傭兵
子狼が風禾を使って陰謀を始めた頃。
盧武成は劇迴の率いる三百の兵と共に長城を越えて北地へ向かっていた。兵らは皆歩兵だが、その先陣を行く二人は馬に乗っている。北地暮らしの経験があるため劇迴も騎乗の術は心得ているのだ。
利幼の兵だけで練孟、岸叔の二公子と争うのは厳しいと見た子狼は夏羿族を傭兵として抱え込むことを考えたのである。
「あの子狼という男はなかなかおかしな男のようだな」
冬の先駆けたる胡地の北風を受けながら、劇迴は隣の盧武成に言う。それが賛辞であれ中傷であれ、まったくその通りだと思っている盧武成は頷くしかなかった。
「他人事のような顔をしているが、お前もたいがいおかしな男だぞ武成どの」
「左様ですかな? しかし我が友には負けましょう」
「あの子狼という若者は元は維氏の臣下と聞いたが、お前もそうか?」
「いいえ。私は維氏の下で子狼の客将でした」
ふむ、と劇迴が考えこんでいる。そしてこんなことを聞いてきた。
「もしやあの子狼というのは、維少卿の末子の維子狼ではないのか?」
薊国は維氏の領と隣接しており、また共に北辺の守り手ということもあって劇迴は維氏の内情に詳しく、子狼のことも知っていた。特に隠す理由もないので盧武成は素直にそうだと告げる。
自分で聞いておきながら劇迴は驚いていた。というのも、薊国に聞こえくる子狼の噂というのは、軍略に長けていて若年の庶子ではあるがいずれは維弓の跡を継ぐのではないかと目されている、というものだったからだ。
それが維氏を勘当され、素性の知れぬ――少なくとも、劇迴から見ればそういうことになる少年に仕えているというのはおかしな話だと思うのも無理はないことである。
しかし盧武成は劇迴の話を聞いて、維弓が子狼を勘当した理由をおおよそ察した。おそらくその噂は維弓の本意ではなく、しかしいつの間にやら維氏の領を越えて隣国にまで広まってしまった。そうなればやがて維氏で跡目争いが起きるかもしれず、そうなる前に騒動の種である子狼を外に出さねばならなかった、ということだろう。
「なるほど。維少卿の子ならば夏羿族を傭兵に、という策を採るのも頷ける」
「ですが、歴戦の劇将軍から見られても、果たして巧くいくものでしょうか? こちらには三百の兵しかおりませんぞ」
「三百いれば十分だ。夏羿族というが、すべてのそう呼ばれる北狄が一処に居住しているわけではないからな」
劇迴の話だと、大体の夏羿族は五十から二百人くらいで一つの集団を作り、気候に合わせて拠点を転々としているらしい。
そしていざ戦いとなると有力な集団が主導し、軍を成して中原国家を襲い、略奪品を働きに応じて分配するらしい。
ちなみに先に盧武成が倒した夏羿族の将、呀健は伍伯長と名乗っていたが、これは夏羿族間の連合において指揮を許された兵の数を表しているらしい。
夏羿族というから、遊牧民といっても何千何万の民が移動しながら暮らしていると思っていた盧武成には、劇迴の話は意外であった。
「大陸ならば凡庸な城主でも千人の城市を運営することは出来るが、遊牧となると優れた器量を持っていても百人の集団の長となることは難しいものだ」
劇迴の言葉は北地の厳しさを言外に告げている。農耕という安定した環境を有する平地と、狩猟と牧畜を生業にする山地では上に立つ者に求められる責任がまるで異なり、だからこそ彼らは時に略奪をも生業とするのだろうと盧武成は感じた。
「なるほど。それで我らは、そういった点在している夏羿族の露営を片端から制圧していき味方に引き込むというわけですか」
「そうだ。それに、夏羿族と組むことは何も珍しい話ではない。私の叔父もまた長城の守将だったのだが、時には食料や武器と交換に他の夏羿族を味方にすることもあった」
これも盧武成には驚くべき内容だった。大陸――虞に封建された諸侯国は自らの習俗と異なる民を夷狄戎蛮と蔑んでいる。諸侯国にとってこれらは敵でしかなく、これと和すことは忌むべきことと思っていることが多い。維氏がそれを為した時でさえ中原では批判され、同じ樊国の中でも智氏や魏氏の者は庶人でさえ維氏を山犬と侮蔑するほどである。
それを、虞と姓を同じくする薊国で行っていたというのは信じがたいことであった。
「まあ、公にはしておらぬからな。あくまで北地での戦いに限ってであり、我らの独断だ。歴代の薊侯もご存じではあられたようだが黙認していただいた。しかし近頃は当代の目が厳しく、もうやっていない」
故事訓話を好む今の薊侯ならばそうだろう。しかし話を聞いていると、それが道義として正しくとも果たして国のためによいことなのか、と盧武成は考えこむ。
――こういう、国のために些細な悪を犯す臣を度量で呑み込み、それを打ち消すような善政を行うのが良き君主であろうに、と……。どうも、俺も子狼の考えに毒されているらしいな。
初めは詭弁と思っていた子狼の考え方が段々と骨身に染みつつある。劇迴の話を聞きながらそんなことを考えて、自分は存外単純なのかもしれないと盧武成は思っていた。
そうしているうちに、劇迴は手で盧武成を制する。盧武成は思考を止め、戟を強く握った。
今、彼らがいるのは枯れ木ばかりの山中と、岩場との境となっている場所である。こういう岩場は馬蹄が響きやすく敵襲を察知しやすいので遊牧民が山中で好んで拠点とするのだそうだ。もし夏羿族がいたとしても警戒されぬよう、まずは盧武成と劇迴の二人だけで進むことにした。
そうして馬を進めていくと、不意に風を切る音が乾いた空気を切り裂いた。一本の矢が二人の馬の足元に突き刺さる。おそらくは夏羿族の歩哨が放ったものだろう。
「聞け、夏羿族よ。我らは確かに薊国の者だが、此度は戦いに来たわけではない!!」
矢が飛んできた方向には巨岩がある。そのほうへ向けて劇迴が叫んだ。その言葉は夏羿族のそれであった。岩陰から小さく影が動く。しかし、二人の方向を見た男はたちまち逃げ出してしまった。
「る、ルーペイ、ツーイー……」