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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
99/111

用兵自在

 田仲乂は自軍の後方仲乂は自軍の後方から上がった砂塵を見て訝し気な顔をした。

 その砂塵というのが、どう見ても不自然に多いのである。


「ふん、分かりやすい偽兵の計だな。兵士に芝でも持たせて兵数が少ないのを誤魔化しているのであろう。歩兵を三百ほど向かわせればいい」


 田仲乂は後方の伏兵のことを侮っていた。気づかなかった不手際は認めつつも、そう大した数はいないと侮っていたのである。

 慢心のようであるが、田仲乂の考えはあながち間違いとも言えない。大軍を気づかれずに背後に配備するのは困難であるし、それだけの余力があるのであれば小細工を弄さず最初から自軍に組み込むべきである。

 これが山岳戦であれば伏兵は生きるが、遼平のような平野であれば伏兵がその姿を現してからでも対処をする時間は十分にある。三里(約千五百メートル)ほど離れたところには小さな山があり、この伏兵が現れたのもそこなのだが、奄の軍であれば目視してからでも対処が出来る。それは軍の練度もさながら、利幼の左軍と相対してもさほど苦戦しておらず余力があるからだ。

 事実、この伏兵というのはたった五百である。田仲乂が回した三百よりは多いが、それでも前方の利幼軍左軍を相手取りながらでも対処できるはずであった。その五百が――盧武成の率いる夏羿族の兵五百でなければ。

 砂塵を払うように矢風が起きる。矢を楯で防いだ奄軍が目にしたのは、燃えるような赤馬に跨った黒鎧の男が率いる騎兵の軍団だった。


「さあ存分に噛みつけ!! こやつらは生きるに足りぬ分を奪うお前たちと違い、暖衣飽食を貪りながらまだ足りぬと他国に足を伸ばし己の腹をさらに肥やそうという恥知らずどもだ!! 過分についた贅肉を容赦なく食いちぎってやるがいいぞ!!」


 盧武成はそう叫んで兵を鼓舞しつつ、檄を振るって暴れまわる。田仲乂が配備した三百の歩兵などは何の役にも立たず、奄軍は次から次へと蹴散らされていった。

 田仲乂は動揺し、慌てて五百の戦車を向かわせる。それを感じ取った盧武成は馬を止めた。


「よし、後退だ。呀燐(ありん)(りゅう)不漸(ふざん)皓洪(こうこう)は俺と共に殿(しんがり)を務めろ。後の者は暫し允綰(いんわん)の指揮下に入り俺が戻るのを待て!!」


 盧武成の指示を受けると夏羿族の兵は一糸乱れぬ動きで引き返し、盧武成に名を呼ばれた四人だけが残った。


「留、増援に来た車騎の中で一番強い男はどれだ?」

「最前にいる、虎の首の剝製を戦車の頭につけた男です」

「よし、不斬――射抜け」


 留と呼ばれた少年は夏羿族の中でも特に敵の将兵の力量を見抜くのに長けている。そして不斬は、この五百の中でも五本の指に入る弓の名手であった。不斬は先ほどまで手にしていた曲剣を腰の鞘にしまうと弓を取り矢を番える。他の者たちは馬の尻に乗せていた楯で不斬を矢から守った。

 五百の車騎から放たれる矢と交差するように一本の矢が空を流れる。正確無比のその鏃は留が指示した将の首元を確実に貫いた。

 留の見立てに間違いはなかったらしく、その将が倒れたことで奄軍に動揺が走る。その隙に盧武成と率いる四騎は馬を走らせて矢の届かぬところまで後退していた。

 しかも奄軍の内側からは五百の増援を回したことで手薄になった箇所を子狼が的確に見抜いて蒼子流を突撃させたのである。


「はは、武成の奴は大したものですな。初陣が二月ほど前で、あの兵らにしてもこのあいだ従えたばかりだというのに、もう何年も使い慣らした兵であるかのように、手足の如く扱っておりますよ」


 子狼は砂塵と騒音がひしめく戦場の中で盧武成の奮闘を見て感嘆の声をあげた。

 事実、盧武成は応変自在の用兵を行っている。しかしそこには並々ならぬ苦労があった。

 夏羿族を指揮するよう言われた盧武成がまず行ったのは、夏羿族の言葉を少しでも多く覚えることであった。さらには五百の兵すべての顔と名を一致させ、その得手を覚えることである。盧武成は三日三晩、彼らと寝食を共にすることでそれらを頭に叩き込んだのである。

 それまでは大いなる武威を有する畏怖の対象でしかなかった夏羿族にとって、盧武成は敬意をも向ける相手となった。無論、彼らとて愚かではなく、それが自分たちを懐柔するための打算に満ちた行動だと感じ取ってはいたのだが、自分たちよりも圧倒的に強い盧武成が打算ありきといえど自分たちに歩み寄ってくれたということが嬉しかったのである。

 そうでなくとも、厳しい草原や山岳の地に住む彼らは強き者を慕い、恃みとする。その盧武成が自分たちに近しみ、名前を呼んでくれるのだ。これで士気が上がらぬはずがなかった。




 先に退いた者たちは、奄軍の矢の届かぬ位置にいながらその周囲を走り回っている。

 そこへ盧武成ら殿が合流した。しかしすぐに仕掛けることはせず、奄軍の様子を窺っている。これによって、先ほどまで利幼の左軍を囲んでいたはずの奄軍は後背に怯えなければならなくなったのである。


「よし、次はここだ。――続け!!」


 盧武成が一声かけると五百の夏羿族がそれに続く。盧武成の狙ったそこは背後への守りが手薄なところであった。田仲乂は舌打ちをしつつ、自らの近くにいる若い将に命じた。


「死ぬ気で食い止めてこい。食い詰めて死にかけていたところを救ってやった恩をここで返せ!!」


 そう言われて、若い将は頷き、戦車を走らせる。その後に十の戦車が続いた。

 若い将がそこへ着いた時には、盧武成率いる夏羿族は矢の雨を駆け抜けてすでに奄軍の陣中で暴れまわっている。その先頭にいるのは血よりも赤い馬に乗った黒鎧の将である。若い将は御者に命じて戦車を走らせた。


 ――あの騎兵隊の中核はあの将だ。奴を討ち取れば勝てる。


 そう確信したが、しかし近づき、その顔を見るにつれ、先ほどまで血気で赤く染めていた顔をみるみる青ざめさせていった。そして――盧武成の双眸がその若い将を睨む。盧武成は敵意を向けることもせず、わずかに眉をひそめた。


「――西明?」


 そう呼びかけられ、若き将――杏邑の豪商の次子、呉西明は、夏羿族を率いる男が自分の師匠であることに気づいた。

いよいよ明日で100話です。前にも告知しましたが、夜9時からXでスペースやります。よろしければ来てください!! 今のところ、自作の話か古代中国史の話以外に話題はありませんが……

Xアカウント↓

https://x.com/tDvyxBwyfl93723?t=BxNIS13-iVKuNdcJqO1NEQ&s=09


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