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3-11 別式姫、妖を斬る

 武芸に長けた旗本の姫君・鏑木霧江は、誰にも言えない欲望を抱えていた。

 ――「人を斬りたい」。


 女武芸者『別式女』。

 かつて奥向きの警備護衛や武芸指南を担った別式の継承者として、霧江は公家の姫君・寿々姫の護衛を命じられる。


 江戸滞在中の寿々姫は、この世ならざる『妖』をその身に宿す異能を持っていた。それに苦しむ寿々姫は、霧江に自らを斬れと命じた。


「あなた、私を斬ってください」


「お断り申し上げます!」

「でも、斬りたいのでしょう──人を」


 寿々姫は霧江の心根を言い当てる。


「別式女の本領は、護りと心得ておりますれば」

「ならば、妖を斬って」


 人を斬りたいという衝動と、天下太平の世の狭間で、別式女・霧江は憑き物体質の寿々姫を守るために刀を振るう!


 しかし、やがて霧江は気づく。

 妖と人、その境界は思うほど明確ではないことに。

 霧江(きりえ)は、人を斬りたいと思っている。

 もちろん、誰にも言ったことはない。言えるはずもない。

 人を、斬りたい。


 そのような欲望を口にすれば、ただでは済まない。

 霧江の生家である鏑木家は、三千石の禄を賜る旗本である。その娘が人を斬りたいなどと口走れば、どうなるか。一生を座敷の奥で暮らすことになるか、尼寺に放り込まれるか、そのどちらかだろう。


 そのような醜聞(スキャンダル)は許されない。

 十七になる霧江には、それくらいの分別はとっくについていた。

 天下太平の世の中では、人を斬りたいと念じている者はこう呼ばれる。

 ──物狂い、と。

 

 だから、霧江は琴を弾く。

 ぴんと張った弦を弾く感触に、まだ斬ったことのない肉と骨を想う。


 花を生ける。

 まだ瑞々しい枝を、パチンと切り落とす音に剣戟の高揚を見出す。


 無心で、木刀を振るう。

 生半可な男をやすやすと凌ぐであろう、おのれの武芸の才を確かめる。


 何度も、何度も、何度も。

 来る日も、来る日も。


 鏑木霧江は、そうやって生きている。

 この日まで、そうやって生きてきた。

 そんな霧江に思わぬ声がかかったのは、よく晴れた秋の日だった。


「霧江、そなたには別式女として奉職してもらいたい」


 ◆


 かつては、大奥や大名家を相手に、奥向きの護衛や武芸指南を担った女武芸者──別式女。

 男のそれとは異なる間合い、体捌きをもって、刃を振るう。

 霧江は、鏑木家に伝わる秘伝を修めた『別式』である。

 

 ◆


「髷、よし。二本差し、よし。着物、よし!」


 霧江は何度も身なりを確かめて、屋敷の敷居をまたぐ。

 対丈の着物に、馬乗り袴。

 髷こそ武家の女らしい輪曲だが、いさましい男装姿である。

 異例の奉職にあたって、霧江は自らが女武芸者──別式女であることを、身なりで示すことにした。

 

(大丈夫。落ち着きなさい、霧江)


 霧江はおのれに言い聞かせて、深く息を吸って……吐き出す。

 まさか自分が、単身でご奉公をすることになるとは思ってもみなかった。

 武家の娘としての礼儀作法は叩き込まれてきたが、それが通じる相手だといいのだが。


「……よし、参る!」


 霧江は、あらかじめ教えられた手順通りに屋敷の横にある勝手口から中に入る。警護の者に用向きを伝えて、取次ぎを願った。


(わざわざ京から下って、大名屋敷を借り切って逗留……風変わりな公家さんもおられる)


 その風変わりな公家さんが、霧江の雇い主である。


 柳原寺(りゅうげんじ)寿々(すず)

 正真正銘、本物(ガチ)のお姫様。


 柳原寺家は神祇関係を家業とする名家──要するに、公家のなかでは中流に位置する家らしい。このたび江戸に逗留する寿々は、柳原寺家の末姫。来年の春で十五になる。


 霧江が警護に抜擢されたのは、まさに霧江が女であるからだ。 

 本来であれば霧江は、このように単身で出歩き、奉公先を訪ねるような身分ではない。曲がりなりにも旗本の娘なのだ。それこそ、古くから鏑木家で働く奉公人などには、霧江のことを「姫様」と呼ぶ者もいた。


(よほどの男嫌いなのか……公家さんっていうのは、そういうものなのか)


 待たされている間に、屋敷の様子をひそかに観察する。

 公家の逗留先に選ばれるほどの大名屋敷と旗本の家では、そもそも規模がまったく違う。とはいえ、元は同じ武家屋敷のはず。それなのに、柳原寺のお姫様が逗留しているこの屋敷は、霧江の家とは何もかも風情が違っていた。


 屋敷で立ち働く人は、あくまで京風。上品で、たおやか。

 公家の作法にのっとった化粧をし、時代がかった着物をまとっている。


(……いけない。雰囲気に吞まれてしまう)


 霧江が背筋を伸ばして心頭滅却していると、寿々姫付きと思しき女房がやってきた。

 年の頃は、霧江の母よりも少し上か。白塗りの化粧のせいで、よくわからない。


 女房がたおやかな声で、霧江に告げる。


「ああ、おそれにございます。かの、お上にていらっしゃる寿々様が、なにと、御目文字(おめもじ)を、直に、とお仰せられました。まことにかたじけのうございますが、どうぞ、おしたがいくださいませ」

