第11話:生命の代償
「……シン、あなた、まさか……」
リラの震える声が白亜の静寂を破った。彼女の問いにシンは静かに、しかし力強く頷いた。
「俺の生命エネルギーを彼女に」
その言葉が現実のものとして認識された瞬間、アキトが血相を変えてシンの前に立ちはだかった。
「馬鹿なことを言うな! 死ぬ気か!?」
父の悲痛な叫びだった。
「お前の防護服の生命維持装置はあくまでお前の生命をこの過酷な環境で維持するためのものだ! それを未知のシステムに直結させるなどただの自殺行為だぞ!」
「ですが父さん、他に方法が?」
シンの冷静な問いにアキトは言葉を詰まらせた。技術者として彼は誰よりも理解していた。この状況を打開する安全な方法など、もはや存在しないことを。
「技術的な問題だけじゃないわ!」
リラがKMSの分析データを表示させながら二人の間に割って入った。
「この覚醒プロトコルは単なるエネルギー転送じゃない。KMSのシミュレーションによるとこれは『生体情報の同期』に近い。ドナーの生命情報をレギュレーターに直接書き写し、その反動で強制的に覚醒させる禁断の技術よ! あなたの精神が、肉体が、耐えられるはずがない!」
彼女の瞳は懇願するようにシンを見つめていた。しかしシンの決意は揺るがない。彼は生命維持を示すグラフが刻一刻とゼロへと近づいていくティアのポッドを指差した。
「見ろ。彼女の命の火はもう消えかかっている。俺たちがここで議論している間にもだ。ゼロは俺たちに未来を託してくれた。アンダーランドの皆も俺たちの帰りを待っている。その全てをこのまま見殺しにはできない」
シンは父と、そして幼馴染の顔を一人一人しっかりと見つめた。
「これが俺が選んだ道だ。リーダーとしてこの責任を果たす」
その覚悟を前にアキトもリラももはや引き止める言葉を見つけられなかった。アキトは唇を噛みしめ、わなわなと震える手でシンの防護服とティアのポッドを接続するケーブルを手に取った。リラは涙をこらえながらKMSのコンソールでシンのバイタルを監視し、エネルギー転送を補助するプログラムを起動させる。
ザイン、ケン、ガンナーは、その悲壮な光景をただ息を殺して見守ることしかできなかった。
「……準備、完了した」
アキトがかすれた声で告げる。
シンは深く息を吸い込むと、自らの手でエネルギー転送のスイッチを起動した。
「シンッ!!」
仲間たちの叫び声を背に、シンの意識は青白い光の奔流へと飲み込まれていった。
凄まじい虚脱感が全身を襲う。体中の血液が逆流していくかのような感覚。骨の髄まで凍てつくような冷たさが彼の体を蝕んでいく。視界は白く染まり、仲間たちの声もKMSのアラートも遠くノイズのようにしか聞こえない。
(これが……死か……)
朦朧とする意識の中で彼は故郷の光景を見ていた。薄暗いアンダーランドの天井を照らす菌類の森の青白い光。仲間たちと笑い合った広場の壁画。そして自分を信じ送り出してくれた祖母エタの優しい笑顔。
(……いや、まだだ。まだ、終われない……)
彼は気力を振り絞り、自らの生命エネルギーを光の奔流へと注ぎ込んだ。
『生体エネルギー、臨界点に到達』
KMSの無機質な音声が響く。
その瞬間、シンを包んでいた青白い光が一斉にティアの眠るガラスの円柱へと吸い込まれていった。円柱は内部から発光するかのようにまばゆい輝きを放ち始める。
弱々しく点滅していたティアの生命維持グラフが力強く上昇に転じた。
そして。
眠っていた彼女の銀色の髪がジェルの中でふわりと浮かび上がる。固く閉ざされていたその瞼が微かに震え、ゆっくりと、ゆっくりと開かれていった。
「……やった……」
リラが安堵と喜びの声を上げた。
だがその喜びは次の瞬間、絶望の悲鳴へと変わった。
エネルギー転送を終えたシンの体が糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちたのだ。彼の防護服のバイタルサインが急速に低下し、やがて生命活動の停止を示す長い長い警告音に変わった。
「シン!!!!」
時を同じくして。
ティアのどこまでも澄んだ蒼色の瞳が完全に開かれた。
ゴォンッ!!!!!
研究室全体が地響きと共に激しく揺れる。
そして冷たく無慈悲な合成音声がドーム内に響き渡った。
『警告。レギュレーター覚醒を確認。最終防衛シーケンス『ティタノマキア』を起動します』
『当セクターを完全封鎖。区画内の全侵入者を即時排除します』
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
彼らが入ってきた巨大な扉が凄まじい音を立てて閉鎖されていく。壁や天井からは無数の銃口や異形のガーディアンたちが、赤いセンサーを光らせながら一斉に姿を現した。
希望の揺りかごは一瞬にして死の罠へとその姿を変えた。
人類の未来を覚醒させた代償は、彼らの完全なる絶望だった。




