第8話:決意の旅立ち
アンダーランドが緩やかな死へと向かう中、シンはもはや議論の無意味さを痛感していた。長老たちの合意を待っていては全てが手遅れになる。自らの手で未来を掴むための、最後のそして危険な賭けに出ることを決意した。
その夜、シンはKMSの中央管理局、アウロラのコアに隣接する古い観測室に信頼できる仲間たちを密かに集めた。そこにいたのはリラ、父であるアキト、秩序維持隊長のザイン、そしてザインが信頼している部下ケン。最後に、この計画の全てを静かに見守り承認を与えるためにエタもまた姿を現していた。
「状況は、皆が知る通りだ」
シンはKMSのホログラフィックディスプレイに共同体の生命維持可能時間を示す絶望的なグラフを映し出した。
「このままではアンダーランドは近いうちに内部崩壊する。地表へ向かう、それが我々に残された唯一の道だ」
アキトは、息子の決意に満ちた目に反論の言葉を失った。
「しかし、シン…地表は…。それにゾルグ派が黙って見過ごすとは思えん」
「だからこそ、密かに行くのです」
エタが静かに言った。
「ゾルグ派と正面から対立すれば共同体は完全に崩壊する。あなたたちは、アンダーランドの最後の希望として、この地を離れなければならない」
ザイン隊長は腕を組み、深く頷いた。
「了解した。このまま地下で共倒れになるよりは遥かに可能性がある。秩序維持隊が探査隊の安全を確保する。ケン、お前も来い」
「はっ!」ケンは、緊張した面持ちで敬礼した。
リラはKMSの古い構造データを表示させた。
「KMSの初期設計データに緊急脱出用の隠された通路が存在する可能性が示されているわ。最下層の今は使われていない古い資材置き場の奥よ。そこからならゾルグ派に気づかれずに出られるかもしれない」
作戦は決まった。彼らはアンダーランドの住民が深い眠りについている間にこの地下世界から脱出する。アキトは隠された研究室で開発を進めていた地表探査車両のプロトタイプの最終調整を急いだ。それは高エネルギー生成装置を動力源とし、新型の放射能防護服の素材で装甲が強化された、まさに希望の塊だった。リラは地表の環境データを再解析し、最も安全なルートを計算。ザインとケンは、限られた食料や装備を車両に運び込んだ。
運命の夜。
アキトの工房は静かな緊張に満ちていた。シンはこれから乗り込む地表探査車両の最終チェックを行っている。その背後で妻でありシンの母であるミナは、夫と息子のためにわずかな食料を準備しながら震える声で言った。
「あなた……。シン……。本当に、行かなければならないの…? 外の世界がどれほど危険か、分かっているのでしょう?それにこのアンダーランドだって、ゾルグ派との対立でいつどうなるか…… 」
彼女の瞳には愛する夫と息子を、同時に二つの死地へと送り出す母親の深い苦悩が浮かんでいた 。
「母さん……。だからこそ、行かなければならないんだ。このまま地下にいても待っているのは緩やかな滅びだけだ。エタおばあちゃんが俺たちに未来を託してくれたように、俺も、父さんや母さんが安心して暮らせる未来を、この手で掴みたいんだ」
その言葉を聞き、これまで黙って作業を続けていたアキトが、息子の隣に立った。彼は、妻の肩を優しく抱き寄せると、もう片方の手で、古い工具箱から一つの古びたアナログ式のレンチを取り出した。
「ミナ、聞いてくれ。俺はシンを行かせたくない。父親としてはな。だが、技術者として、そして、未来を夢見た一人の男としてこの子の覚悟を信じたいんだ」
彼は、そのレンチをシンに差し出した。
「シン。これは、俺がまだお前くらいの歳の頃、親父…つまり、お前のじいさんから貰ったもんだ。今の時代じゃ、ただの鉄屑だがな。だが、こいつが俺に、一番大事なことを教えてくれた。どんなに優れたシステムも、最後は人間の『手』と、諦めない『意志』がなければ、ただの箱だということだ。KMSの答えを鵜呑みにするな。自分の頭で考え、自分の手で道を切り拓け」
そして、アキトは息子の目をまっすぐに見つめた。
「……そして、必ず、生きて帰ってこい。お前の母さんのためにもな。それが、お前に託す、俺からの唯一の願いだ」
シンは父の手から、ずしりと重い鉄の感触を受け取った。それは、KMSがもたらしたスマートな知識とは違う、不器用で、しかし温かい、父と祖父の魂、そして、母の祈りが込められた、家族の絆そのもののように感じられた。
「……父さん、母さん。約束する。必ず帰る」
ミナはもう何も言わなかった。ただ、涙をこらえながら、強く頷くと、夫と息子の手を、固く握りしめた。
その後、シンとアキトはミナに見送られKMSの地図が示す最下層、放棄された古い資材置き場の奥へと進んだ。湿った空気とカビの匂いが、彼らの決意を鈍らせるかのようにまとわりつく。その最奥に、データが示していた通り、分厚い金属製の頑丈なハッチがまるで古代の遺跡のように静かに存在していた。
「シン、いつでも出発できるぞ」
アキトは額の汗を拭いながら言った。彼の顔には、息子を危険な旅へと送り出す父親としての苦悩と未来を託す者としての誇りが浮かんでいた。
シンは父の肩を力強く叩いた。
「父さん、ありがとう。」
エタは旅立つシンに最後の言葉を贈った。
「シン。あなたはアウロラの真の『子供』だ。人類の未来はあなたにかかっている。」
シンとリラがKMSの端末を操作しハッチのロックを解除する。重々しい軋む音を立てて、悠久の時を経て未知へと続く扉がゆっくりと開いた。その先には、どこまでも続く、冷たい暗闇が広がっていた。
「行くぞ」
ザイン隊長が低い声で告げ、シンたちは一人、また一人と、ハッチの向こう側へと足を踏み入れた。
最後にシンが暗闇へと消えると、重厚なハッチは、再び固く閉ざされた。
それは、アンダーランドの歴史における一つの時代の終焉。
そして、人類が自らの手で未来を掴むための、孤独で、しかし希望に満ちた真の旅立ちの始まりだった。
旅立ちの始まりだった。




