第8話:風の回廊
最初の夜が明け、探査隊は再び歩みを進めていた。シンが昨夜目撃した不気味な巨人たちの姿は他の誰にも見られてはいなかった。彼は仲間たちの無用な不安を煽るべきではないと判断し、そのことを胸の内にしまい込んだ。だがこの荒野が彼らの常識が通用しない場所であるという事実は、彼の心に重く刻み込まれていた。
ゼロの遺したルートは機械生命体の主な活動領域を巧みに避けてはいたが、代わりに彼らを導いたのは自然そのものが牙を剥くより根源的な脅威だった。
二日目の午後、彼らの眼前に巨大な亀裂が口を開けた。それは地殻変動によって生まれたであろう深く長い渓谷だった。そしてその渓谷からは絶え間なく轟音が響き渡っていた。
「……なんだ、この風は」
ガンナーが思わず顔をしかめる。渓谷から吹き上げる風は暴風と呼ぶにふさわしい猛威を振るっていた。砂や小石が弾丸のような速さで宙を舞っている。
「シン、この先のルートはこの渓谷を横断する必要があるわ。でも……」
リラがKMSの分析データを見て息を呑んだ。
「この風には高濃度の腐食性粒子が含まれている。私たちの防護服でも長時間晒されれば繊維が劣化して気密性が保てなくなる危険性が高い」
「迂回は不可能か?」
ザイン隊長が尋ねる。
「ええ。迂回すれば機械生命体のテリトリーを通過することになる。リスクが高すぎるわ」
彼らは進退きわまった。この「風の回廊」を突破しなければ目的地にはたどり着けない。しかし真正面から突っ切れば防護服がもたず、放射能にその身を焼かれることになる。
「……何か、方法があるはずだ」
シンは轟音を立てて荒れ狂う渓谷を見つめながら必死に思考を巡らせた。その時、肩を痛めているアキトがKMSの地形データと風の分析結果を睨みつけながら口を開いた。
「シン、この風は一定じゃない。KMSのデータによれば数分おきにほんの十数秒だけ風が弱まる周期がある。そして対岸までの間に巨大な岩がいくつか点在している。あの岩を中継地点にすればあるいは……」
それはあまりにも危険な綱渡りだった。風が弱まるわずかな時間を狙って岩から岩へと飛び移るように移動する。一度でもタイミングを誤れば強風に煽られて渓谷の底へと真っ逆さまだ。
「リスクが高すぎます、アキトさん」ケンが青ざめた顔で言った。
「だが他に道はない」ザインがケンの肩に手を置いた。
「やるしかない。リラ、風の周期を正確に予測できるか?」
「ええ。誤差はプラスマイナス2秒以内。カウントダウンは私のKMSに表示させるわ」
作戦は決まった。まず最も腕の立つガンナーが特殊なワイヤーを射出する装置を使い、最初の岩に対岸まで届く命綱を打ち込む。その後一人ずつ風が弱まるタイミングでその命綱を頼りに岩へと渡るのだ。
「俺が最初に行く」
ガンナーが重い装備を背負ったまま渓谷の縁に立った。リラのKMSがカウントダウンを開始する。
「……3、2、1……今!」
リラの合図と同時にガンナーはワイヤーを射出した。先端のアンカーが轟音の中、見事に対岸の岩に深々と突き刺さる。
「よし! ザイン隊長、お願いします!」
ザインがガンナーが確保したワイヤーを体に固定し最初の岩へと向かう。風が再び強まり彼の体が木の葉のように揺れる。見ている誰もが固唾を飲んだ。数秒後、ザインは無事に最初の岩へとたどり着き後続のメンバーのために新たな足場を確保した。
次にアキト、そしてケンが続く。ケンは恐怖で足がすくむのを必死にこらえ、ザインの叱咤とアキトの励ましを受けながら震える足で岩へと渡った。
「シン、リラ! あなたたちも早く!」
岩の上からザインが叫ぶ。
シンとリラが最後に出発しようとしたその時だった。
突風が彼らが立っていた足場を襲った。古い岩盤が音を立てて崩れ始める。
「危ない!」
シンはリラを突き飛ばし、自らは崩れる足場と運命を共にした。彼の体はワイヤー一本で宙吊りになる。眼下には吸い込まれそうなほどの暗い谷底が広がっていた。
「シン!!」
リラの悲鳴が風の音にかき消される。
「くそっ……!」
シンは片手で必死にワイヤーに掴まりながら、もう片方の手で崩落に巻き込まれて落下しかけている最も重要な装備――高エネルギー生成装置の小型版が入ったコンテナを掴んだ。
「シン隊長! 装置を離せ! 自分の命が!」
対岸の岩の上からケンが必死に叫ぶ。
だがシンは首を横に振った。これを失えばたとえこの渓谷を渡りきっても未来はない。
「ザイン隊長! ワイヤーを巻き上げてくれ!」
「無茶だ! 重すぎる!」
シンの腕が限界に達しようとしていた。その時、アキトが叫んだ。
「シン! コンテナのフックをお前の防護服の補助アームに接続しろ! そしてテコの原理を応用するんだ! ワイヤーを足場にして体を振り上げろ!」
父の言葉にシンは我に返った。彼はアキトの指示通り震える手でコンテナを補助アームに固定すると、ありったけの力を込めて体を振った。
一度、二度。彼の体は大きく揺れ、そして三度目のスイングで見事に近くの岩棚へと着地した。
「……やった……」
シンは岩棚に倒れ込み、荒い息を吐いた。仲間たちの安堵の声が遠くに聞こえる。
彼らはこの「風の回廊」という試練をチームの力で乗り越えたのだ。
疲労困憊の体を引きずり、彼らは渓谷を完全に渡りきった。防護服のバッテリーはもうほとんど残っていない。
だが彼らが顔を上げた時、その目の前にはこれまでよりも遥かに鮮明に巨大な白亜のドームがそびえ立っていた。
植物研究施設。人類の希望が眠る場所。
しかしその姿は神々しいというよりも、むしろこの死の世界に不釣り合いなほど美しすぎるが故にどこか不気味な威圧感を放っていた。まるで訪れる者を試すかのように静かに、そして冷たく彼らを見下ろしている。
希望の灯台はすぐそこにあった。だがその光が本当に彼らを未来へと導くものなのか。それはまだ誰にも分からなかった。




