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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
81/113

饕朱

 燃え盛る荷台を曵いた馬車が突撃してきたことで練孟の兵は一気に混乱に陥った。彼らはほとんどが歩兵であり、荒れ狂う馬が向かってくるだけでも恐ろしいというのに、その背に火の山があるとなれば逃げるより他にない。

 その間に盧武成は後ろの馬車から荷を切り離し、姜子蘭の白馬、迅馬と自分の愛馬たる、子狼から譲られた赤馬――饕朱(とうしゅ)を自由にした。姜子蘭と盧武成はそれぞれ自分の馬に跨る。そして盧武成は、馬を駆りながら隗謙の首根っこを掴んで攫った。

 そしてそのまま、姜子蘭と共に練孟の兵士たちの、隊列の崩れたところ目掛けて駆けだす。

 姜子蘭たちを囲んでいた兵士たちは最初こそ困惑していたが、やがて火車を曳いた馬が過ぎ去ると姜子蘭たちを追いかけた。

 逃げながら盧武成は、自分たちを追いかけてくる兵士たちを後ろ目に見ていた。


 ――ほう。なかなかよく訓練されているな。


 その統率に盧武成は感心しつつ、意図的に馬速を殺していた。

 盧武成の愛馬は、かつて維氏の領で田畑を荒らしていた暴れ馬であり、兵士十人がかりが手綱をかけて四方から引くことでようやく取り押さえることが出来たという乱馬である。駿馬であることには違いないのだがここまで乗り手がなかったのを子狼が引き取り、気まぐれで盧武成に与えてみたらあっさりと乗りこなしたという馬である。

 ちなみに余談ながら、盧武成は維氏の領を出て旅をするまでこのことを知らなかった。盧武成があまりにも悠然と饕朱を乗りこなしてしまったので、子狼としても、これは我が領きっての荒馬でございましてと言う機を逃してしまったのである。

 また姜子蘭の跨る迅馬にしても、維弓の有する騎馬では一二を争う名馬であり、二人がその気になれば、歩兵の追跡など容易く振り切れるのだ。しかし今は、二人は手綱を緩め、敢えて練孟の兵らに自分たちを追わせている。つまり今はまだ子狼の策の内なのだ。


 ――さてと。


 ゆるゆると走りながら盧武成は首を傾けて追手を見る。最初は歩兵ばかりであったが、やがてその群れをかき分けて一乗の戦車が前方に躍り出てきた。


「子狼の言った通りになったな」

「はい。では我が君、二の策で参りましょう」


 そう頷いて二人は速度を上げる。歩兵の足では追いつけないが、戦車はいっそう激しく馬を鞭打って二人を追った。戦車と二人の距離が肉薄する。

 その時、二人は唐突に手綱を引いた。二頭の、紅白の馬が高く跳躍する。その前方には巨岩があった。戦車は加速を殺すことも出来ずに巨岩に突撃して勢いよく横転してしまった。


「悪いが、大人しくしてもらおうか」


 地に投げ出された者たちの中で、白い直垂を羽織った一際身分の高い男に、巨岩の横から現れた子狼は剣を突きつける。

 男は抵抗さえ出来ずに両手を挙げた。




 目的を遂げた姜子蘭、盧武成、子狼は隗謙と捕らえた男を縛り付けて士直たちのところを目指す。捕らえた二人はそれぞれ、盧武成と子狼の馬の後ろに荷の様に乗せていた。

 捕らえられた隗謙の姿を見て士直は驚いている。縛り付けられたこの男が本当に隗不壬の息子なのかとさえ疑ったが、盧武成が牘を見せると苦虫を噛み潰したような顔をしつつも納得した。


「この男はどうやら、范氏の持参品を土産に練孟公子に取り入る腹づもりのようでしたな」


 子狼は士直らが襲撃を受けたのを見て、ともすれば隗氏に范氏の動きを悪意を持って使っている者がいるかもしれないと思い甲燕に先行した。そこで、隗不壬は商賈として素晴らしい人だがその息子は放蕩で金に汚いという悪評を聞いたのである。

 そしてさらに詳しく調べて見ると、公子の跡目争いが表面化してから隗謙は甲燕を出てあちらこちらで暗躍していたらしく、それで子狼には隗謙に悪しき思惑があることを悟ったのだ。


「それで子狼。この二人をどうするつもりだ?」


 姜子蘭に問われて子狼は、どうしますかなと笑いながら顎を撫でる。縛られたままの二人には生きた心地がしなかった。


「まあ、我らは未だ薊の地では余所者ですからな。下手なことはせず、ひとまずは縛って荷の片隅にでも置いておき、我らは当初の手筈通りまいりましょう」


 そして再び、一行は望諸を目指すことにした。捕らえた二人は子狼の言葉通り荷の奥に轡をして放り込み、その上から布を被せて外からは見えないようにした。


「まるで人攫いにでもなった気分ですな」


 馬車の御をしている士直は少し後ろめたい顔をしている。全くですと、その横で馬に乗っている盧武成も頷いた。

 しかしそれらを指示した子狼は何とも思っていないようで、後ろの方でいつも通りに姜子蘭や脩と話している。


「ところで、隗謙はともかく捕らえた練孟公子の配下はどうなさるおつもりなのでしょう?」

「さて、それは私もまだ知りません。ですがあれは性格の悪い男ですので、ああして話しながらも有益に扱う算段をしていることでしょう」

「盧氏は子狼どのとは長い付き合いなのですか?」

「知り合ってから二月ほどです」


 盧武成は大真面目な顔で言う。あまりにも表情に変化がなく、それでいてはっきりと言い切ったものだからつい士直は笑みを零してしまった。


「盧氏は子狼どのを信頼なさっておられるのですね」

「そういう見方も出来ますな。頭の良さと性格の悪さでは敵わぬでしょう」


 それは盧武成の本音であり賛辞だった。そう伝わってくるだけに、士直はいけないと思いつつも、絶え間なく腹の底からこみ上げてくる笑いを抑えられなかった。

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