第9話:破滅の揺りかご
風の回廊を乗り越えた探査隊の体は限界を迎えようとしていた。防護服のバッテリー残量を示す警告がヘルメットの内側に赤く点滅している。だが彼らの目には疲労の色よりも、目の前にそびえ立つ巨大な白亜のドームを捉える強い光が宿っていた。
旧植物研究施設。人類の希望、あるいは過去の罪が眠る場所。
「……なんという静けさだ」
ガンナーが周囲を警戒しながら呟いた。あれほど荒れ狂っていた風が施設に近づくにつれて嘘のように凪いでいた。まるでこの場所だけがこの星の法則から切り離されているかのようだ。
地面には奇妙な結晶質の植物が青白い光を放ちながら群生している。KMSのデータベースには存在しない明らかに異常な生態系。それがこの施設の異様さをより一層際立たせていた。
「シン、見て」
リラがKMSのホログラムを指し示す。そこにはアウロラが遺したこの施設に関する断片的な警告が表示されていた。
『……自己増殖性ナノマシンの暴走……汚染拡散……この施設は、滅びの引き金の一つ……』
「ナノマシン……」アキトがその言葉に息を呑んだ。
「過去の文明が手にしていたという万能機械か。それが暴走……」
彼らは施設の周囲を慎重に調査し、かろうじて原型を留めている搬入口を発見した。分厚い金属製の扉は外部からの強力な爆発によって歪み、人間が一人やっと通れるほどの隙間が空いている。
「行くぞ」
シンを先頭に、彼らは一人ずつその闇の中へと足を踏み入れた。
施設内部は不気味なほどに整然としていた。埃は深く積もっているが破壊された研究機器やガラスの破片が散乱している様子はない。まるで職員たちがつい昨日までここで研究を続けていたかのような奇妙な静けさが漂っている。
「シン、これ……」
リラが通路の壁を指差した。そこには緊急避難を示すホログラムの警告表示が、数百年という時を経て今も微かに点滅を続けていた。
『警告:レベル5バイオハザード発生。全区画、即時封鎖。生存者は中央研究棟のシェルターへ避難せよ』
「バイオハザード…?」
ケンがゴクリと唾を飲み込んだ。
「戦争だけではなかったのか。この施設では何か別の恐ろしいことが起きていたのかもしれない…」
彼らは床に残された古いデータパッドを発見した。アキトがKMSに接続し、辛うじて残っていた最後のログを復元する。
『……失敗だ。コードFは我々の手に余る代物だった。あれは生命を育むと同時に全てを書き換えてしまう神の力だ。我々は希望の揺りかごを作ろうとして地獄の蓋を開けてしまった……』
『……ティアは我々の最後の希望だ。彼女だけがコードFを制御できる。だが彼女を覚醒させるには……』
ログはそこで途切れていた。
KMSが示すコードFとレギュレーターの反応は、その警告が示す「中央研究棟」のさらに奥深く、最も厳重に隔離されたであろうセクターから発せられていた。
彼らは息を殺しながらそのセクターへと続く長い長い廊下を進んでいく。壁には何か巨大なものが暴れ回ったかのようなおびただしい数の爪痕が生々しく残されていた。
そしてついに、一つの巨大な扉の前にたどり着いた。
扉には禍々しいほどのバイオハザードの警告マークと共に、こう記されていた。
『セクター・ティタノマキア:罪の揺りかご』
「ティタノマキア……」リラがその言葉の意味をKMSで検索し戦慄した。
「旧文明の神話にある神々の戦争の名……」
扉の向こうからKMSがこれまで検知したことのない微弱で、しかし明らかに「生命」のものと分かるエネルギー反応が、鼓動のようにゆっくりと、そして確実に彼らのKMSに流れ込んできていた。
人類の希望か、あるいは父祖が遺した最悪の罪か。
シンは震える手でその扉の認証パネルに手を伸ばした。彼の脳裏には父アキトの言葉が蘇っていた。
『この鉄の塊は、我々の墓標じゃない。未来への道標だ』
(父さん、見ていてくれ。俺はここから未来を掴む)
決意を固めたシンの指がパネルに触れる。
重々しいロックの解除音と共に数百年もの間閉ざされていた禁断の扉が、ゆっくりとその口を開き始めた。




