第1話:過去の残響
地表探査車両が岩陰に退避してからどれほどの時間が過ぎただろうか。耳をつんざくような警報音は止んだが、代わりに荒野を吹き抜ける風の音がまるで亡霊の呻き声のように響いていた。車両のフロントガラスには酸性雨によって溶かされた痛々しい痕跡が残り、探査隊の誰もがこの星の過酷な洗礼をその身に刻み込まれていた。
「……シールド出力、30パーセントまで低下。船体各所に微細な腐食を確認。このままでは次の放射能の『波』に耐えられないかもしれません」
KMSのポータブル端末から顔を上げたリラの声はかろうじて平静を保っていたが、その指先は微かに震えていた。彼女の冷静な分析能力をもってしても、この予測不能な環境は脅威だった。
後部座席では父アキトが応急処置用のツールを手に、剥き出しになった配線と格闘していた。彼の額には脂汗が滲んでいる。
「くそっ、メインのエネルギーラインにまでダメージが及んでいる。予備電源に切り替えるが、長くはもたんぞ……」
その表情には技術者としての焦りと、息子を危険な旅に送り出してしまった父親としての苦悩が色濃く浮かんでいた。
「シン隊長……俺たち、本当にここでやっていけるんでしょうか……」
外部センサーの監視を続けていた若い隊員ケンが、不安を押し殺した声で呟いた。アンダーランドで生まれ育った彼にとってこの荒涼とした死の世界は、想像を絶する恐怖の対象だった。壁画に描かれた青い空と緑の大地はあまりにも遠い神話に思えた。
その不安はベテラン兵士であるガンナーにも伝染していた。彼は黙ってパルスライフルの銃口を車外に向け続けているが、その固く結ばれた唇が極度の緊張を物語っている。
「弱音を吐くな、ケン」
操縦桿を握るザイン隊長が低い声で叱咤した。
「我々はアンダーランドの希望を背負っている。ここで立ち止まることは許されん」
彼の言葉は厳しかったが、その声にも疲労の色は隠せなかった。
リーダーであるシンは皆の不安を一身に受け止めながら、KMSのホログラフィック・マップを凝視していた。地表の過酷さは彼の予測をも遥かに超えていた。だがここで引き返すという選択肢はない。引き返したところで緩やかな滅びが待つ地下世界があるだけだ。
(アウロラは、この現実を知っていて俺たちをここに送り出したのか……? この試練の先に本当に答えはあるのか……?)
シンの心に一瞬、疑念がよぎる。しかし彼はすぐにその迷いを振り払った。
「リラ、KMSの予測を再計算してくれ。最もエネルギー消費が少なく比較的放射線レベルの低いルートを割り出すんだ。アキト、応急処置が終わり次第エネルギー効率を最大化するモードに移行する準備を。ザイン隊長、ルートが確定次第出発する」
矢継ぎ早に指示を出すシンの声にはリーダーとしての覚悟が滲んでいた。その声に探査隊の面々も再び顔を上げる。彼らはこの若きリーダーに人類の未来を託すことを決めたのだ。
数時間後、探査隊は再び荒野へと走り出した。彼らが目指すのはKMSのデータが示す最初の目的地、旧文明の「都市遺跡」。そこには人類が生き残るためのヒントが眠っているかもしれない。
しかし平穏は長くは続かなかった。
「シン! 前方、砂塵の中に多数の高速移動物体を確認! 熱源反応あり! これは……生物じゃない、機械だ!」
リラの切迫した声が車内に響いた。
KMSの外部センサーが捉えた映像を拡大すると、砂塵の向こうから黒い影の群れが猛スピードでこちらに向かってくるのが見えた。それはかつての戦争で使われた自律型兵器の残骸が、数百年という時を経てこの荒野の捕食者へと変貌したかのような異様な姿をしていた。複数の金属の肢、鈍く光る赤い単眼センサー、そして明らかに敵意を帯びた機敏な動き。
「戦闘態勢! ガンナー、ケン、迎撃準備!」
ザイン隊長の号令が飛ぶ。
車両のルーフからガンナーが操作する連装パルス砲が姿を現し、火を噴いた。エネルギー弾が機械生命体の一体に直撃し、火花を散らして吹き飛ばす。しかし敵の数はあまりにも多かった。
「隊長! 右からも来てます!」
ケンの悲鳴に近い声。彼の撃つパルスライフルは敵の硬い装甲に弾かれていた。
機械生命体の群れはまるで知性を持っているかのように巧みな連携で車両を包囲し、その鋭い肢で装甲を切り裂こうとする。ガガガッという耳障りな金属音が恐怖を煽った。
「リラ、音波兵器は!?」
「試してる! でも周波数を変えてもすぐに対応してくる! こいつら、学習しているのよ!」
リラの分析通り、敵は単なる暴走兵器ではなかった。長い年月の中で互いに情報を共有し、狩りの方法を進化させてきた恐るべき機械の獣たちだった。
