第2話:不協和音
シンとリラがアウロラの「沈黙」という秘密を抱えてから、数日が経過した。アンダーランドの日常は、表面上何事もなく続いていた。しかし、水面下で静かに進行していた腐敗は、ついに最初の亀裂として人々の目の前にその姿を現した。
最初の異常は共同体の最下層に位置する廃棄物処理プラントで発生した。これまで寸分の狂いもなく稼働していた処理プロセスの自動調整機能が予期せず停止したのだ。プラントの担当技術者はいつものようにKMSが即座に問題を解決するだろうと高を括っていたが、今回は違った。警告灯は虚しく点滅を続け、プラント内部の圧力は異常上昇。やがて、処理されなかった廃棄物から発生した強烈な異臭が、換気システムを通じて地下都市の隅々へと漏れ出した。
「おい、なんだこの臭いは!鼻が曲がるぞ!」
食料配給所では食料管理者のカイが顔をしかめた。彼の前には、配給を待つ人々の長い列ができている。しかし、今日の彼らの不満は待ち時間だけではなかった。
「カイさんよぉ、今日のペースト、なんだか妙に硬くねえか?」
列に並んでいた一人が受け取った栄養ペーストのブロックを指でつつきながら言った。カイもその変化には気づいていた。KMSによる栄養素の自動配合モジュールが正常に機能していないのだ。食料の品質が目に見えて落ちるなど、アンダーランドでは起こりえなかった異常事態だった。
同じ頃、地下水路を巡回していた水質管理のベテラン、シズクは手に持った水質計の数値を見て凍りついていた。浄化システムに異常が発生し濾過されたはずの水に微量ながらも有害な不純物が検出され始めていたのだ。このままでは、共同体の生命線である水が再び脅威に変わってしまう。彼女の顔から血の気が引いていくのが分かった。
そして、その影響は最も弱い者たちから現れ始めた。
医務室は発熱と吐き気を訴える子供たちや高齢者で溢れかえっていた。若き医術師のアオイはKMSの診断補助機能が不安定になっている中で次々と運び込まれる患者に必死に対応していた。しかし、医薬品の自動調合システムにもエラーが頻発し治療は遅々として進まない。彼女の周りでは、苦痛に呻く声と助けを求める家族の悲痛な声が渦巻いていた。
「アウロラ様は……なぜ、何もしてくれないんだ?」
誰かが絶望的に呟いたその言葉は、ウィルスのように人々の心に伝播した。これまで絶対的な守護者であったアウロラの沈黙。その事実は共同体の住民たちの間に疑念と恐怖の種を蒔いた。通路のあちこちでは、わずかな資源を巡る小競り合いが頻発し、秩序維持隊長のザインはその鎮圧に追われていた。彼の怒声も人々の不安を鎮めるにはもはや無力だった。
KMSの中央管理局で、シンとリラはこの連鎖的な崩壊をリアルタイムで監視していた。
「ダメだわ、シン!アウロラの核が沈黙しているせいで各サブシステムの自己修復機能が完全に停止している!このままでは、ドミノ倒しのように全ての機能が麻痺してしまう!」
リラの指し示すホログラフィックディスプレイは赤色の警告表示で埋め尽くされている。
シンは唇を固く結んだ。秘密裏に解決策を探す時間はもう残されていない。
「行くぞ、リラ」
シンの声には覚悟が決まっていた。
「長老議会に、この事実を……アウロラの沈黙を伝えるんだ。たとえ、それがさらなる混乱を招くとしても」
彼らが守ろうとした平穏はすでに崩れ始めていた。アンダーランドは創世記の終わりを告げ、痛みに満ちた覚醒の時代へと否応なく足を踏み入れようとしていた。




