蒼子流
子狼は練孟、奄国の連合軍との戦いに利幼自らの出陣を進言した。
元よりこれは薊国の諍いであり、ならば自分の手で決着させねばならないと利幼は劇迴、辛明を伴い、三千の兵を率いて出陣した。
子狼は盧武成と共に遊軍として五百の夏羿族の兵と、先に降伏した元岸叔軍のうち千を借り受けて奄軍に当たることになった。姜子蘭は、ここまで子狼の策がすべて功を奏したので今は元岸叔と夏羿族の連軍の中にいる。実質的にこの千五百は姜子蘭の軍と言って差し支えない。
「なあ子狼、利幼公子は大丈夫であろうか?」
姜子蘭は冬の風を受けながら子狼に聞いた。姜子蘭の聞かんとしているのは、勝敗のこともあるが、追い詰められた練孟が自陣の兵に非道を強いることがないかということもある。
「問題はないかと思われます。私は先に公子の前で少し脅かすようなことを申しましたが――それをさせぬために我らがいるのだとお思いください」
そう言われて姜子蘭は息を呑んだ。ただ奄軍と戦うだけでなく、いっそう自分の責任が重くのしかかってきたからだ。
「……子狼よ。お前の手腕や策を疑うわけではないが、こちらの軍は降兵と夏羿族の寄せ集めだ。いわば烏合の衆だが、それでちゃんと戦えるのか?」
「我が君の懸念はごもっともでございます。ですが夏羿族のほうは、思った以上に優秀でございます。何せ奴らにとって武成はルーペイ・ツーイーの化身でございますからな」
北地の民に伝わる神話。四つの胴に八本の腕を有して荒れ狂う無双の怪物。盧武成の武勇は夏羿族からはそう思われており、敵としては何よりもおそれるがそれが将として味方にいると思うと頼もしいらしく、彼らは盧武成に忠実だった。
「問題は岸叔の降兵ですな。そちらについては私に策があります。先に遼南で練孟の兵二千を捕らえたのを覚えておりますか?」
「ああ」
「その将に蒼子流という人物がおりましてな。彼を説き伏せて将にすることを決めてあります。降兵であっても従順であり才幹があれば厚遇されるとなれば元岸叔軍の将兵の意欲も湧きましょう」
「なるほど。ところでその蒼子流という人物についてはどういう人なのだ? 子狼のことだから、迂闊な人間に兵を指揮させるようなことはしないだろう?」
無論、子狼はそこについてもぬかりなく調べてある。
姜姓の人であり、先祖を辿れば薊国の公室に連なる人だが、すでに蒼という氏を得て父の跡を継いで薊国の一邑の司寇をしていた。司寇とは警察のことであり、罪人を捕らえ、刑罰を与える官である。しかし辺境の小さな邑などであれば司寇が実質的に邑を差配することも珍しくはなかった。
蒼子流もまた小邑の長官で生涯を終えるはずだった。しかし蒼子流のいた邑がある時、山賊に襲われたことがあった。この時に蒼子流は邑の男衆を束ねて山賊らを逆に一網打尽にしてしまったのである。
この話が半年ほど経ってから、たまたま薊侯の耳に入った。そして蒼子流は擢登されたのである。
といっても、そこは故事好きの薊侯のことであり、ただ手柄に対して褒賞を与えたということではない。
史書や伝承において名将賢人は山野にいたり、あるいは閑職を過ごしていることが多い。そしてそういう人々は名君から重責を与えられることで天下に名を轟かせるものだ。薊侯は地位が低く、しかし才気あふれる――そのように感じる物を大抜擢することで自分を名君だと思い込みその陶酔を味わっていたのだ。
今の薊侯の代にはそのようにして在野や低位から擢登された人材が多くいる。
しかしそういう人物の中にあって、蒼子流は他の者とは違うと子狼は見ていた。たいてい、そういう経緯で出世した人物というのは君主に自分を売り込みおぼえを良くしようとするものだが、そういう欲心は蒼子流にはない。抜擢を恩としては感じつつ、与えられた職務を淡々とこなしていた。
その結果、自分が任された地が練孟の管轄となり、その練孟に命じられたので命令通りに兵を率いてやってきた。蒼子流にとってはそれだけのことでしかないのだ。
『蒼司馬どのよ。練孟公子の下を離れ、利幼公子へつくつもりはないかな?』
子狼は囚われの蒼子流のところへ赴いてそう説いた。ちなみに司馬は軍事を司る官である。元は左右に一人ずつしかおらぬ軍事の最高位であったが、薊侯が左右を廃して司馬の地位を乱発したため今の薊国ではそれなりの官位でしかなかった。
『断る。一軍を率いながら不覚を取った将が行うことと言えば、兵の赦免と引き換えに死ぬことだけだ』
蒼子流は子狼の甘言に流されずに気骨を吐いた。子狼はますます、蒼子流を引き込みたいと感じたのである。
『まあそう死に急ぐことはありますまい。これは貴殿を抜擢した薊侯の意思に沿うことにもなるのです』
『なんだと?』
蒼子流は怪訝な顔をした。流麗に舌先を動かす様を見て、蒼子流は先の毒酒の策を考えたのはこの男に違いないと察してますます警戒心を強くした。
子狼は滔々と、三監の故事を語り、薊侯が何に倣って三公子を争わせようとしたのかを教えた。
『つまり、薊侯は三公子のうちの誰が最も民心を得られるかを見て次の薊国を託そうと決められたのだ。なれば蒼司馬も、成り行きでなくご自分の心のままに仕える主君を決められよ。その上で練孟公子を選ばれるというのであれば、貴殿の血が刑場の露となるのと引き換えに練孟公子の兵は一兵たりとも殺さぬことを誓いましょう。貴殿にとって、そして薊国にとって最善と思う道を選ばれるがよい』
子狼の説得を聞いているうちに蒼子流はおかしな気分になってきた。
これは、生真面目な性分の者ほど子狼に対して感じる感覚なのだが、ふつう悪人は詭弁と利己を綺麗ごとで覆い隠すものなのだが、子狼という男は逆に、口先三寸で内に秘めた誠意を誤魔化しているのではないかと思ってしまうのである。
蒼子流は一晩寝ずに考え、明け方、目の下に隈を浮かべた顔で利幼への恭順を決めたのだった。
活動報告でも書いたのですが、もうすぐ100話ということで、100話投稿日の9月25日、夜九時からXでスペースやります。基本的に『春秋異聞』か古代中国史の話しかしないと思いますが、よろしければご参加ください!!
↓活動報告
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2769859/blogkey/3506793/