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3-16 閣下と私のインソムニア

転生エルフの治癒師セレナは、村で過労ギリギリの日々を送る。掟により誰の傷も癒す彼女の元に、ある夜、謎の貴公子ジークが現れる。彼の眠れぬ病いは、名だたる治癒師も匙を投げた難病だったがセレナは一瞬で眠らせてしまう。翌朝目覚めたジークに彼女は王都へ連れていかれ……。


過労死寸前の癒し手と、眠りを奪われた“閣下の、運命の歯車が動き出す。

 窓の隙間から差し込んだ瑠璃色の光で朝を知る。体はまだ重いけれど、すぐに支度をしないと早朝に訪れる客の治療が始められない。


 木箱に藁を重ねてシーツを被せただけのベッドから降り、部屋から出て外に向かう。


 軋むドアの音を置き去りにして、朝霧の漂う空気を浴びたところで「治癒師さま」と声をかけられた。


「ハモンドさん、すぐ始めますからね」


 早朝に訪れた客は、白髪の老人、ハモンドさんだ。


「さあ、こっちに座って」


 ハモンドさんを私の家でもある診療所に招き入れ、ベンチに座らせる。枯れ木のように乾いた腕に触れ、体を巡る魔力に異常がないかを調べた。


「朝早くにすみませんねぇ」


「良いんですよ。ハモンドさんはいつも食べ物をくれて、充分に対価を払っていますから気にしないでください……今日はここですね」


 魔力の巡りが滞っている場所が右肩にあることを見つけ手をかざす。ハモンドさんの肩から黒い煙が染み出し私の手に吸い込まれていく。


「さあ、これで数日は元気に動けますよ」


「ありがたい。これでまた働ける。息子に迷惑をかけずに済む」


「無理は駄目ですよ」


 私の言葉に曖昧な笑みを浮かべてハモンドさんは去っていった。働けない人間を養うだけの余裕がこの村にはない……もうお爺さんなのにと思った時、不意に【弱肉強食】という言葉が頭に響いた。


 ……私には日本という国で育った記憶や知識が残っている。けれど、名前や家族の顔、どう生きて死んだのかは覚えていない。


 気がつけばこの世界の母の元で育てられ、セレナ・ヴィオラとして十八歳までを過ごしてきた。


「……そろそろお墓の掃除しようかな」


 【思い立ったが吉日】ということで村の外れにある墓地に向かう。小さな狭い村だから辿り着くのはすぐ。墓石代わりの大きな石の前に私はしゃがみ込んだ。


 母が死んでもう一年。受け継いだ診療所は母が生きていた頃よりも客で賑わっていて、順調だ。


「でもねお母さん、最近はちょっと迷っているんだよね」


 ため息混じりに声が漏れる。


 原因は近頃訪れる客層のせいだ。怪我をした傭兵や、狩り損ねた魔物から反撃を受けたハンターなどが転がり込んでくる程度は見慣れたことで、母が生きていた頃と変わらない。


 でも、明らかに貴族と分かる華美な服装で毒に苦しむ男や、背中を斬られた子どもを必死の形相で運びこんで来た騎士、他にも黒装束に身を包む人も来た。


 蜥蜴人や獅子人といった人前に滅多に姿を見せない獣人すら、客として訪れるようになっている。


「客の素性は問わない。ただ傷を癒す……エルフの掟は守っているけど」


 かつて起こった大戦で、エルフは魔族に与して多くの種族を苦しめた。けれどそれを悔いたエルフ達はこの世界の女神に赦しを求め、代償として人々を癒し続ける役目を背負った。


 理由を問わず、罪人であろうとも、求められたならば僅かな対価で治療を施す。


「最初は順調だったんだけどな」


 どうやら、私の治癒能力は高いらしい。お母さんよりも能力が高いとは思っていたけれど、ここまで客が増えるほどだなんて。


「早死にしたくないなぁ」


 治癒を繰り返すと私は眠れなくなるのだ。一日一件程度なら問題はないけれど、三回も行えば、もう夜通し起きていることになる。


 吸い上げた澱んだ魔力は体内にしつこく残り、酷い倦怠感が続く。じっと天井や閉じた窓を見つめて時間が過ぎるのを待つしかない。


 お母さんも眠れない時があると言っていたけど、ここまでとは思わなかった。


 ずっと続けられることじゃない。


 エルフが長寿と言っても健康を害すれば普通に死ぬ。お母さんも体調が悪い時に流行病に罹って、あっけなく死んでしまったし。


 ……【過労死】なる言葉が頭に過った。


『治癒師さまー、客が来てるよー』


 私を呼ぶ声がする。仕事に戻らないと……今日はこれで終われば眠れるのだけど。





 その日の夜。


 私の願い虚しく、夜の月は変わらず輝いていた。


「はぁ……明日はお休みにしよう。もたないよ」


 エルフの体は睡眠がなくてもある程度は耐えられるけれど限界はある。


 ……あっ、お休みの看板出しておくの忘れた。


「面倒くさい……でも訪問されたら対応しないわけにもいかないし、はぁ」

 

