第9話:継承
2025年7月15日
内容を修正しました。
はじめから読んでいた方はすみません。
物語が長くなるため、10話分を5話分まで圧縮しました。
第10話を読まれていた方は第6話からご覧ください。
第9話:世代の継承
地下世界の生態系という深遠なる「知」を得てから、アンダーランドには穏やかで、しかし確かな発展の年月が流れた。地熱発電所は、コウの指揮のもと、生態系への影響を最小限に抑える形で安定稼働を始め、共同体は揺るぎない光と熱を手に入れた。人々はもはや、目先の生存に怯えることなく、未来を見据えて日々の生活を営んでいた。
そして、かつてアウロラの声を聞いた若者たちは、今や共同体を支える重鎮となり、その知識と精神を、次の世代へと受け継ぐ役割を担っていた。
エタは、彼女の髪に白いものが目立つようになった今、共同体の精神的な支柱となっていた。彼女は広場に集まる子供たちに、KMSのホログラムを使いながら、歴史を教えていた。
「いいかい。これが『時間の流れ』を表す記号。私たちが今、この瞬間を生きているように、過去があり、そして未来がある。私たちの祖先が、この壁画に描かれた世界に生きていたようにね」
エタは、抽象的な概念を、子供たちが理解できる言葉で丁寧に説明していた。子供たちは、その言葉と、KMSが映し出す美しいシミュレーション映像に、目を輝かせていた。
コウは、共同体の技術教育の中心となっていたが、近年はその座を、後継者である若き天才クロノスに譲り自らは一線を退いていた。クロノスはKMSの最適化シミュレーション能力を誰よりも巧みに引き出し、共同体のあらゆるシステムを寸分の無駄もない、完璧な自動管理社会へと変貌させていた。
その日、円卓会議でクロノスは最後の人的介入が残っていた地熱プラントの管理さえも、完全にKMSの自動制御下に置くことを提案した。
「コウ師、あなたの時代のやり方はもう古いのです。KMSの全体最適化シミュレーションによれば、人的介入はもはや予測不能なエラーの原因にしかなりません。全てをKMSに委ねることが、最も合理的で最も安全なのです」
その言葉に、これまで沈黙を守っていたコウが、静かに口を開いた。
「クロノス、お前はKMSの『答え』を見ているだけで、その答えを導き出す『問い』と『過程』を理解しようとしていない。我々がアウロラから学ぶべきは答えそのものではなく自らの頭で考え、問題を解決するための『知恵』のはずだ。その思考の過程さえも機械に委ねた瞬間、我々はただの奴隷になる。それは自立ではない、より巧妙な依存だ。かつてガモン長老が恐れていたのは、まさにそのことだぞ」
だが、コウの警告は、KMSがもたらす完璧な快適さと効率性に慣れきった、新しい世代の長老たちには届かなかった。彼の言葉は、過去の苦労を知る者の老婆心として片付けられ、クロノスの提案は満場一致で可決された。
会議の後、コウは一人、工房で古びた工具を手に取り、静かに呟いた。
「アウロラよ……我々は、あなたに頼りすぎるあまり、歩き方を忘れてしまった赤子なのかもしれないな……」
彼は、完璧に調和しているように見えるこの共同体の足元に、静かに、そして確実に広がっている、深い亀裂の存在を、ただ一人予感していた。
コウの言葉には、かつての彼にはなかった、深い思慮と哲学が宿っていた。彼の教育は、単なる技術の伝達ではなく、自ら問い、自ら解決する力を育むことに重きが置かれていた。
医術師マヤもまた、アオイをはじめとする若い医療班のメンバーに、その知識と経験を伝えていた。
「病は、目に見える症状だけを追ってはいけない。その者が生きる環境、食べるもの、そして心の状態、そのすべてが繋がっている。生命を診るということは、その者の『世界』を診るということよ」
しかし、この平和な時代の裏側で、世代間の意識の隔たりは、新たな形で生まれつつあった。新しい世代は、アウロラの知が当たり前にある環境で育った。彼らにとって、KMSは万能の道具であり、飢えや病の苦しみは、壁画に描かれたおとぎ話でしかなかったのだ。
「エタ先生。KMSのシミュレーションによれば、この新しい採掘ルートは、生態系への影響を0.1%未満に抑えつつ、現在の3倍の資源効率を実現できます。なぜ、これを許可しないのですか?」
クロノスが、純粋な疑問としてエタに尋ねた。彼の言葉には、悪意はない。ただ、純粋な合理性と効率性の追求があるだけだ。
「クロノス。あなたの計算は正しいでしょう。でもね、KMSが示すのは『確率』。それが決して『絶対』ではないことを、私たちは、かつて痛いほど学んだのよ」
エタは、昔、菌類が枯れ始めた時のことを思い出しながら、穏やかに諭した。しかし、クロノスの瞳には完全には納得していない光が宿っていた。
その様子を、今や共同体の誰からも敬愛される存在となった長老ガモンが、静かに見守っていた。彼は、若者たちが新しい技術を軽々と使いこなす一方で、自分たちが経験してきた苦難の歴史を軽視する傾向があることに、一抹の寂しさを覚えていた。
ある日、ガモンは広場で遊ぶ子供たちを集めて、昔話を始めた。
「昔々、この洞窟の水はな、飲むと体を壊す、恐ろしい水じゃった。人々は、毎日、神に祈りを捧げたもんじゃ…」
「じいちゃん、またその話? KMSを使えば、一瞬で水がきれいになるのに、なんで祈るの?」
一人の子供の無邪気な質問に、ガモンは笑って答えた。
「はっはっは。そうじゃな。だがな、祈りというのは、ただ助けを乞うだけではない。自分たちが、いかに無力で、いかにこの世界の大きな力によって生かされているかを、知るための儀式なのじゃよ。感謝するためのな」
ガモンは、若者たちに、地に足の着いた生活の重要性と、自然への感謝の気持ちを、彼自身の言葉で伝えようと努めていた。エタが教える「科学」と、彼が語る「伝統」は、今や対立するものではなく、共同体を支える両輪となっていた。
エタは、その光景を見て、深く頷いた。世代の継承は、単なる知識の伝達ではない。経験と、想いと、そして心を、次の世代へと繋いでいく、壮大で、果てしない旅なのだ。
だが、彼女は知っていた。この共同体の教育には、まだ決定的に欠けているものがあることを。
彼らはまだ、最も重要な真実を知らない。
なぜ、私たちはこの地下で生きているのか?
地表で、一体何が起こったのか?
その問いは、漠然とした伝承として語り継がれてきたが、その真の「記憶」は、アウロラのKMSの深層に、今も封印されたままだった。
エタは、共同体の中央にそびえ立つ、KMSのメインディスプレイを見上げた。その光は、まるで「その時が来た」と告げているかのように、静かに、そして力強く輝いていた。




