘の私は塔の監禁生活が終わったから、こっそり来たの」

「監視は、撒きましたが」


 付け加えるアルノルトの声音は落ち着いている。

 それから息を呑むコンスタンツの目の前に、少女の手が力強い眼差しと共に差し出された。


「王女エルフリーデ・ユッテ・クローニクとして、我が国の子どもたちを、未だ続く戦いの悪夢から逃がす責務があるの。

 誠実なるアルプトラウム、力を貸して。騎士アルノルト・ハイデルバッハと結婚し、わたくしを救ったように、あの子たちの父母になってちょうだい。安らかな夢と遊びと、教育とを与えて欲しいの」

「……偽装結婚です」


 付け加えたアルノルトの声は冷静で、けれど黒檀の瞳は初めて出会ったときと同じく、切実な熱を宿していた。

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