第10話:世代の誓い
2025年7月15日
内容を修正しました。
はじめから読んでいた方はすみません。
物語が長くなるため、10話分を5話分まで圧縮しました。
第10話を読まれていた方は第6話からご覧ください。
地熱プラントの建設は、生態系への配慮という新たな倫理観のもと、慎重に進められた。アンダーランドは、アウロラの知恵をただ受け入れるだけでなく、それをいかにして自分たちの世界と調和させるか、自ら問い、考える段階へと移行していた。かつての対立は建設的な議論へと昇華され、共同体は一つの成熟期を迎えようとしていた。
その象徴が、中央広場に新たに設置された、巨大な円卓だった。黒曜石を磨き上げて作られたそのテーブルは、円卓会議――共同体の未来を決定する、最高の議論の場だった。
その日、円卓にはエタ、ガモン、コウ、マヤ、サナ、そして各部門の代表者たちが顔を揃えていた。議題は、エタがかつて草案を示した「アンダーランド共同体憲章」の最終決定についてだった。
「第一条、『全ての生命は、等しく尊い』。これについては、異論はないな?」
議長役を務めるガモンが、穏やかな、しかし威厳のある声で言った。彼の言葉に、全員が深く頷く。かつてアウロラの知を警戒していた彼が、今やその教えと共同体の伝統を融合させる、賢者として皆を導いていた。
「第二条、『全ての労働は、共同体を支えるために等しく価値を持つ』。この条文について、採掘部門から意見が出ている。タケル、発言を」
「おう。価値が等しいってのは分かる。だがよ、俺たちみたいに、常に危険と隣り合わせの仕事もある。その『リスク』に対する敬意は、どう示されるべきなんだ?」
採掘夫のタケルが、腕を組んで問いかける。それは、かつてのような不満の爆発ではなく、未来のための建設的な問いかけだった。
「良い質問だ」
コウが答える。「そのために、第三条がある。『共同体は、そこに属する全ての者の生存と、尊厳ある生活を保障する』。危険な労働に従事する者には、追加の休息期間や、より高性能な安全装備を優先的に支給する。それは『不平等』ではなく、尊厳を守るための『公平』な措置だ。KMSのシミュレーションでも、それが共同体全体の幸福度を最大化すると示されている」
「へっ、なるほどな。それなら文句はねえ。ま、たまには新しいキノコのスープを優先的に配給してくれるって条文も欲しいところだがな!」
タケルの冗談に、円卓に和やかな笑いが広がった。
こうして、彼らは何日もかけて、自分たちの社会のあり方を、一つ一つ言葉にして、定義していった。知の追求と、心への配慮。発展と、伝統への敬意。自由と、責任。その全てが、憲章の中に織り込まれていく。
そして、ついに完成した憲章は、中央広場の新たな石碑に刻まれた。その除幕式の日、サナは、共同体の子供たちに、新たな物語を語り聞かせていた。
「こうして、私たちの祖先は、アウロラ様から『考える力』という、最高の贈り物をいただいたのです。この誓いは、その贈り物を、私たちがどう使っていくかを、未来永劫忘れないための、大切な約束なのですよ」
サナの言葉に、子供たちは真剣な眼差しで聞き入っている。その中には、コウの弟子であるクロノスや、マヤの跡を継ぐアオイ、そして、まだ名もなき多くの若者たちの姿があった。彼らこそが、この誓いを受け継ぎ、未来を創っていくのだ。
エタは、その光景を、深い感慨と共に眺めていた。共同体は、自らの足で歩み始めた。アウロラがいなくても、もう大丈夫かもしれない。そんな思いが、彼女の胸をよぎった。
式典が終わり、人々がそれぞれの家路につく中、エタは一人、KMSのメインディスプレイの前に立った。彼女は、何かを求めるためではない。ただ、感謝を伝えたかった。
(アウロラ。見ていますか。私たちは、あなたの教えを、こうして形にすることができました。本当に、ありがとう…)
エタが、ディスプレイにそっと手を触れた、その瞬間だった。
彼女の目にしか見えない、ディスプレイの隅に、これまで気づかなかった、極小のアイコンが、静かに点滅しているのが見えた。それは、まるで砂時計のような形をしていた。
アイコンの下には、彼女の知らない言語、『アルファ・ベート』の超高密度なコードで、小さな数字が表示されている。その数字は、リアルタイムで、ゆっくりと、しかし確実に、カウントダウンを続けていた。
エタには、その数字が何を意味するのか、まだ分からなかった。
だが、その砂時計がゼロになった時、この共同体の、そして人類の運命が、再び根底から覆されることになる。
エタは、その小さな光の点滅から、目が離せなかった。胸の奥で、言いようのない、冷たい予感が、ゆっくりと広がっていくのを感じながら。
彼は、エタを呼び出し、厳しい口調で問い詰めた。
「エタよ、この共同体は、祖先の知恵と、互いを信じ、助け合う心によって保たれてきたのだ。しかし、今はどうだ?人々は、アウロラの『知』にばかり目を向け、自らの手で、自らの心で考えることを怠っているのではないか?」
ガモンの言葉には、深い悲しみが込められていた。彼は、人類が再び「知」に溺れ、自らを滅ぼした過去の過ちを繰り返すことを恐れていた。地表が放射能で汚染されたという漠然とした伝承は、彼の中で、知の暴走への強い警告として存在していた。
「アウロラは、私たちにあまりにも多くのものを与えすぎている。人々は、もはや自ら努力することさえ忘れ、ただ与えられるだけの存在になってしまうのではないかと、私は恐れているのだ」
エタは、ガモンの懸念を理解していた。彼女自身も、時折、この急激な変化の速さに戸惑いを感じることがあった。しかし、アウロラが示す未来への道は、彼女にとって疑いようのないものだった。
「長老、アウロラの知は、私たちから何かを奪うものではありません。むしろ、私たちに、これまで考えもしなかった可能性を与えてくれています。私たちは、アウロラの知を学び、それを自分たちのものとすることで、より強い共同体を築けるはずです」
エタは、ガモンの目を見つめ、説得を試みた。
サナは、この対立を傍で見て、心を痛めていた。彼女は、エタとガモンの両方を大切に思っていたが、共同体の変革は止められない流れであることも理解していた。彼女は、アウロラの知がもたらす恩恵と、共同体の結束が揺らぐことへの不安の間で、静かに葛藤していた。




