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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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遼平の戦い

 かくして、薊国の太子の地位をかけた会戦――練孟公子と利幼公子による“遼平の戦い”が始まったのである。

 戦いが始まると、練孟とと利幼は互いに中軍を突出させた。利幼軍は寡兵であるが戦意は盛んである。それは利幼が薊侯となれば薊国の前途は明るいと心から信じるが故であった。

 一方、練孟の軍もそれに負けるものではない。練孟は将兵に対して勝利を得れば多大なる恩賞を与えると約束しており、そのためには多少の傷などものともしなかった。また、こちらのほうが大軍であるという心の余裕もある。

 練孟の中軍二千五百に対し、利幼の中軍は二千である。序盤は互角の戦いであった。

 利幼直参の兵が三千であり、そのうち二千を中軍にするよう進言したのは劇迴である。練孟は中軍を突出させて挑んでくるだろうからこちらも中軍を厚くしたほうがいいとの考えであり、練孟の気質を知る利幼はその進言を採用した。

 結果として、些か利幼軍が圧されつつも互角の戦いが繰り広げられている。こうなると戦いの帰趨はそれぞれの両翼の軍が左右することとなる。

 練孟は左右の軍に號令を下す。合図の太鼓が戦場に鳴り響くと、左右の軍は中軍を佑けるべく動き始めた。こうなると兵力差が現れる。特に利幼軍の右軍は千しかおらず、それで練孟軍の左軍二千五百を抑え込むことは出来ない。戦局はじわじわと練孟有利に傾きつつあった。

 しかし完全に呑まれることはなかった。

 利幼は戦況が苦しいと見るや、御者に命じて自らの戦車を前線に走らせたのである。そして声を張り上げた。


「私は逃げぬ。微力非才の身であろうとも、せめて艱難だけは諸君らと共にしようぞ。私が死ぬは薊国のためにならぬと思うのであれば、力戦せよ!! 私が死ぬことこそが薊国のためと思わば――私が許す、その命を全うするを一義とせよ!!」


 その叫びに兵士たちは、雲をも引き裂かんばかりの喚声を上げた。そして、壮健なるものは武器を手にする力をいっそう強め、傷を追っている者も痛みを忘れて練孟の軍に吶喊していったのである。この甲斐もあって、劣勢でありながら中軍はそれ以上圧されずに持ちこたえていた。




 一方、戦場の西側では姜子蘭も陣頭にいた。維弓から与えられた白馬――迅馬に跨っており、その横には同じく乗馬した子狼がいる。大陸の人間でありながら馬術を厭わず、むしろその様が似合う二人の客将を岸叔軍からの降兵たる一千は奇異の目で見つめていた。

 姜子蘭の率いる一千というのは、さらに細かく内訳を語るならば三百の戦車隊と七百の歩兵である。

 姜子蘭は千の兵のほうを見つめる。若い将を値踏みするような二千の瞳が姜子蘭を突き刺したが、姜子蘭は物怖じすることなく堂々としていた。


「貴公らにとって私は、弱冠の身であり薊国とゆかりのない余所者でしょう。私の差配を受けることなど面白くない者のほうが多いとは思います」


 それでいて姜子蘭は、いっそ清々しいまでに兵士らが自分に抱いているであろう不満を代弁した。


「なれど今この時だけ、貴公らの前に立つことをお許しいただきた。利幼公子こそがこの国をよりよいものにして、この戦いの後には薊国の民同士で殺しあうようなことなど起こさせはしない。その思いだけは、私も貴公らも同じであると信じております」


 これは姜子蘭自身の言葉であり子狼は何も教えていない。こういう時には小賢しいことを言うよりも赤心を素直に口にしたほうがよいと思っており、姜子蘭の考えうる最大の誠意であった。

 その言葉は千の兵たちに確かに届いた。他国者である姜子蘭であっても薊国のことを思っているのだから、自分たちも奮い立たねばならないと感じ入ったのである。


「まして今、私たちの眼前にいるのは薊国の民ではない。他国の動乱を好機として己の腹を肥やそうとする卑怯者である!! 名臣、夸延籍(こえんせき)が武王より賜り今日の累代に至るまでに築き上げてきた地を、他国の大夫ごときに奪われるのを、貴公らの父祖は善しとされるであろうか!!」

「「「否!! 否!! 否!!」」」


 兵たちは声を一つにして叫ぶ。その気迫は遼平の大地を揺るがし、冬の寒気を引き裂いた。


「ならば我らがやるべきことは一つ!! 田仲乂の軍を打ち倒すべし!! ――いざ、突撃せよ!!」


 姜子蘭の号令に従って左軍は堰を切ったように進軍を開始する。そして今まさに利幼の中軍に襲い掛かろうとしている奄軍三千と衝突したのである。

 三倍の兵差があるが左軍は引かなかった。姜子蘭の檄もあり、最初は左軍が優勢を誇っていた。

 中でも目覚ましい働きを見せたのは蒼子流である。戦車に乗った蒼子流は姜子蘭と並んで先陣を切り、長戈を振り回して敵兵を戦車から振り落としつつ奮戦していた。

 姜子蘭は騎馬の有利を生かしつつ戦車同士の隙間を縫って奄軍の戦車の手綱を切り、左右の兵士を切り伏せていく。無論、戦車にも弓兵がいるのだが、姜子蘭の少し後ろを走る子狼が矢で援護していた。

 しかし数で劣る左軍は段々と不利になってきた。そして、姜子蘭、蒼子流をはじめとして果敢に進撃していたのでやがて奄軍の深くまで進んでしまい、気が付くと囲まれてしまっていたのである。


「子狼どの、そろそろ頃合いでしょう」

「そうですな。では――」


 蒼子流は子狼の馬と並んで戦車を走らせる。子狼も頷き、背負っていた箙から鏑矢を取り出し、高らかに放つ。戦場に似つかわしくない、鳥声のような甲高い音が響き渡ると左軍の兵士たちは攻撃を止めて一か所に集まりだした。

 そして奄軍の中で一塊となって円陣を組む。

 陣の後方からその様子を見ていた田仲乂は嘲笑をこぼした。


「ふん、何を考えているのだ薊国の将は。三千の兵の中で千人程度の軍が守りを固めて何になるというのだ? 奴らに少しでも勝機があるとすれば、決死で駆け抜けて儂を討つことであろうに」


 肥え太った腹にまで届く長いあごひげを撫でながら、田仲乂は退屈そうに全軍に命令を下す。籠の鳥も同然となった利幼の左軍を蹂躙せよ、と。

 しかしその時である。

 利幼軍を囲んでいるはずの奄軍の後方に砂塵が舞い、地響きが轟いた。

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