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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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謎の騎兵

 騎乗した敵からの襲撃を受けたと聞いて岸叔は眉をひそめた。

 当然のこと、薊国の兵に騎兵などいない。薊国の近くで馬を駆る兵と言えば夏羿族しかいないのである。ならば夏羿族が長城を破り、こちらにまで侵攻してきたのかと思った。そういった話は聞こえてこないが、その可能性も考慮しなければならない。

 岸叔は軍を進めつつも北の情勢を探らせつつ、追加の兵糧を送るよう列亢に使者を送った。これが肥沃の地を手にしている岸叔の強みである。

 しかし、次の輜重隊は列亢を出た日の夜営地で襲撃を受けたのである。それを襲った兵も前回と同様に騎兵であったらしい。

 列亢でその報告を受けた時、一人の将軍が激昂した。


「おのれ羿狄め!! 次は俺が向かおう。我が君とその兵を、利幼の如き孺子と戦う前に飢えに戦わせるわけにはいかぬ!!」


 そう叫んだのは蔡文左(さいぶんさ)という筋骨隆々の将軍である。蔡右欣の弟であり、若い頃から剛腕で鳴らした男であった。岸叔は、此度は楽な戦だと見越し、練孟からの万が一の敵襲に備えて蔡文左は残していったのだ。

 その役目については蔡文左も承知しているが、しかし二度も兵糧を奪われたといってはそうも言っていられない。岸叔からの叱責も覚悟の上で、戦車に乗り、二十乗の戦車と三百の歩兵を率いて兵糧を守り、さらに五十台の馬車に兵糧を積んで北を目指したのである。


「半数ずつ交代で眠れ。篝火を絶やすな。少しでも不信があらばすぐに鐘を鳴らして寝ている者を起こせ」


 夜営となっても蔡文左は警戒を怠らなかった。自分も半刻(一時間)に一度は起きて陣中を見て回り、夜襲に備える兵たちを叱咤したのである。蔡文左もその兵らも意気軒昂であり、むしろ敵襲を待ち望んでさえいた。

 しかし一晩の間、ついに何も起きなかったのである。

 彼らの目的が無事に兵糧を岸叔に届けることであるのを思えばこれはよいことなのだが、将兵ともに拍子抜けしてしまっていた。

 だが二日目になっても蔡文左は気を抜かなかった。夜に襲撃されるという裏をかいて白昼に襲いくるやもしれんと思い、足を速めつつも絶えず兵に警戒させていた。しかし、やはり何事も起きなかったのである。

 ならばその夜、と蔡文左は考えた。しかし――やはり何も起きなかったのである。

 ここまでくると拍子抜けするものはあるが、朝日を見れば、あと半日の行軍で岸叔の陣に着くのである。蔡文左は、ここが一番危険だと思っていたが、どうしても兵士たちには困憊と、目的地を間近にしているという安堵からくる気の緩みがあった。

 その時である。

 ちょうど、遮蔽のない高原を進んでいる時であった。蔡文左が不自然な砂塵を遠望したかと思うと、砂塵は段々と近づいてきて、やがて――蔡文左とその兵らを取り巻いたのである。

 これは明らかに人為的である。蔡文左は兵に円陣を組ませて兵糧を囲ませた。

 ようやくの敵襲を目の当たりにして、蔡文左はかえって勇んだ。その手には長柄の大斧が握られている。


 ――この砂塵は、おそらくは馬の尾に芝でも結び付けて引かせているのであろう。


 蔡文左は冷静にそう推測し、砂塵に向かって矢を射させた。すると次第に砂塵の勢いは弱まっていくのである。

 その時である。砂塵の中から一騎の若武者が飛びだしてきた。燃えるような赤い毛並みの馬に跨った、黒い鎧に身を包んだ男である。その手に持った戟を振り上げ、流星のような速さで馬を走らせ蔡文左の乗る戦車に突撃してきた。


 ――焦れて飛び出てきたか。ならばこいつを一撃で斃して、さらに敵の気勢を削ぐまでよ。


 蔡文左の、長柄の斧を握る手に力が入る。御者に命じてそちらに馬首を向けさせた。若武者は構わずに馬を走らせる。

 大斧と戟が同時に振るわれた。砂塵の中に二つの閃きが交差する。

 決着は、蔡文左の思惑通りに一撃でついた。ただしその結果は蔡文左の意気込みの通りにはいかず、蔡文左は首筋から血を噴き上げて戦車から倒れ落ちた。

 蔡文左が討たれて困惑している中、若武者は腰に佩いた短弓を取り出し、背負った箙から矢を取り出す。それを天高く放った。矢は鳥声のような甲高い音を響き渡らせ、それを合図に砂塵の中から曲剣や短弓を持った騎兵が現れる。

 こうなるともはや戦いにすらならず、蔡文左の率いていた兵たちはほとんど戦おうともせずに逃げ出してしまい、気骨を持った将兵はその血で大地を汚し、魂を黄泉へ送ることになってしまった。

 蔡文左の兵が逃げ去った後、騎兵たちは赤馬に乗った若武者の元へ馬を寄せる。彼こそがこの一隊の長であるからだ。若武者は周囲を警戒し、敵兵がいないのを確かめると騎兵たちに大陸の言葉で指示をした。

 兵らはその通りに、強奪した兵糧を運び始める。彼らは襲撃が成功し、多くの戦果を得たことに満足してその顔を喜色で染めていた。

 しかしたった一人、彼らの長たる若武者だけは、断崖に並ぶ岩のように武骨で険しい皺を顔に浮かべて不愉快そうな顔をしている。


「まったく、我が君の御為とはいえ、どうして俺がこう何度も何度も馬賊の真似事などせねばならんのだ――」


 赤馬に跨った若武者――虞の公子、姜子蘭の臣下たる盧武成は、毒草にあたった旅人のように苦渋と後悔で顔をにじませていた。

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