 気怠さに抗いながら診療所の外に出た。暗闇に支配された世界の中を、風が気まぐれに吹いて夜を奏でている。


 眠れぬ夜の唯一の慰めを、少しばかり楽しもうと私は耳をすました。


 駆け抜ける風を諫めるように優しい葉音が満ち、虫達のざわめきと混じり合う。完璧な調和、人には決して創り出せない自然……を引き裂いて車輪の軋みといななきが届いてきた。


 カンテラの灯りが夜闇に浮かんで近づいてくる。やがて、豪奢な馬車とそれを囲む騎兵が四騎、私の前で停止した。


「そこの方。この村の治癒師殿はどちらに居られるか」


 馬車を操っていた御者が私へ尋ねる。なんだか嫌な予感がして、思わず村の反対を指そうとするが、諦めてゆっくり自分へと向けた。


「私です……こんな夜更けにどんなご用件でしょうか」


「とある方を治療して頂きたい」


 御者台から降りる仕草からして気品が漂う……私の脳裏に警鐘が響く。騎兵まで引き連れての移動。明らかに貴族絡みの厄介事の匂い。


 けれどエルフの掟は守らないと。


「では、診療所の中へどうぞ」


「場所は我々が用意させて頂きますので。そこの空き地を使わせて貰っても?」


「構いませんよ。お好きなように」


 私は肩をすくめて答えた。御者が目配せすると騎兵が下馬し、馬車から荷物を取り出し、大きな天幕を組み立て出した。


 御者は作業を眺めているだけで手伝わない。どうやらこの御者は偉い立場のようだ。


 確かに綺麗な所作をしているし、服の質感は貴族でないと身につけられないような品質に見える。


 高位の貴族に仕える者もまた貴族……本当に何事もなければ良いのだけれど。


「閣下。整いましてございます」


 ため息を堪えている間に天幕は完成し、御者が主を迎えようと馬車の前で膝をついた。


 騎兵達も膝をついて主の登場を待っている。が、私はといえば棒立ちだ。ただこれを咎められることはない。エルフは治癒の役目を背負う限り、何者にも膝をつくことはないと女神から許されている。


「降りるぞ」


 低く艶のある声が響くと馬車が僅かに揺れて扉が開く。


 月を背に黒いサーコートをはためかせ、長身のシルエットが私に近づいてくる。


「治癒師殿。訳あって名は明かせぬが、治癒を頼みたい」


「誰であろうとも我々は傷を癒します。治療を始めましょう」


 ああ、やっぱり厄介ごとだ。この人が放つ存在感、言葉の圧力。その全てが特別だと私に知らせている。


 ……お願いだから何も起きないで欲しい。とにかく早く終わらせて帰ってもらおう。そして明日は休むんだ。【ワークライフバランス】を取らないと。


 私は決意を新たにして、閣下と呼ばれた人と共に天幕へ向かった。


 入口の脇で待っている騎兵達の横を通り、天幕内部に設置されていた長椅子に座る。


 後に続いていた従者である貴族も、私を監視するように隣に座った。


「仮でいいので、お名前を教えていただけませんか?」


「……ジークと呼んでくれ」


「ではジーク、私のことはヴィオラと」


 天幕内部を照らす灯りで見るジークは、正に貴公子といえる容貌をしている。


 ただ一点、信じられないほどに黒ずんだ、目の下のクマを除いて。


「症状を伺います」


「眠れぬ。どれほど働いて体を酷使しようともだ」


「それは……私に治せるかはわかりませんが、ひとまず診させて頂くので、お体に少し触れますね」


 癒しの力は怪我や病気には効果があるが、不眠となると初めてなので、果たして効果があるのか私にはわからなかった。


 そのせいだというのか、いつもならすぐに見つけられる魔力の乱れも、さっぱりと見えてこない。肩や背中に触れればいつもならすぐわかるのに。どうしよう……こんなことははじめてだ。


「実をいうと、もう何人もの治癒師殿に見て頂いたのだが……誰も治せなかった」


「いつから眠れずに」


「二年前だ。治癒師殿、無理であれば体の疲労を癒してくれるだけでよい」


 ジークが浮かべた表情は、苦しさよりも諦めだった。


 ……この人を助けたいという気持ちが、強く湧いた。


「体に魔力を流します。疲労はそれで取れるはず……」


 けれど、ジークに魔力を流した瞬間、凄まじい抵抗が返ってきて、思わず手を離してしまう。体にも酷い倦怠感が襲ってきた。


 長椅子の上で姿勢を保つのに精一杯だ。


「うっ……」


「治癒師殿! どうされた!」


 私が漏らした声に従者が反応する。


「……少しだけ問題が」


 息を大きく吸って体に力を入れ、倦怠感を抑え込む。


「魔力を流した時に……えっ!」


 事情を説明しようと手をかざしたところで、私は驚いて言葉を止めた。何故なら、ジークの瞳が閉じられ、体がゆっくりと私に倒れ込んできたからだ。


「閣下!? ……まさか眠って?」


 従者はジークから聞こえる静かな寝息を耳にして、私をまじまじとみつめた。


「どうやらそのようです……」


 そこから私は、静かな寝息を聞きながら翌朝まで過ごすことになり……いつの間にか馬車に乗せられ、王都に向かっていた。


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