「……は」


 霧江は一瞬、言葉の意味を捉え損ねそうになる。


御目文字(おめもじ)を、直に、と。おしたがいくださいませ」

 

 少し考え込んだあとで、なんとか了解する。

 女房言葉だ、これ。

 ――つまり、『寿々姫様が会いたいと言っているから、ついて来い』ということだろう。


「……は。もったいなきことにて」


 霧江は短く答えた。

 いくつかの女房言葉は武家の奥向きにも伝わっている。

 だが、やはり本場は一味違う。なんというか、迫力があった。

 

 公家さんは、みんなこういう感じで喋るのだろうか……。

 霧江は一抹の不安を感じたが、それを振り払って女房についていく。



 案内されたのは、奥の座敷。

 静かなのを通り越して、寂しいくらいだ。

 焚かれている香の馥郁たる薫りに、くらくらとした。

 女房が何やら声をかけ、ふすまを開ける。


 霧江は作法に則って、控えている。

 庭まで拓けているはずの視界を、御簾(御簾!)が遮った。


(……いる)


 霧江の五感が、御簾の向こうの気配を感じ取る。

 衣擦れの音、息遣い。

 ──小柄な少女だ。護るべき存在。


「ありがとう、桂木。さがっておいで」


 静寂を破って、御簾の向こうの寿々姫が女房に告げた。


「寿々様、しかし……」

「よい。これから(わたし)をまもってくださる御方でしょう。どうして、あぶないことがありましょう」

 

 姫様の声は思いがけず深みがあって、低くなめらかだ。霧江は密かに、意外に思った。簡潔でさっぱりした言葉選びも、好ましい。


「あなたが(うち)の別式女さんやね?」


 霧江は慌てて、頭を下げる。

 女房が下がったのを確かめて、姫様がひょいっと御簾の向こうから顔を出したのだ。


「ははっ! 鏑木孝三郎が娘、霧江(きりえ)にございます。別式女として、我が家に伝わる武芸をもって──」

「あ。そういうの、ええですわ」


 座礼をする霧江の頬に、ひんやりとした指が触れる。

 促されるままに顔をあげると、飴色の瞳と目が合った。やや遅れて、飴色の瞳の持ち主……寿々の儚げな(かんばせ)が、霧江の目に飛び込んでくる。


 にこり、と至近距離で寿々が微笑む。


(うち)は寿々、よろしゅうね」


 霧江は、少しぎょっとした。このお姫様、なんというかあらゆる行動が急すぎる。

 護衛任務は、思ったよりも大変かもしれないぞ──と霧江は気を引き締める。予想外の動きをされるのは、護衛初心者の霧江には厳しい。

 とはいえ、それを口には出さない。相手はやんごとなき姫君だ。


「……よろしく」


 霧江が目礼すると、寿々は御簾の前にすとんと腰を下ろす。

 まじまじと眺めてみる。この姫君、かなりの美形である。

 乳白色の肌に、瑞々しい髪が映える。薄紅色の小袖には藤の文様。上品な緋袴がよく似合っている。公家のお姫様と聞いて、誰もが思い描くような出で立ち。


「別式女なんて、初めて会うた。勇まし」

「……恐れ多く存じます」


 寿々の視線が、霧江が佩いてきた刀にとまる。

 荒事の象徴である刀など、公家の姫様にとっては珍しいものだろう。


「……ね、霧江」

「なんでしょう」

(うち)の願いを、ひとつ聞いてくれるやろか」


 願いとは。

 顔合わせをしたばかりで、ずいぶんと踏み入ったことを言ってくる。

 

(うち)を、斬ってください」

「……は?」


 穏やかでおっとりとした口調で、寿々姫は言った。

 自分を、斬れと。


「お断り申し上げます」


 早口に、そう言った。

 身体の奥でドクドクと心臓が脈打っている。

 斬る、斬る、斬る。

 寿々姫を、斬る──想像するだけで、背骨の芯が甘美に震える。

 

「だって、あなた、斬りたいのでしょう──人を」


 寿々姫の低く艶やかな声が、囁く。

 見抜かれている。

 何故、どうして。

 そんな疑念と、人斬りへの誘いを振り払うように、霧江は応える。

 

「……別式女の本領は、護りと心得ておりますれば」

「そう。残念なことや」


 あっさりと。

 驚くほど、あっさりと、寿々姫は引き下がった。


 霧江は、そうと悟られないように細く息を吐く。

 年下の少女に、からかわれたのか。いや、それにしては妙に真に迫っていた。じっとりと滲む、この嫌な汗はなんだ。

 十五の公家の姫君とは、こういうものなのか。


「ならば、(あやし)を斬りなさい」

「承知……は、……はぁ?」


 妖、とは。

 あまりに耳慣れない言葉に、霧江は思わず間抜けな声をあげた

 

(うち)には、昔から妙なものが見えますのや」


 寿々は、ゆっくりと立ちあがる。

 しずしずと、霧江のそばに歩み寄った寿々の腕が、ゆっくりと霧江に伸ばされる。寿々は白い指を、ゆっくりと動かす。


 親指と、人差し指と、中指。

 三本を束ねて、他の指をピンと立てて。


 キツネを象った指で、寿々は霧江の額に触れた。

 その瞬間だった。


「……え、ええっ」


 視界が、変わった。

 霧江の目に映る世界が、変質した。


 目の前に『在る』、おぞましい光景に、霧江は思わず声を荒らげた。


「それ、なんですか!」

「あ。コレ、見えてはる?」


 寿々は優雅におっとりと微笑む。

 その薄い肩には。




 ──巨大な髑髏が、絡みついていた。

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