第7話:迫りくる現実
アウロラの「遺言」を巡る長老議会での激しい議論は、結論の出ないまま共同体の時をいたずらに食い潰していった。しかし、彼らが形而上の対立に明け暮れる間にも物理的な世界の崩壊は誰にも止められない速度で進行していた。迫りくる現実は人々の生活を容赦なく蝕み始めていた。
まず、共同体の生命線である電力供給が断末魔の喘ぎを上げた。KMSの電力調整モジュールが完全に沈黙したことで電力網は過負荷に耐えきれず一部の区画で頻発していた停電は、やがてアンダーランド全域を覆う長い暗闇へと変わった。煌々と輝いていた水耕栽培プラントの光は消え、通路は人々が持ち寄ったロウソクや簡易的なランプの頼りない光だけが揺らめいていた。
「また停電か!これでは仕事が進まない!」
食料生産施設では自動化されていた栽培装置が次々と停止し、収穫量は激減した。食料管理者のカイは日に日に減っていく貯蔵庫のペーストブロックを前に苦渋の決断を下す。配給量は生存に必要な最低限のレベルにまで削減された。人々は配給所に長い列を作りわずかな量の変化にも敏感に反応し不満の声を荒らげた。
水質管理のベテランであるシズクも、もはや限界だった。浄化システムが機能しない今、彼女と数人の部下による手作業でのフィルタリングでは共同体全体の需要を満たすことなど不可能だった。配給される水は濁りを増し人々はその不快な味に顔をしかめた。
そして、この複合的なシステムの崩壊は最も弱い者たちを直接的に襲った。医務室はもはや野戦病院の様相を呈していた。水質の悪化と栄養不足、広がる絶望によるストレス。それらが引き起こす原因不明の発疹や下痢を訴える患者が、後を絶たなかった。医療班のアオイはKMSの補助なしに限られた医薬品で人々を救おうと奮闘したが、その疲労は限界に達していた。
この混乱は人々の心をも蝕んでいった。秩序維持隊長のザインは日増しに増える窃盗や小競り合いの報告に頭を抱えていた。アウロラという絶対的な秩序が失われた今、人々の心の奥底に眠っていた利己主義と、生存への原始的な欲求が牙を剥き始めていたのだ。隊員のケンは食料を巡って殴り合うかつての隣人たちの姿に共同体の平和が幻想であったかのように感じていた。
長老議会は依然として膠着状態にあった。
カザンは祈祷に時間を費やし現実から目を背けていた。
ゾルグはこの混乱を「KMSの呪縛からの解放」と喧伝し、自身の支持者たちを率いて資源の私物化を進め新たな支配体制を築こうと画策していた。
KMSの中央管理局。シンとリラは、ディスプレイに表示される絶望的なデータを見つめていた。アンダーランドの生命維持可能時間を示すグラフが、刻一刻とゼロへと近づいていく。
「このままでは、共同体は内部から崩壊してしまうわ…」
リラが、やつれた顔で絶望的な声を上げた。
シンは議事堂の隅で静かに全てを見つめているエタに視線を向けた。彼女の瞳にはかつての希望の光と共に深い憂慮が宿っていた。
もう、長老たちの合意を待っている時間はない。この地下世界に留まるという選択肢は緩やかな死を意味するだけだ。
シンは固く拳を握りしめた。彼の心は、定まっていた。
自らの手でこの危機を乗り越えるための道を探し出さなければならない。アウロラが最後に示した、「地表」という未知の荒野へ。アンダーランドは文明の存続をかけた戦いの淵に立たされていた。




