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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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献策の対価

 望諸の奥、城主の座に座っている利幼公子は姜子蘭たちを丁寧に迎えた。

 すぐに顔を上げるのは無礼であるので、許しを得るまで姜子蘭とその背後に控える盧武成、子狼は跪いて顔を伏せている。しかし利幼はすぐに、


「そのように畏まられずともよろしい。顔をあげよ」


 と、少し硬い声で言った。声の幼さから察するに姜子蘭とあまり変わらないくらいである。

 顔を上げた三人が見たのは、線が細く肌の白い青年であった。姜子蘭よりは年上だが、顔がやつれていて既に壮年のような苦労人の雰囲気を纏っている。


「姜子蘭と申します。我らの如き素性定まらぬ身でありながら公子に拝謁をお許しいただき感謝いたします」

「そのようなことは気にするな。聞けば貴殿らは長城で苦戦していた我が臣下を助けてくれたと聞いている。ならば私の、ひいては我が薊国の恩人であり、その相手に会って感謝を述べることに何の躊躇いがあろうか」


 利幼公子はその見た目に反して声はしっかりとしていた。姜子蘭たちへ感謝を述べる口上にも誠意がある。今は心労で衰弱しているが、元は溌剌として英気に溢れた人物であろうことは想像に難くなかった。


「それで、そなたらは何を求めて望諸に参られたのかな?」

「公子は正義の御方であり、誰よりも薊国のことを憂えながら苦境に立たされているとお聞きしました。我らは故あって旅をしている身でございますが、行われるべき正義が立ち行かず、奸邪という暗雲が一国を覆うとしているのを黙して見るに忍びず、僭越ながら公子のお力になりたいと思った次第にございます」


 姜子蘭は利幼の問いかけに滔々と答えた。子狼からは、今は身分を明かさず、後のことは考えず、ただ利幼公子の味方として最善を尽くすことだけを考えるようにと言われていた。しかしその文言については姜子蘭が自分で考えたものである。


「そうか。その心意気、嬉しく思うぞ。それで、そちらの黒鎧の武人については聞いているが、子蘭どのの後ろに控えているもう一人の御仁は何者かな」

「これなる者は姓を(えい)(あざな)を子狼と申します。かつて樊の維氏に仕えており、その知略は三軍に匹敵し、千乗の補佐に足ると維少卿より評されし軍事の天才でございます」


 姜子蘭は我が事のように誇らしげに子狼のことを自慢した。しかしこれについてはすべて事実なので、後ろめたいことは一つとしてない。


「もし公子がお許しくださいますれば、次なる戦いは是非この子狼の策を用いなさいませ。もしそれで敗れることがあれば、私はこの首を自ら刎ねて公子に献上いたします」


 姜子蘭がそう口にした時、後ろにいた盧武成は思わず顔を青ざめさせた。そして隣にいる子狼を眦を決して睨みつけたが、子狼もこれは慮外のことであったらしく、苦笑いを浮かべていた。

 そしてその覚悟を聞かされた利幼は、すぐに諾とも言えず困り果てた顔をしている。しかし姜子蘭は敢えて言葉を続けた。


「これなる子狼は我が部下でありながら、同時に軍事の師でもございます。その師曰く、一度立てた策についてはこうと決めれば折衷は許されず完遂出来なければ如何な良策を立てようともそれが成功を見ることはないとのことです。なれば外様たる私が自らの臣の策を通していただくには、この身を質に置かねば公子に対して不実でございましょう」


 利幼はそれでも迷いがあったが、姜子蘭の眼に一切の迷いがないのを見て取り、その覚悟に応えねばならないと感じ入り、次の戦いはその軍略の一切を子狼に委ねると決めたのである。




 後に客間を与えられ、そこで三人きりになると、盧武成は子狼に掴みかかった。

 しかし姜子蘭は激昂した盧武成を宥めるようにその間に割って入る。


「子狼を責めないでくれ。あれはすべて、私の独断で口にしたことだ」

「しかし、何も我が君が命を賭けられることはありますまい」


 盧武成は口角泡を飛ばして叫んだ。君主が臣下の技量を信頼することは美徳であるが、そのために命まで賭けるというのは過分であると思っているからだ。

 しかし姜子蘭にも言い分がある。


「利幼公子は今、苦境に立たされている。だからこそ私たちのような者にさえ縋ったのだろう。しかし私たちがただその苦境に付け込んで他者の将兵を我が者顔で使役するのは徳者の振る舞いとは言えないのではないか?」


 そう言われると盧武成も言葉に詰まった。姜子蘭の言葉はまったくの正論だったからだ。


「子狼が私に、虞の王子であることを明かしてはならないと言った理由も今ならば分かるさ。ここで私が勅書を見せて王子と名乗れば、何の苦労もなく利幼公子は我らに軍権を行使させてくれるだろう。しかしそれでは、我らには利己しかないことになる。初めのうちはよくとも、いずれ利幼公子は我らを煙たがるのではないか?」

「それは……そうかもしれませぬが。しかし、臣下の力量に命を賭けるというのはやりすぎでありましょう」

「私はそうは思わないが――子狼はどうだ? 私は、余計なことをしたのだろうか?」


 そう問いかけられた子狼はあごに手を置いて黙りこくっていた。しかしやがて、自分に話しかけられているのに気づいて顔を上げた。


「いえまあ、どうせ勝つつもりでございましたのでご案じなさいますな。我が君はどうかこの客間でごゆるりとなさりながら、次に公子と謁見なされた時に私の知略と武成の豪勇を褒めそやす言葉を考えておいてください」


 子狼は、次の一戦に自分の主君の命が掛かっているというのに、まるで意に介してないような、いつも通りの軽い調子であった。

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