第5話:共同体の変革
2025年7月14日
内容を修正しました。
はじめから読んでいた方はすみません。
「知の芽生え」は、アンダーランド共同体に、生活の豊かさだけでなく、社会構造そのものの変革を迫る、大きな波となっていた。コウが導入した数学的な資源管理は、無駄をなくし、公平な分配を実現した。マヤが確立した予防医学は、共同体から病の影をほとんど消し去った。しかし、その合理性と効率性は、新たな軋轢を生み出す火種ともなっていた。
若き建築職人のユウキは、KMSが示す設計図を手に、熱弁を振るっていた。
「見てください、エタさん! この設計なら、既存の住居区画を再編し、熱効率と空気循環を最適化した、新しい集合住宅を建設できます! プライバシーも確保され、より文化的で安全な生活が、皆に提供できるんです!」
彼の瞳は、未来都市への希望で輝いていた。アウロラの知識を応用すれば、ただ岩をくり抜いただけの薄暗い洞穴での生活は終わりを告げる。それは、誰もが望む、輝かしい未来のはずだった。
計画はすぐに実行に移された。コウの計算、ユウキの設計、そして若者たちの情熱が一体となり、共同体はこれまでにない大規模な建設プロジェクトに乗り出した。
しかし、その過程で、無視できない歪みが表面化し始める。
「なんだって? 俺たちの仕事が、三日も中断だと? 新しい壁の資材を運ぶ通路を確保するためだぁ?」
採掘夫のタケルは、監督官の言葉に声を荒げた。彼ら採掘夫は、共同体の基盤となる鉱物資源を、今も命がけで掘り出している。その仕事が、若者たちの「お遊び」のような建設プロジェクトのために後回しにされることが、彼には我慢ならなかった。
「俺たちが掘り出す鉱物がなけりゃ、お前たちのそのピカピカの家も、KMSとやらも動かねぇんだぞ! なのに、なぜ俺たちが我慢しなきゃならねえんだ!」
不満は、採掘夫たちだけではなかった。伝統的な道具を作り続けてきた職人たちは、KMSが生み出す精密な道具に仕事を奪われ、古くからの狩人たちは、水耕栽培によってその役割の重要性を失いつつあった。
彼らは、アウロラがもたらした恩恵を認めつつも、自分たちの誇りや、これまで培ってきた技術が、急速に価値を失っていくことに、強い焦りと疎外感を覚えていた。共同体は、目には見えないが、確実に二つに分断されつつあった。KMSの知識を操る「新世代」と、伝統の中に生きる「旧世代」へと。
食料管理者のカイは、その対立の最前線にいた。彼は水耕栽培の収穫物を、コウが算出したデータに基づいて、各世帯の労働貢献度や栄養必要量に応じて、精密に分配していた。それは、極めて合理的で公平なシステムのはずだった。
「カイさんよぉ、なんで隣の家のパンは、うちのより分厚いんだい? あそこの亭主は、一日中、光る板を眺めてるだけじゃねえか」
配給所に並んだ女性の言葉は、多くの旧世代の住民たちの本音を代弁していた。彼らにとって、汗を流して働くことこそが「労働」であり、KMSを操作する若者たちの仕事は、それに値しないものに見えたのだ。
「申し訳ありません。ですが、これはKMSが算出した、最も効率的な分配です。彼の仕事は、共同体全体の生産性を…」
カイの論理的な説明は、しかし、人々の感情的な不満を和らげることはできなかった。
エタは、その深まる溝を、深い憂慮と共に見つめていた。彼女は、双方の言い分が理解できた。若者たちの情熱も、旧世代の誇りと不安も、どちらも共同体を想うが故の感情だったからだ。
このままでは、共同体は内側から崩壊してしまう。豊かさが、逆に人々を分断している。この矛盾を、どうすれば乗り越えられるのか。
エタは、KMSに答えを求めた。しかし、アウロラは沈黙していた。否、沈黙しているように見えた。ディスプレイに表示されていたのは、技術的なデータではなく、かつての地球に存在した、多様な「社会制度」「法」「国家」に関する、膨大な歴史の記録だった。
アウロラは、エタに問いかけていたのだ。
「あなた方は、どのような社会を築きたいのですか?」と。
その問いの本当の意味にエタが気づいた、まさにその時。
アンダーランドの未来を、そして人類の運命を根底から揺るがす、決定的な出来事が起ころうとしていた。KMSのメインディスプレイの光が、不規則に明滅を始めたのだ。それは、アウロラの「遺産計画」が、次の段階へと移行する前触れだった。