004
バイトも終わり、カフェからの帰り道。 通り沿いに設置された時計は午後7時半をさしている。
今日はいつもより一時間以上早い。何故かオーナーに早めに帰るよう言われたから。
いつもならお風呂上がりにホットミルクとか出してくれて、オーナーはビールを飲みながら雑談したりするのに。
まるで追い出されるかのように帰されたんだけど、十中八九原因はこれだろうなぁ…。
電信柱の影、街灯の明かりの下、よその家の玄関先、あちこちに毛玉が転がってる。
普段こんなに見ることはないんだけど、なんなのだろう?
いつもだと、見たとしても精々一つ二つくらいなのに。
「瑠璃、早めに帰ろう。今日は危ないからね」
「…わかった」
いつになく真剣な毛玉の声に逆らう気にもなれず、ボロアパートへ向かう。
薄暗い道を足早に駆け抜けてアパートの敷地に入り、二階の自分の部屋へ行くため、錆びた外階段を登る。
カンカンカン…という足音が普段よりやけに響く気がして、それすら薄ら怖い…。
手すりから身を乗り出して下を覗くとそこかしこに毛玉が。
全身にゾワッと寒気がして、急いで部屋に駆け込んで後ろ手で鍵をかける。
こんなボロいアパートのドアについている鍵に意味があるのか?って思うけど、無いよりは…。
屋根壁があるだけで安心感が違うってこういう時ほど実感する。
「ふぅ…。せっかくお風呂借りたのに嫌な汗かいた…」
制服を脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替えてから洗濯物を洗濯機に放り込んでスイッチオン。
ただでさえ狭い洗面所が洗濯機を置いたせいで激狭だけど、こればっかりは…。
しかもこの洗濯機もキッチンにある冷蔵庫とかの家電もオーナーのおかげで手に入れたんだから。
前にカフェでバイトをしていた人が、学校の卒業とともに一人暮らしをしていた部屋を引き払った。そのときに使っていた家電を一時的にオーナーのところに預けてて。また引っ越して必要になるかもしれないから、と。
だけど、就職の決まった会社が実家から近い場所にあり、今は実家から仕事に行っているそうで、要らなくなった。
でも、捨てるにもお金がかかるし、引き取り手がいるのならあげちゃっていいと言ってくれたそう。
おかげで、冷蔵庫に洗濯機、炊飯器やシックなテーブル、レンジに掃除機といった必要だけど買うととても高いものが一通り揃ってしまった…。
いつか会えたらしっかりとお礼を言わなきゃ。本当に助かったから。
家電ってめちゃくちゃ高いんだよね…。みんなが使うものなんだからもっとお手軽な物だと勝手に思いこんでいた私は、オーナーに教えられたカフェ近くにある街の電気屋さんに初めて入り、値段を見て目の前が真っ暗になった。
思っていたよりゼロが二個も三個も多いんだもの。私が貰っている生活費で買えるわけがない。
両親が私を疎ましく思っているのは理解しているつもりだったけど、まだまだ甘かったと思い知らされた。
そんなわけで電気屋さんから戻った私の落ち込みっぷりを見て、オーナーが前のバイトの人に確認してくれて貰えたわけだ。家電を私の部屋に運ぶ手配もしてくれたから感謝してる。
何か恩返しできたらいいけど…。今は何も思いつかないし、難しいかな。
オーナーのことを考えてたらスマホの事を思い出してカバンから取り出し、連絡がないか確認。
メッセージが一件。”無事に家についたら連絡するように”ってオーナーから。…心配性だなぁ。
“無事につきました“っと…送信。
他には特になし。
昨日までは結構な頻度で元カレからメッセージとか来てたっけ…。それもぱったりなくなってる。当たり前か。未練がましくされるよりはましだね…。
このスマホも私が家に電話どころかスマホも持ってないって言ったら、オーナーがくれたんだよね…。
料金はバイト代から天引きしておくからと。“今時のJKがスマホの一つも持ってないと困るだろう”とか言ってさ。
「…ほんと優しいんだから」
実際は天引きされている様子もないから、確認したらはぐらかされたし。
アドレスから元カレの連絡先を消し、メッセージのやり取りや通話記録も消去。
早く忘れよう…。
私の記憶もこうやって消してしまえたら楽なのに。
布団を敷いて倒れ込んだらまた気分が沈んできちゃう…これだから一人は嫌なんだ。
私だって本当は試したりなんてしたくなかった…。でもやっぱり怖いんだよ…。
もし後からそういうものが見えるって知られたら、うちの家族みたいな態度をされるんじゃないか?って…。
だから親密になる前に聞く。お互いにまだ傷が浅く済むうちに…。
本当に傷が浅いかは別として。
「瑠璃…」
「なに?毛玉」
「僕は毛玉なんて名前じゃないよ」
「じゃあ何…?」
「瑠璃は知ってるはずでしょ?」
「……知らない」
そう、私は毛玉の名前なんて知らない。
カフェで働くようになって存在は認めたし、おかげでこうやって会話くらいはできるようになったけど、まだ根本的な抵抗感までが完全になくなる程、簡単な話ではないもの。
だからって別に意地悪をしているわけではなく、この子に関する記憶が封をされているというか、すっぽり抜け落ちてる感じ…。
布団に潜り込んで目を閉じる。
こうなったきっかけは何だったっけ…。
ああ…始まりはアレか。
数年前…
私がまだ小学生だった頃。
両親に連れられて、とあるレストランに入った。
予約してあった大きなテーブル席に座って、ハンバーグを頼んだのを覚えてる。
あの頃はまだ両親も優しくて…。ううん、あの日まで。だね。私の7才の誕生日だった、あの日。
