岸叔の思惑
練孟の使者を迎えた岸叔は、舌打ちしながらその書簡に目を通した。
内容などは読まずとも分かっており、少しも岸叔の想像を越えないものであった。
利幼を討つために一時的に休戦しようというのである。それそのものは、岸叔としても異論はなかった。岸叔から見ても利幼は、無害そうな顔をしてその仮面の下に貪欲な野心家の顔を隠し持っている油断ならない相手なのである。少しでも早く排斥したかった。
といって、練孟からその打診をされて待ってましたとばかりに誘いに乗るのも気に入らない。そうしてしまえば、まるで自分が練孟を恐れているように国人には映るかもしれないと考えたからだ。
「なあ、ここはどうすべきだと思う?」
岸叔は傍にいる直臣に聞いた。色白で痩身のその臣は名を蔡右欣といい、岸叔とは幼少の頃から共に育った間がらでもある。齢も岸叔と同じく同じ二十三であり、君臣でありながら岸叔は蔡右欣には何でも気安く相談の出来る相手であった。
「そうですな。練孟公子は利幼公子に嵌められてさぞや悔しいことでしょう。すぐにでも利幼公子を攻めたいところが、あちらには子伯異という智者がいたのでそれを諫められてこちらに来たのでしょう」
「まあ、あの兄のことだ。そんなところだろうさ。といって、ここで俺が兄に言われたままに利幼を挟撃するのも面白くない。何かよい方策はないか?」
「ならばこうなさいませ。まずは練孟公子には諾との返事を出し、一方で利幼公子にも密使を送るのです。練孟公子からこのように言われたが、私はお前の味方だから安堵するがよい。半月も兄の攻撃を凌げばこちらが僖陽を攻めてやろう、と」
その策を聞いて岸叔はほくそ笑んだ。面白そうな策だと思ったからであり、無邪気さを前面に押し出して蔡右欣に続きを急かした。
「そうすれば練孟公子は勇んで望諸へ兵を向けましょう。こちらは、直前に兵糧が火事で燃えたとか、兵が集まらなかったと言い訳して出陣を遅らせるのです。そして――練孟公子と利幼公子が必死になって戦っている間に我が君が望諸を攻め落とされればよろしいかと」
主君の求めに応じて蔡右欣も毒を含んだ笑みをこぼす。蔡右欣はこういった智慧と機転の利く人物であった。岸叔がその策を喜んで採ったあたりに、この君臣の陰黠さがある。
岸叔はすぐさま練孟に返事を出した。その内容に喜んだ練孟はすぐに兵を整えると望諸を目指して兵を北進させたのである。
ここで薊の三公子の領有について説明しておこう。
僖陽を主城とする練孟の領地は薊国の東方であり、岸叔の治める列亢という肥沃地帯は薊国の西方であり、その領地の一部は樊の魏氏、維氏とも境を接している。
そして利幼の拠点とする望諸は薊の北辺であり、三公子の中では最も領土が少なかった。
さて、練孟は岸叔の返事を見るやすかさず出兵した。その裏に何か思惑があるであろうことを子伯異は見透かしていたが、そのことは敢えて練孟には教えず、出兵を見咎めたのである。
――どうせ、ここで負けることはあるまい。利幼公子は相手にならぬであろうが、練孟公子は最後には岸叔公子と戦わねばならぬのだ。ならば、少しは苦杯を舐めることになったほうがよいということもある。
それが子伯異の考えであった。
季節は孟冬であり、練孟が出兵したのは晦日である。長城以北の地に比べればまだ穏やかであるが、薊国にも冬は来る。あとひと月もすれば戦をするのも難しくなり、国内では年内に三公子の戦いが決着を見ることもなさそうである。子伯異からすれば、ここで練孟が敗走したとしても、冬という休戦期間があればその間に立て直すことが出来るだろうと考えていたのだ。
故にこの練孟の出兵に子伯異は帯同しなかった。
練孟がまず攻めたのは遼南城である。以前、蒼子流とその麾下二千が囚われた城であり、ここを攻め取って望諸簿攻略の拠点にしようというのが練孟の策であった。
遼南は堅牢とはいえず、あっさりと落とせると思っていた。しかし遼南城は、三日経っても抜けず、五日を越えても攻め落とせず、十日が過ぎても練孟の兵は一人として城壁を越えることが出来なかった。
練孟がその抵抗に歯がゆく思っている頃、苦戦を知った岸叔はせせら笑いを浮かべていた。
利幼は自分を信じて遼南に兵を集中させており、今ならば労せずして望諸を攻め落とせると確信したのである。
練孟が遼南城を囲んでから十日目、岸叔は蔡右欣を軍師として三千の兵を率い北進した。目指すは弥谷城という城である。
岸叔と利幼の領境にある城であり、元は列亢で取れた糧秣を備蓄するために作られた城であった。しかし今の薊侯はこの城を利幼に与えたのである。無論、そこに備蓄された糧秣と共にだ。
その事実が面白くなかった岸叔は、その怨みを晴らすことも兼ねて真っ先に弥谷を攻めようとした。
しかし、明日には弥谷の城壁を拝めるという時になって問題が起きた。夜襲を受け、兵糧の半分が奪われたというのだ。利幼が仕掛けてきたかと思ったのだが、兵らの報告を聞くと、夜襲を仕掛けてきた敵というのはその尽くが騎乗していたというのである。