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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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遼南城の謀略

 子伯異が出した条件を利幼は呑むと言った。

 風禾がその由を復命すると、さっそく練孟は動いた。軍を二手に分け、千を岸叔領との境の守りに置くと蒼子流(そうしりゅう)という将軍に二千の軍を与えて北進させたのである。

 蒼子流の率いる二千の軍は足を走らせ、風禾の帰還から三日のうちに利幼の領の最南端である遼南(りょうなん)城に入った。まずここで練孟の兵を歓待し、休息を取らせたのちに望諸に入るというのが利幼との取り決めである。

 遼南城で蒼子流とその軍を迎えたのは辛明であった。辛明は蔵から酒甕を持ち出して将兵を労いたいと申し出た。

 兵士らは眼前に出された酒に沸き立ち、酒甕の近くに寄っていったが、流石に蒼子流は警戒した。


 ――これが毒酒であれば、我らはここで潰滅する。


 その警戒を辛明は見て取った。そして、毒見と称して十を超える甕の一つ一つに手ずから酌を入れて呑んだのである。甕を進むごとに辛明は千鳥足になり、すべての甕の毒見が終わった時には辛明は泥酔して眠りこけてしまった。

 蒼子流はどうすべきか逡巡したが、しかし辛明のそれは毒にあたったというのではなく、ただ酒を過ごして酔っただけなのは明らかであった。ならば、どうせ自分の酒ではないので兵を労わるために振る舞うことを決めたのである。

 ここまでそれなりに厳しい行軍をしてきた兵士たちは許しを得ると、蜜に群がる蟻のように酒甕に殺到した。蒼子流はあまり酒に強いほうではなく、立場もあり呑むまいと思っていたのだが、兵士の一人から、


「ですが、将軍が呑まれないとあれば我らとしても酔いにくうございます」


 と言われたので、軽く口を湿らす程度に酒を含んだ。

 そして一刻(二時間)後。蒼子流とその兵らは、誰も彼もが地に融けるようにして眠りこけてしまっていた。次に彼らが目を覚ました時には武器を取り上げられて縛られていたのである。

 無論、それを行ったのは辛明とその配下の兵である。

 蒼子流は不覚を悟ると目を怒らせて辛明を睨みつけた。その獣の如き形相に、辛明は自分で命じておきながら肩を震わせている。


「なんだ、そのふざけた態度は!! この狸め!! あの毒見も我らに一服盛るための罠であったか!!」

「ええ、まあ……。あの酒甕は、私が呑んだ時には、ただの酒でした。私が毒見をすれば、兵士らは私に注目しますので、その間に、貴軍の兵に扮した我が部下に命じて、私が呑んだ甕から……眠り薬を入れるように命じていたのです」


 兵士らの視線は毒見をする辛明に向くし、すでに毒見が済まされた酒であれば兵士がその甕に近づいたとしても、安全が分かったので先走ってしまったと言い訳すれば大した咎めを受けることでもない。

 その大胆かつ狡猾な策を、辛明はおどおどとしながら口にした。

 聞いてしまえば単純な策に嵌められたことに蒼子流は自らの不覚を愧じたが、しかし縛られた現状ではどうすることも出来ない。

 こうして練孟の兵二千はあっさりと利幼の虜囚となった。

 これが子狼の描いた策略の図の第一段階である。




 蒼子流率いる二千人が姦計に嵌められたという報はただちに僖陽の練孟の下へ届けられた。

 練幼は赫怒し、自ら兵を率いて望諸を攻めんと息を荒くしたのである。

 その怒りを、子伯異が諫めた。


「何がいけぬというのだ左丞相!? これまでは日和見ばかりしていた利幼がはっきりと俺に牙を剝いてきたのだ。これを攻めるのに何の異論がある?」

「異論はございません。ですが、公子の敵は利幼どのだけでは無きことをお忘れなく」


 その言葉は焚火に水をかけるように練孟を落ち着かせた。

 怒りに任せて出兵して、手薄になった僖陽を岸叔に攻められては元も子もないと子伯異は言っているのである。


「ならばどうしろと言うのだ?」

「岸叔どのと今だけ同盟をお組みなさいませ。利幼どのがこのように狡猾な手段を以て挑んでくるとあれば、岸叔どのとしても捨て置けぬでしょう」

「しかし、あいつは俺の誘いに乗るだろうか?」


 練孟の懸念はそこにあった。そもそも此度の一件からして、すでに練孟の知らぬところで岸叔と利幼が組んで行った可能性は否めない。そうであったとすれば練孟は知らずのうちに危地にいることになる。しかしそういった練孟の気がかりごと子伯異は払拭するように言葉を投げる。


「まだ岸叔どのは、斯様に姑息な策を用いるまでに困窮しておりません。あの方にはこれまで太子になれる望みの無かったところにその機が現れたと見るや臆面もなく自らの勢力を伸張させることを始めました。こういう人物は堂々と相手を倒して本願を果たすことを善しとするものです。もし利幼どのが岸叔どのの軍門の下ったのであればそれを喧伝して公子に会戦を挑まれることでしょう」


 そう説かれれば練孟もそうかという気になった。それは、練孟も思っていることだからである。

 自分は長子であり、太子となり、薊侯を継いで当然の立場だったのである。それが父の気まぐれでこのようなことになったが、それは甚だ面白くない。

 といって、薊国にとっては自分の予備のような弟たちを姦計や暗殺といった姑息な手で排斥してはかえって自分の品位を貶めるようなものだという矜持もあった。

 それを君主となる者の気骨と呼ぶのであれば、岸叔にはそれがあると練孟はいちおう認めてはいるのだ。無論、最後に勝つのは自分であるとは信じて疑ってはいないのだが――この戦いは、最後には自分と岸叔が平原で大会戦を行い、自分が岸叔を敗走させることで帰結を見るであろうと、練孟はそう信じて疑っていなかった。


「分かった。岸叔に使者を送れ。薊の公子たる誇りさえ捨て去り君位に固執する恥知らずの利幼を東西より挟撃すべし、とな」


 その命に従い、子伯異はただちに使者を列亢へ遣った。

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