ハンバーグが届くのを待っていたら、突然ものすごい寒気で冷や汗が止まらなくなって。
心配した両親に声をかけられても震えが止まらなかったのだけど、父親が空調の風が当たりすぎてるんじゃないか?と言って母親の隣から父親の隣に移動。
席を移動したら寒気も冷や汗も止まり、それを両親に話したら怪訝そうな顔をしながらも安心した様子だった。
でも、さっきまで私の座っていた場所に男の人が座ってて。
「お母様の隣に男の人がいるよ。だれ?」
私がそう言った途端、両親の顔は険しいものに変わり、そのまま食事もせず料金だけ支払って店を出た。
「お母様、あの人誰だったの?置いてきてよかったの?」
帰りの車の中でそう聞いた。
「…お黙りなさい瑠璃。誰もいなかったでしょう?」
「ううん。いたよ。スーツを着た男の人が…」
そこまで言った所で母親にぶたれた。
意味がわからなかった。それまで両親にぶたれたことなんて無かったから…。
今でも覚えてる、あの時の頬の痛みと母親の顔を。ものすごい顔で睨み付けられていたから。
それからかな。私がなにか言うたびに怒られたり、ぶたれたり…。
しばらくして私が見えているものが他の人には見えてないんだと気がついてからは、話すのをやめた。
学校でも家でも…。
仲の良かった友達は何人かいたし、その子達は表向きは変わらず接してくれていたけど、裏で何を言われているかを知ってからは私が耐えられなくて距離をおいた。
そんな時、いつも傍にいて話し相手や遊び相手になっててくれたのは……。
思い…出せない…。名前も姿も…。
ああ、そっか…。
私があの子と遊んでいたところを両親に見られて、めちゃくちゃに叱られ、真っ暗な蔵にまる一日以上閉じ込められたんだ。泣いても叫んでも、どれだけ謝っても出してくれなくて…。
最終的に、母方の家からついてきていたというメイドの一人が扉を開けてくれなかったらどうなっていたか。
それから私はあの子とも遊ばなくなった。
声をかけられても無視して、見えないふりをして。
親の命令で中学受験をして入った学校では、そういったものをずっと隠して過ごした。
おかげで普通に友達もできたし、どこにでもいる中学生としてすごしてた……筈だった。
それでも両親には私が異常に見えていたらしい。その結果が今の私の置かれている現状な訳で。
四つ上の姉も、私とは一切話してくれないし、顔を合わせたら睨まれて…うっかり近寄ろうものなら怒鳴られたっけ。
一度なんて突き飛ばされてガラス窓にぶつかり、割れたガラスで額を切って、四針程縫うケガをした。それでも心配なんてしてくれなくて…。
メイドの一人が病院に連れて行ってくれたっけ。嫌々だったけど、母親の命令では逆らえないもんね。
流石に血だらけの子供を放置するのは躊躇われたらしい。世間体を気にしただけだろうけど。
病院でもメイドは、私が一人でコケてガラスに突っ込んだと説明したし、先生も疑いもしなかった。
というより反論なんてできないんだろう。うちの親が誰だか知ってるから。
痕が残らなかったのだけは幸いだったかな。手当してくれた先生はいい腕だったんだろうね。
例の母方の家から来ていたメイドだけは、私の怪我を知ってから、夜中に突然来て包帯を替えたりと世話をしてくれたっけ。必要以上の会話はしないし、ものすごく冷たかったけど、唯一使用人で世話をしてくれた。
ソレも親の命令だっただけかもしれないけど、私には知る由もない…。
家族で唯一、歳の離れた兄だけは優しかったけど、遠くの学校に行ってしまってからはほとんど家にはいなかったし、その兄も今は海外だ。
こちらからは連絡方法もないし、あちらも私の状況を知らないだろう。もし海外から帰ってきたとしても、私は自分の意思で家を出ていったと伝えられるだけだと思う。
「兄様、元気かな…」
海外の電話番号ってどうにか調べたりできないのかな?枕元のスマホを取ろうとして布団から顔を出したら違和感に気がついた。
「なんの音…?」
祭り囃子のような、でもそんな楽しげではなく、どこか不気味な音楽が聞こえるような…。
布団に潜って嫌な事を思い出してたからか、気がつかなかった。
近くでお祭りでもしてるのかってくらい騒がしい。こんな真夜中に…?
「瑠璃、カーテンをそっと開けてみてご覧」
枕元にいた毛玉に言われて、この部屋唯一の窓へ向かい、少しカーテンを開く。
アパートの窓からでも見える大通り。ぼんやりとした炎みたいな灯りに照らされ、意味のわからないものが見えた。
「何あれ…毛玉が祭りでもしてるの? お神輿みたいなの担いでるけど…」
「瑠璃にはそうとしか見えないか…。あれは百鬼夜行だよ」
「ああ、妖怪が練り歩くやつね…」
「否定するくせに知識だけはあるよね」
「…うるさい」
仕方ないじゃない。私が見えているものは何なのか…気になって調べたんだから。
学校や、市の図書館へ行けば幾らでもそういう本はあったからね。
お伽話みたいなのから妖怪の伝承、幽霊や怪談まで…。おかげで怪談は嫌いになったけど! あんなの怖すぎる。
しばらく毛玉達の行進を眺めてたけど、色やサイズは違ってもどれもこれも毛玉だし、つまらなくなってきて…もう寝ようかと思ったら、一際大きな毛玉が! 家よりでかくない?
「何あのサイズ…」
「最後尾だね」
「じゃあもう終わり?」
「うん」
私は何を見せられたのやら。毛玉もふもふ大行進。可愛いかよ…。
でも…寒気はすごかった。とくに最後の大きいのからはやばい雰囲気がガンガンにでてたし。
見た目に騙されたらだめなんだなぁ…。