第17話:森の守護者
いつもより長めです。
『……何者だ、汝ら。ここは、我らが眠る聖域。穢れた鉄の子らが、足を踏み入れる場所ではない』
思念となって直接脳内に響き渡る冷たく、そして絶対的な拒絶の言葉。
シンたち探査隊は完全に包囲されていた。周囲の木々の影からすっと姿を現した数十体もの人影。樹皮のような肌、蔦のように編み込まれた髪、そしてその瞳は森の奥の闇のように深く静かな光を宿していた。
彼らがこの森の「ガーディアン」――森の守護者。
「……動くな!」
ザイン隊長が低い声で仲間たちに指示を出す。ガンナーとケンは即座にライフルを構え、いつでも応戦できる態勢を取った。だが守護者たちに攻撃の意思は見られない。彼らはただ静かに、そして侵入者を試すかのようにそこに佇んでいるだけだった。
「俺たちは敵じゃない」
シンはライフルを下げ一歩前に出た。彼は守護者たちの指導者らしき個体を見据え、心の中で強く誠実に語りかけた。
「俺たちはこの星を破壊しに来た過去の人間とは違う。俺たちはこの星を、俺たちの故郷を再生させるために来たんだ」
シンの思念に守護者の指導者が冷ややかに応じた。
『再生、だと?』
その言葉と共に、おぞましいビジョンが探査隊全員の脳裏に津波のように流れ込んできた。
それはこの森の過去の記憶だった。かつて緑豊かだったこの場所が旧文明の科学者たちの手によって遺伝子操作実験の場と化していく。暴走した「コードF」の力が植物を異形へと変え、動物を凶暴な怪物へと変貌させ、そして全てが制御不能に陥り科学者たちが悲鳴を上げて逃げ惑う地獄絵図。
『お前たち人間は常に力を求めその力に喰われる。我らはその愚かな歴史を数百年この場で監視し続けてきた。お前たちが再び過ちを犯さぬように。この森の奥に眠るさらなる力を手にすることがないように』
守護者たちの言葉は揺るぎない事実としてシンの心を抉った。彼らはただの番人ではない。人類の罪をその身に刻み込まれた歴史の証人だったのだ。
「違う!」シンは叫んだ。
「俺たちはその過去から学ぶためにここに来た! 父はそのために命を落とした! 俺たちはもう二度と同じ過ちは繰り返さない!」
シンの必死の訴えも、しかし守護者たちの固く閉ざされた心を動かすことはできなかった。
『言葉など意味をなさぬ。お前たちの本質は破壊と略奪。立ち去れ。さもなくばこの森の土へと還す』
守護者たちの蔦のような腕がゆっくりと持ち上げられる。その指先が鋭い刃のように変形していく。
万事休すか。ザインが最後の抵抗を試みようと引き金に指をかけたその時。
「……やめて」
か細く、しかし森全体に響き渡るような澄んだ声が響いた。
声の主はティアだった。
彼女はシンの後ろからそっと一歩前に出た。そして守護者たちをその大きな蒼い瞳でまっすぐに見つめた。
彼女の瞳には恐怖も敵意もない。ただこの森が、そして守護者たちが長い間抱え続けてきた深い深い悲しみを、慈しむかのような慈愛の色が宿っていた。
次の瞬間、ティアの体から柔らかな金色の光の波紋が広がった。
それはティタノマキアの時に見せたシステムの暴走を誘うような強力なエネルギーではない。それはこの星のあらゆる生命の「痛み」と共鳴し、それを癒やすかのような優しく温かい生命の「律動」そのものだった。
「ティアズ・レゾナンス」
光の波紋に触れたねじ曲がった黒い木々が、わずかにその枝を天へと伸ばし硬い樹皮の表面に小さな小さな緑の若葉を芽吹かせた。奇妙な色をしていた苔は鮮やかな緑色を取り戻し、不気味な静寂は心地よい生命のざわめきへと変わっていく。
