敗因則有敵
子狼は、練孟と戦うにあって、勝ち方を考えなければならないと言った。もし練孟が勝つために非道な手段を選べば、仮にその軍に勝つことが出来ても利幼のためにならないからである。今は敵対していても、利幼が薊国の君主となればその兵らも利幼にとっては慈しむべき民となる。そういう視点を持って戦うようにと子狼は言外に告げたのだ。
利幼としてもそのことは自覚している。ここまでくれば、自分が兄を排斥してでも次代の薊侯となる肚は決まっていた。
「ですが、どうすればいいのでしょう?」
しかし、そのために奄国を招き入れた練孟とどう戦えばいいのか。利幼にはそれが分からないでいる。
北辺の夏羿族を度々退けてきた劇迴も、利幼の良き相談役たる辛明も直面した問題に対しての最適解を持たない。利幼は子狼に対して、愧じることなく意見を聞いた。
「暫しお待ちください。敵を倒すためにまず必要なのは、敵を知ることでございます」
子狼は、そう言ってこの場でははっきりと諮問に答えることをしなかった。
その日の夜。姜子蘭に与えられた客間で、姜子蘭と盧武成は子狼に問い詰めていた。
利幼の前で大言を吐いたが、果たして問題はないのかということである。しかし、君主と共に険しい顔つきで迫られながらも子狼は不敵な笑みを浮かべていた。
「ええ、問題ありません。我らが勝つというよりも、練孟公子と奄軍が負けるのです」
「子狼よ、それはどういうことだ?」
「戦には大別して、勝つ側に勝因がある戦と、負ける側に敗因がある戦がございます。此度、奄軍を率いる将軍には既に敗因がございましてな」
奄軍が来ることは知っていたがどのような将軍が軍を率いてくるのか姜子蘭たちはまだ知らなかった。しかし子狼はすでに知っているらしい。
「率いているのは田仲乂という男でな。あの田季敬の甥だよ」
田季敬とは奄の名将であり、建国の功臣の一人である。
前に少し述べたが、奄は元は東方、窮国の一邑であったのだが、後に窮都を落として窮の公族を東方へ追いやって生まれた国である。奄と窮の戦いにおいて奄には二人の功臣がおり、そのうちの一人が田季敬なのだ。
「ふん、お前の口ぶりでは田季敬のような大した将ではないのだろう。だいたい、名将を父に持ってもその智勇を継げるとは限らぬのに、まして名将の甥だからなんだというのだ」
盧武成は鼻を鳴らして声高に吐き捨てた。その言葉には子狼も頷いている。
「その通りだよ。いいや、それでも凡将であれば奄にとってはまだ幸ではなくとも不幸ではなかったさ。しかしその田仲乂という男は――どうも、奄男の断りを得ずに兵を出しているらしいのだ」
奄男というのは奄の君主のことを指す。奄は虞王朝から男爵位を与えられており、その当代の君主を呼ぶ時にはこのように呼ばれるのだ。
「そう珍しいことでもあるまい。まして田季敬の族とあれば、それくらいのことは出来ようさ」
だからどうした、と盧武成は言う。
一国の臣下たる身が君主に独断で兵を動かすことは背信のように思えるが、大陸において大抵の国は、国としての規模が大きくなるほど公族貴族の寄合となる。彼らは私兵を有し、君主の求めに応じて兵を出すことで初めて国家としての軍となるのだ。
時には貴族同士の対立から私戦に発展し、君主がその仲裁に乗り出すこともあるほどだ。
それを思えば田仲乂は奄国内で争わず、他国にその兵を向けているという点では良識があると言えるのである。
「まあな。だがこれは、田仲乂を倒したとて奄男は出てこないということだ」
「しかし、迂闊に殺してしまえば奄男はそれを口実に薊国に攻めてくるのではないだろうか?」
姜子蘭はそう危惧したが、子狼は口元をほころばせている。その顔は、弟子の成長を喜ぶ師のようであった。
「ですので、田仲乂は殺してはなりません。そうしておけば、どうするにしてもすべての責は田仲乂に帰結します」
「な、なるほど」
「それで田仲乂の人となりでございますがな。建国の名将たる田季敬は既に亡く、今の奄男は田氏と対立しております。というのも、先ほど武成が言った通り、名将の一族がすべて名将であるという道理はなく、その大半は一人の名将の遺功で飯を食っているようなものなのです。君主に智慧と良識があれば、それを善しとは思いますまい」
子狼は断言を避けたが、田仲乂は名将の遺功にありついている一人なのだろう。少なくとも、子狼の見立てはそうらしい。
「まあ、練孟公子としてはおそらく、奄男へ使者を送ったつもりが、その使者が田仲乂のところで止められたというところでございましょうな。田仲乂は自分の兵を奄の兵と称して練孟公子からの報酬を独占しようと企んでいるのでしょう」
「そう言い切る根拠はあるのか?」
「はい。僖陽から奄都たる殷丘へ使者が赴き、そして復命してから奄男が兵を動かしたと考えれば明らかに動きが速すぎます。ですが田仲乂の封邑は薊国と境を接しておりますので、奄男は関与してはいないかと」
姜子蘭の問いに子狼は笑みを添えて答えた。