臣への信頼
季冬、十二日。
練孟軍五千と奄軍三千。合わせて八千の軍が遼平という、遼南より少し北に進んだ平地に進軍した。この地は利幼公子の領内である。
これを迎える利幼はその直参の兵が三千。そこに姜子蘭率いる夏羿族五百と元岸叔軍の降兵一千が加わった総勢四千五百である。兵力差にはおよそ倍ほどの開きがあった。
薊国は軍を中左右に分けた三軍編成となっており、練孟と利幼も共に三軍を編成した。
練孟は自軍を二千五百ずつに分けて中軍、左軍とし、奄軍を左軍とした。虞において左は右よりも尊く、君主に次いで高位にある者が率いる軍とされている。ここに奄軍がいるのはその軍を率いる田仲乂が、助力しているのだから左に置けと強引に迫った結果である。
対して利幼軍の右軍には姜子蘭と元岸叔軍の降兵一千が付いていた。表向きは、客将が率いる降兵の部隊は右に置くべきということであり、子狼が姜子蘭を通じて、自分たちを奄の田仲乂の軍に当たらせて欲しいと志願したが故の配置である。
遼平の地の右軍――西の地に千の兵を率いて布陣した姜子蘭は欲心を剥きだしにして将兵を他国の風に晒しにやってきた田仲乂の軍を遠望していた。ちなみに千というのは岸叔軍の降兵だけであり、盧武成と彼の率いる夏羿族五百は戦いが始まるより前に子狼の下知を受けてその姿を晦ましていた。
「我ら右軍とあちらの左軍では、ここだけで激突するとしても兵力に三倍の差があるのだな」
姜子蘭は帷幕にて二人の男に諮問した。
一人は姜子蘭の臣たる子狼。もう一人はかつて練孟に仕え、今は利幼に恭順を誓った蒼子流である。
無論、子狼に言葉を投げれば頼もしい言葉が返ってくるだろうことは分かっている。だからこそ姜子蘭は、あえて蒼子流を名指しして意見を求めた。
「兵の士気だけを考えればこちらのほうが高いでしょう。今は三人の公子に分かれて争っていたとはいえ、この軍にいる者はすべてが薊国の民です。この戦いに敗れればその地が他国に割譲されるとなることを良くは思わず、目に血光を輝かせて戦うことでしょう」
蒼子流は感情を押し殺しながら口にした。蒼子流自身、かつては練孟に仕えていた身でありながら、国土を他国に割いてでも君主とならんとする練孟には含むところがあるらしい。
「ですが、士気だけでは勝てませんぞ」
そこへ子狼が意地の悪いことを口にする。
「それを補うのが貴殿の役割であろう」
「おや、これは薊国に名高き蒼氏とは思えぬお言葉ですな。かつて一邑の司冦でありながら策を用いて悪辣なる山賊を打破し、その偉業を認められて立身を為した御仁とは思えません」
子狼が煽るようなことを言うので蒼子流は姜子蘭のほうを見た。
「姜どのよ、貴殿の臣はいつもこのようなのか? 貴殿がいかなる素性の方かは知らぬが、ご自身の品位を高めたいのであれば少しは臣下を選ばれるがよろしいかと思いますぞ!!」
姜子蘭については利幼の客将としか知らない蒼子流は怒声を放った。姜子蘭は困りつつも子狼の言い方はよくないと苦言を呈する。しかし子狼は、その叱責を受け止めながらも堂々としていた。
「蒼氏の処遇については、この争いが終わるまでは投獄しておくべし、というのが利幼公子らの方針でございました。しかし私が、大軍は得やすく一将は得難しと我が君に進言したのです。もし蒼氏が不覚を晒せば私も我が君もその首が危うくなるというのに、頼みにならぬ凡人を牢から出すようなことはしません」
子狼にそう言われて蒼子流は言葉に詰まった。諛言だと思いつつも、しかし姜子蘭が薊国には何の所縁もない客将であることは事実であり、一つの失態もあればその地位は砂上の楼閣のように容易く消え去ることに違いはない。
この君臣はそれを承知で自分を説き伏せて牢から出して一軍を預けたのだと思うと、蒼子流の語気は自然に弱まっていった。蒼子流はもう一度、顔を少し柔らかくして姜子蘭のほうを見る。
その視線に答えるように、姜子蘭は微笑を返した。
「恥ずかしながら私は未だ弱冠であり、人を見る目には乏しくございます。なれど、我が臣のことだけは分かりますし、我が智嚢たる子狼が蒼氏を丈夫と見込んだのであれば、私も貴殿を丈夫と信じるまでのことです」
それは、ともすれば主体性がなく臣下の言いなりになっている弱年の君主の言葉のようにも聞こえる。そういう一面があることも否定は出来ないが、しかし姜子蘭には一つだけ、盧武成と子狼というたった二人の臣下について確信していることがある。
自分が方針を定めればそれを為すために二人は最善を尽くしてくれるということだ。
今の姜子蘭は、自分が虞王の子であり虞の危機を救うために漂白しているということを敢えて忘れ、薊国のくだらぬ争いを薊国にとってなるべく良い形で決着させることを一義としている。自分のその決意を二人も理解してくれていると信じているからこその言葉であった。
そして、そのような言い方をされると、我ながら単純だと呆れつつも姜子蘭の純粋な眼差しに絆されてしまう自分がいるのを蒼子流は自覚したのである。