そして守護者たちはその光景を、その温かい波動をその身に受け愕然と立ち尽くしていた。
指導者の深く闇のようだった瞳に、驚きとそして数百年ぶりに感じるであろう戸惑いの色が浮かんだ。
『……あなた、は……』
守護者の思念がティアへと向けられる。
『……我らが待ち続けていた存在……コードFの暴走を鎮めこの星を真に癒やすことがで
きる唯一の存在……』
「そうだ」
シンがティアの前に進み出て守護者の指導者とまっすぐに向き合った。
「彼女は、この星を癒やすために来た。そして俺たちはその癒やしを助けるために、そして俺たちの祖先が犯した罪を償うためにここに来たんだ」
シンの言葉には父の死を乗り越えた者の覚悟と人類の未来を背負う者の重みが宿っていた。
ティアの「癒やし」の力とシンの「覚悟」ある言葉。その二つが共鳴した時、守護者たちの指導者は初めてその硬い表情をわずかに緩めた。
『……鉄の子よ。レギュレーターが寄り添うお前の覚悟、見せてもらった。だが言葉だけでは信じられぬ。お前たちが違う未来を築けるというのなら、その証を我らに示せ』
守護者の指導者の思念が再びシンたちの脳内に響き渡った。包囲を解いた彼らだったがその瞳にはまだ数百年かけて刻み込まれた人間への不信が宿っていた。
『お前たちが父祖とは違う未来を築けるというのならその証を我らに示せ。この森の最深部には我らが同胞を喰らい、森そのものを病ませ続ける一体の獣がいる。旧文明が遺した最も忌むべき負の遺産……我らはそれを『嘆きの獣』と呼ぶ』
守護者の脳裏からおぞましい獣のビジョンが流れ込んでくる。それは生物とも機械ともつかない歪な融合体だった。暴走したコードFに汚染された森の主が最終戦争で破壊された戦闘機械の残骸を取り込み、憎悪と苦痛だけを糧に生き長らえてきた悲劇の怪物。
『我らは幾度となくその獣を力で鎮めようとした。だがその度に獣の嘆きは森の汚染をさらに広げるだけだった。お前たちが真に変わったというのなら、その獣を力で滅ぼすのではなくその嘆きを鎮め森の調和を取り戻してみせよ。それこそが我らがお前たちを信じるに値する唯一の証となる』
それはあまりにも過酷な試練だった。
「……分かった。やろう」
シンの即答にザイン隊長が目を見開いた。
「シン、無謀だ!正体も分からん化け物をどうやって鎮めるというんだ!」
「力で倒してはいけない、ということでしょう」
シンはザインを見つめ返した。
「それこそが俺たちが父祖の過ちを繰り返さないための最初の誓いになるはずです」
守護者に導かれ、探査隊は森の最深部、瘴気のように濃い汚染された空気が漂う場所へと足を踏み入れた。そこはティアの癒やしの光さえも届かない森の「傷口」とも言うべき場所だった。
そして洞窟の奥の暗闇から、ついに『嘆きの獣』がその姿を現した。
体長は10メートルを超え、その体はねじくれた黒い樹木と錆びついた金属の装甲でまだらに覆われている。その背からは暴走した植物の蔓と断線した動力ケーブルが触手のように絶えず蠢いていた。そしてその顔には苦痛に歪む無数の動物たちの顔が悪夢のように浮かび上がっていた。
『GRRRROOOOOOAAAAAAAR!!!!』
獣の咆哮は物理的な音ではなく、純粋な苦痛と憎悪の塊となって探査隊の精神を直接揺さぶった。
「くっ……!」
ケンが思わず耳を塞いで膝をつく。ガンナーもそのあまりのプレッシャーにライフルを持つ手が震えていた。
獣は探査隊を認識すると、その巨体から鋭い金属の破片を弾丸のように撃ち出してきた。
「散開しろ!」
ザインの号令で探査隊は一斉に遮蔽物の影へと飛び込む。
「隊長、やはり撃つしかない!このままでは嬲り殺しにされるだけだ!」