「シン! シールドが持たない! エネルギー残量、15パーセント!」
アキトの絶望的な声が響く。
万事休すかと思われたその時。シンはKMSの戦術ディスプレイに表示される敵の動きの中に、ある一点の奇妙な規則性を見出した。群れの中心からわずかに離れた位置にいる一体だけが直接攻撃に参加せず、まるで全体を指揮しているかのように常に他の個体と微弱な信号を交わしている。
「……指揮官機か!」
シンは直感した。「リラ! あの個体の信号パターンを解析しろ! ザイン隊長、ガンナー! 全火力をあの機体に集中させろ! アキト、残りのエネルギーを全て主砲に回せ!」
シンの決断は一瞬だった。
「無茶だ! エネルギーがゼロになるぞ!」
アキトが叫ぶがシンは構わない。
「やるしかないんだ!」
ザインはシンの意図を汲み、車両を急旋回させて主砲の射線を確保する。ガンナーも照準を指揮官機へと合わせた。
「リラ!」
「パターン解析、完了! 防御フィールドの脆弱な周波数を特定したわ!」
リラの指がキーを叩くと同時に車両の主砲が咆哮を上げた。アキトが注ぎ込んだ全エネルギーが一条のまばゆい光となって指揮官機へと吸い込まれていく。リラが特定した周波数で変調されたエネルギーは敵の防御フィールドをいともたやすく貫通し、その機体の中枢を焼き尽くした。
赤い単眼センサーの光が消え指揮官機が動きを止めた瞬間、あれほど統率の取れていた機械生命体たちの動きがぴたりと止まった。そしてまるで統率者を失った蟻の群れのように混乱し、四方八方へと散っていく。
「……やった……のか?」
ケンが信じられないといった様子で呟いた。
車内は安堵とエネルギーを使い果たしたことによる深い沈黙に包まれた。彼らは辛くも生き延びたが、車両は満身創痍で動く力もほとんど残っていなかった。
だが彼らの目の前には砂塵の向こうにそびえ立つ、巨大な建造物のシルエットがあった。かつて人類が築き上げた文明の墓標、都市遺跡が彼らを待っていた。
探査隊は最後の力を振り絞って車両を遺跡の影まで進めると、そこでついに沈黙した。彼らは徒歩で数百年ぶりに人類の遺跡へと足を踏み入れることになった。
風化した高層ビル群はまるで巨人の墓石のように天を突き、崩れ落ちた高速道路が巨大な蛇のように横たわっている。壁に残る無数の弾痕や黒く焼け焦げた跡が、ここで繰り広げられたであろう最終戦争の激しさを物語っていた。
「これが……『アルファの記憶』で見た光景の……真実の姿か」
アキトはその光景に立ち尽くし、技術者として、そして一人の人間として深い無力感に襲われた。
彼らは遺跡の内部を慎重に探索した。そしてケンが偶然、崩れた壁の奥に隠された部屋を発見した。そこはかつての軍の司令室だった。部屋の中央には巨大なホログラフィック・テーブルがあり、その上には奇跡的に機能するデータ端末が残されていた。
アキトとリラが震える手で端末のデータ復旧を試みる。そして数時間にわたる作業の末、彼らはこの星の、そして人類の最後の日の記録を目の当たりにすることになった。
ホログラムに映し出されたのは平和で活気に満ちた都市の姿だった。しかし映像はすぐに断片的になり、資源を巡る国家間の対立を報じるニュース、プロパガンダ放送、そして市民のデモへと変わっていく。やがて街に響き渡るサイレン、軍隊の出動、そして空を切り裂く閃光。ビルが一瞬で塵と化し、人々が悲鳴を上げて逃げ惑う地獄絵図。
それはアンダーランドでエタが見せた「アルファの記憶」が、紛れもない事実であったことを証明していた。
『……我々は過ちを犯した。この争いに勝者はいない。残されるのは死んだ星だけだ……未来の者たちよ、我々の轍を踏むな……』
特にシンの胸に突き刺さったのは、記録の最後にあった「共同体内部での資源を巡る対立が激化」という言葉だった。それは今まさにアンダーランドで起きているゾルグ派との対立そのものではないか。歴史は繰り返すのか。いや、自分たちの代で断ち切らねばならない。シンはホログラムの光の中で固く拳を握りしめた。
シンはホログラムの光に照らされた仲間たちの顔を見回した。誰もが父祖の愚かな歴史を目の当たりにし、言葉を失っていた。
「帰ろう、アンダーランドへ」
シンは静かに、しかし力強く言った。
「そしてこの真実を……ゾルグに、いや、アンダーランドの全ての人に示すんだ。俺たちはもう同じ過ちを繰り返すわけにはいかない」
彼の瞳には絶望を乗り越えた、新たな決意の光が燃えていた。彼らの旅は単なる地表探査から、人類の歴史そのものを乗り越えるための聖なる戦いへとその意味を変えたのだった。




