公子たちの謀臣
次の戦いの策を一任された子狼は、まずは利幼軍の現状と薊国の三公子の現状を確かめるべく動いた。
子狼にその説明をするよう子狼に命じられたのは劇迴という将軍と、辛明という利幼の家宰である。
劇迴は壮年の、顔を含めた全身に数多の傷痕を追った屈強な人物であり、体躯にも恵まれていた。
逆に辛明は家宰といいつつその年齢は子狼とあまり変わらない、線の細い男である。聞けばまだ二十五とのことであり、末子といえど一国の公子の家宰としてはあまりにも若かった。
子狼の質問に答えてくれたのは主に劇迴である。
劇迴は長城の守将であり、その父、叔父もまた北地防衛に尽力した人であったらしい。そして劇迴はというと、幼い頃に夏羿族に攫われて狄地で暮らしたこともあるという。
運良く帰国が叶ってからは長城の守りについて今日まで望諸を守り抜いた歴戦の将であり、突然現れた子狼が立策を行うことを快く思っていないようだった。
しかし子狼の問いには不愛想ながらも適切に答えてくれた。
辛明は、声が小さくおどおどとしながらも三公子の人柄やその近臣の事情について詳しく教えてくれた。この若さで家宰をしているのも、元は辛明は利幼の侍従であったのだが、前任の家宰が暗殺されて次のなり手がいなかったところを利幼が頼み込んで家宰に抜擢したらしい。
朝一番に始まった質問会は日が暮れるまで行われ、それを聞いた子狼は満足しつつ一人頷いていた。
取るべき策を思いついたのである。
隗謙と一緒になって范氏を襲った男は、今は利幼に引き渡されて望諸の地下牢に入れられている。
男は縄に縛られて、自分の命運を案じながら不貞腐れた顔をしていた。そこへ辛明が一人で訪れたのである。
辛明は牢の中に入ると短剣を取り出した。自分の運命もこれまでかと思っていたが、しかし辛明は男を縛る縄を切って自由の身にしたのである。
「これまで、粗略な扱いをして申し訳ございません。貴公は練孟様のご重臣であらせられましょう」
「あ、ああ。風禾という。それで、これはどういうつもりかな?」
風禾は怪訝な顔をしている。それに対して辛明は痩身を縮こまらせて頭を下げた。
「申し訳ございません。実は、貴殿を捕らえた者らはここへ来る道中に不埒ものを捕らえたとしか申しておりませんでしたので牢に入れたのですが、貴殿が練孟様の重臣であることが分かりましたのでこのようにして参ったのです」
「ふん、練孟公子の臣と分かったのであればなおさらだ。何ゆえにこのような扱いをする? 我が主は利幼公子と敵同士ではないか。ならば俺を殺すなり、練孟公子との交渉のために捕らえておくなりするのが常であろう」
風禾は自分の命が助かるという喜色を殺して、敢えて声を尖らせた。
辛明はさらに恐縮して首を横に振る。
「我が主、利幼様は練孟様を敵とは思っておりません。かつて薊侯に申した言葉こそが真実であり、今も練孟様のことを兄として尊敬なされ、薊侯を継ぐに練孟様より相応しい方はおられないと常々口にいたしておられます」
「そうか? そういう風には見えないがな。少なくとも、練孟公子はそのように思っておられないぞ」
辛明が卑屈なのをいいことに風禾は語気を強めた。
「はい。ですので、風どのに我が主と練孟様との仲立ちをお願い致したいのでございます」
そう言って辛明は懐から書簡を取り出した。さらには、夜になるのを見計らって密かに風禾を牢から出し、利幼と謁見された。そこで利幼は風禾の手を取って練孟を慕う気持ちを口にし、どうか私と兄の間を取り持っていただきたいと恭しく頼んだのである。
風禾は心の中でほくそ笑みながら、辛明に与えられた車を駆って飛ぶような速さで練孟の居城たる僖陽へ走った。この城は城壁が高く四方を深い水濠に囲まれた薊国一の要害である。
帰城した風禾はさっそく練孟に拝謁を申し出た。
実は風禾は練孟の重臣などではなく、むしろ閑職にあった。そこで隗謙と知り合い、范氏の家財を奪って練孟に献上することで二人でのし上がろうと画策していたのである。
その思惑が露見し、利幼の下に捕らえられた時にはどうなるかと思っていたが、まだ自分には機運があったと風禾は思った。
練孟にとっては風禾など名さえ知らぬ微臣であったが、その者が利幼の書簡を持って帰ったと聞いたので会う気になったのである。
練孟は齢が三十であり、全体的に肥え太った人物である。練孟は利幼からの書簡を読んで突如として笑い出した。これまでは自分と岸叔との和睦を勧めるばかりであった利幼がついに自分に味方することを決めたからだ。
そして、傍に控えている頬のこけた痩せぎすの老人に書簡を見せる。この老人は薊国の左丞相である子伯異という人物である。今日までの薊侯の在位のおよそ半分の間、薊国で左丞相と言えばこの老人であった。そして彼は練孟の岳父でもあり、三公子の争いが浮き彫りになると練孟についたのである。
哄笑している練孟とは正反対に子伯異は眉間にしわを寄せている。利幼の書簡を疑っているのだ。
「練孟公子。一人の虜囚が持ち帰った書簡だけで真贋は分かりませんぞ」
「しかし、利幼の細い肝ではこうもなろうというものだ。父上もあいつに望諸を与えるとはなんとも酷なことをなされたものよ」
その書簡には、すでに長城を夏羿族から守りきることは難しく、それがために練孟に庇護してもらい、且つ援軍を速やかに送って欲しいとあった。
練孟は利幼が戦わずして恭順を示してきたことに気を良くしている。だが子伯異としてはそれだけではいけない。といって、この書簡の話が事実だとすれば北の守りが疎かになる。場合によっては練孟らは他の二公子と戦うよりも薊国に入り込んだ夏羿族と戦わなければならなくなるからだ。
「ならば公子よ。我らが兵を出すための条件として、北の守りに使わぬ兵をすべて岸叔公子との領境の城に集中させ、戦いに必要な糧秣物資はすべてあちらが出すように言いなされ。それを呑むのであれば兵を出してもよいかと存じます」
その通りにせよと言い、練孟は風禾を再び使者として望諸へ走らせた。
創作サークル「ペン先の欠片」様の感想サービスを利用し、紹介記事を書いていただきました。
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