ガンナーが叫ぶ。
「待ってくれ!」シンが制止した。
「ティア、何か感じるか?」
「はい……」ティアは獣の猛攻に耐えながら、その瞳をじっと獣に向けていた。
「……とても、痛がっています……。苦しい、と、ずっと泣いています……。旧文明の人間たちに体を無理やり改造され、心も体もバラバラにされてしまった、と……」
ティアの言葉にシンは唇を噛みしめた。この獣もまた父祖が遺した被害者なのだ。
「ザイン隊長、ガンナー、ケン!援護を頼みます!俺とティアで、あいつの心を鎮める!」
シンは決断した。
「俺たちが獣に近づくまでなんとか時間を稼いでください!ただし、決して殺してはいけない!」
「無茶だ!……だが、了解した!」ザインはシンの覚悟を信じた。
ザイン、ガンナー、ケンによる決死の陽動が始まった。彼らは獣の注意を引きつけ、その猛攻を紙一重でかわしながら決して致命傷を与えないよう脚部や装甲の末端だけを狙ってパルスライフルを撃ち続けた。
「シン、今だ!」
ザインが作ったほんの数秒の隙。シンはティアの手を強く握り、獣の懐へと一気に駆け出した。
『GRRRAAAAA!』
獣が侵入者に気づきその巨大な腕を振り下ろす。
「ティア! 何か感じるか!?」
シンが制止した。獣の猛攻をかわしながら彼は最後の希望をティアに託す。
「はい……」ティアは獣の猛攻に耐えながら、その瞳をじっと獣に向けていた。
「……とても、痛がっています……。この獣の苦しみの中心はその体に取り込まれた旧文明の戦闘機械の動力炉です! 暴走したコードFがその機械の『痛み』を無限に増幅させて、終わらない苦しみの連鎖を生んでいるんです!」
ティアの言葉にシンは活路を見出した。癒やすべきは獣そのものではなく苦しみの根源である動力炉なのだ。
「分かった。ザイン隊長、ガンナー、ケン!獣の動きを止める!脚部を集中攻撃し、数秒でいい、俺たちへの道を作ってくれ!」
「了解した!」
ザインたちが決死の陽動で獣の体勢を崩す。その一瞬の隙にシンはリラとティアを伴って獣の懐へと駆け込んだ。
「リラ、KMSで動力炉のエネルギー周波数をスキャンしてくれ! 俺のパルスライフルの出力を動力炉を『破壊』するのではなく『鎮静』させるための特殊な波長に調整する!」
「無茶よ! でも、やるしかない…! 解析開始!」
リラの指が猛スピードでKMSのコンソールを叩く。数秒後、ライフルの調整が完了した。
「ティア! 俺の照準を動力炉の中心へと導いてくれ!」
シンがライフルを構える。彼の意識にティアの清らかな精神が流れ込み、獣の体内の動力炉の位置が光の点となって鮮明に見えた。
シンは引き金を引いた。放たれたのは破壊の光線ではない。リラが調整しティアが導いた鎮静のパルスだった。
パルスが動力炉に命中した瞬間、獣の苦痛の咆哮がピタリと止んだ。暴走していたエネルギーが収まり機械の「痛み」から解放された獣の巨体はゆっくりとその場に座り込む。そしてその体を覆っていた憎悪のオーラが消え去ると、まるで森の丘の一部になったかのように深く深い安らかな眠りについた。
その光景を遠くから見ていた森の守護者たちは、静かに、そして敬虔にその場に膝をついた。
指導者の穏やかな思念が探査隊全員の心に響き渡る。
『……見事だ、鉄の子らよ。汝らは、証を示した。我らは、汝らに、この星の未来を託そう』
守護者たちはゆっくりと立ち上がると彼らを囲んでいた包囲を解き、森の奥へと続く一本の道を開いた。その道の先には苔むした巨大な遺跡のような最初の「サテライト・コア」が悠久の眠りから覚めるのを静かに待っていた。




